私は毎週サンデー毎日を愛読しています。
特に楽しみにしている記事の一つに岩見隆夫さんのサンデー時評があります。岩見さんがとてもバランスの取れた方で、とても含蓄のある評論を書かれているからです。
今週号のサンデー時評には、彼の「ひいき」の役者藤田まことさんの話が掲載されています。岩見さんも私と同じ年代のようで、「てなもんや三度笠」から始まり、「必殺シリーズ」「はぐれ刑事純情派」と追っておられる。そして、「はぐれ刑事純情派」が一番気に入っているとおっしゃる。これも私と同じです。
藤田さんの役者としての評も、大変的を得ていてその通りだと感心しました。(内容は、コンビにでも立ち読みして下さい。笑)
さて、今日紹介したいのは、「藤田さんの自伝的な『最後』(日本評論社刊)という本」に書かれた一節です。
「藤田さんは画質が明るく鮮明なハイビジョンなんていらん、と思っている。〈光と影の交わった微妙な部分の味わいが消えてしまっています。その意味では、ハイビジョンというのは、今の時代らしいかな。ちょっと前から世の中が「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉をよく使うようになりました。でも、勝ったらすべてええわけではないでしょう。また、負けたほうにもそれなりの理由があるはずです。勝ったら万歳というのはあんまりだし、日本の文化に合わないと思うんです。負けていても誇りがあるとか、そういう微妙な機微を理解人が増えているーーー〉」
私も同感ですよ。藤田さん。岩見さん。私も「このままでは大切なものが失われていく。」と危惧します。
山口実