中国新聞に「公立小中学校調査『不安』を重く受け止めよ」と言う社説が掲載されています。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200610230063.html
「『ゆとり教育』の大切さが力説されたと思ったら、学力の低下を理由に『学力重視』路線へ再転換。厳密な検証作業もないまま、猫の目のように変わる国の方針にも、疑問が投げかけられているのではないか。」
まず、学力とは何なのでしょう。その定義も定かではありません。私は、学ぶ力と言うのは、決して学力テストで良い点を取ることでもないと思いますし、また、記憶力を競うことでもないとも思います。
私は、今子供を含め私達に求められているのは、自分で考える力だと思います。勿論、自分で考えるためには学ぶことは必要でしょう。そして、感じること、想像することも。
考える力を養うための教育と言うのは多面的であるべきです。いろいろな視点、角度から考える力を養うことが重要であり、そう言う力はお上から法律で与えられるものではないとも考えます。
「ゆとり教育」も、中教審の掛け声だけで中身は不明、現場に丸投げして、現場も良く分からない内に、「あれは間違いだった」と言われて困惑しているのが、実情なのだろうと思います。また、個性を尊重しない教育を受けた人に「個性を教えろ」と急に言われても中身が伴わないのは、ごく当然のことなのではないでしょうか。
それに教育改革を唱える文教族のトップが裏口入学や裏口就職を公言しているM元首相と言うのも、頂けません。
政治家の方々が自分の学力のなさを悔いて、「学力重視」を唱えるのも分かる気がしますが、やはり私は物事を考える力を養うことが一番重要だと考えます。
考える力は、難問や危機に直面した時、真の力を発揮します。そう言った現場に遭遇し、切り抜けて来た私の経験からそう確信しています。
山口実