725日付の毎日新聞長崎版に下記のさだまさしの記事が掲載されました。私の友人が長崎の友人から入手したものですが、自己像を見失いつつある日本の現状に就いて、充分考えさせられる内容なので、全文を引用し紹介致します。

86日、広島原爆忌の夜に長崎で歌い始めたコンサート『夏・長崎から』を、20回目の節目の今年でやめる。映画の借金が30億円以上ある最も苦しい時期に始めた。はじめは様々なことを言われた。原爆、平和と続くだけで『左翼』と言われる時代だった。

政治的、思想的中立を保つため一切のヒモをつけずに始めた。料金を取れば営業だ。原爆を営業に使う事はできない。だから無料で始めた。ステージを組むのに1000万円。ゲスト費用、スタッフ費用、旅費、宿代都合3000万円程、毎年丸々赤字だった。苦しかった。でもやらねばならぬ、と僕の心の中で叫ぶ何かがあった。

だが、借金で苦しんでいる歌手が突然無料コンサートを始めたら、驚くし、穿った見方もされる。故郷では選挙に出る事前運動だろうとも言われたが、一部の冷ややかなまなざしを恐れる気は全くなかった。いつか伝わると信じていた。大好きな人の笑顔や生命を守るため何ができるかを考えよう、というメッセージを貫いた。普通の人々が危機感を持って立ち上がらねば、この国は駄目になる。被爆地で生まれ育った責任もある。

少しずつ理解者が増え、スポンサーもつき、赤字ではあったが数年前からは僕の会社にとっても「さして大きな負担」でもなくなった。その時にふと『ひや』」とした。たくさんの人々が日本中からやってくる。風物詩になった。それは嬉しい。しかし僕は何も変えられなかった。この20年間に戦争の無かった年はなく、とうとう日本も"参戦" した。世直しをするなどと思い上がる気はないが、強烈な喪失感が起きた。音楽家の領分についてもう一度遠くから考えてみようと思った。

僕の思いが、伝わる人には確実に伝わっている実感はある。それは胸を張って言える。だからこそ一度現場を離れて考える。戻るかもしれず、もう戻らないかもしれない。いずれにせよ今年の『夏・長崎から』は、一生忘れないだろう。」

さだまさしさんは、「日本が聞こえる」と言うエッセイを出されていますが、これだけ頑張ってきた彼に喪失感を感じさせる現状に就いて、私達皆が反省する必要があるのではないでしょうか。自己像を認識できず、明確で公正なヴィジョンの示せない国は衰退すると危惧されますから。

山口実

さだまさしさん