銀座パナシェでのあおいのジャズ・ライヴの無事終わりました。小さなお店なのでたくさんは入れないし、少なくても困るし、悩んでいたのですが、私の友人達が5人来てくれたりで、ちょうど良い雰囲気だったようです。ライヴはやはり良いですね。いらっしゃってくださった皆さんに心から感謝すると共に、未だあおいのライヴをお聴きでない方は、次の機会に是非ご来場ください。


 さて、今日は英語の講義は一休みして、「報道の客観性」に就いて少し考えて見たいと思います。その理由は本日のasahi.comに「立ち入り禁止区域にバファロー チェルノブイリ」と言う記事を読んだからです。

http://www.asahi.com/international/update/0401/005.html

「原発事故で人間が追い出された土地が動物でにぎわっている。 」と言う客観的な事実を述べているようですが、報道の意図するところが、伝わって来ません。また、客観的なようで、ただ繁殖していると言うだけで、動物達の生態が検証されていません。一部目で見た「事実」を垂れ流すことで、「報道の客観性」を唱えるのは、少しおかしいと思いますが、皆さんはどのようにお考えですか?

 穿った見方をすると玄海発電所でのプルサーマル原発受け入れが決まったことと関係するような感じもします。何れにしても「人間が大騒ぎをして避難した地域で、動物は生きている。放射能汚染は人間が大騒ぎするほど酷くない」と言いたいのか、「動物は人間がいなければ繁殖する。人間の都合で動物の住みよい場所をとってはいけない」と言うのか、「人間が行かないところに危険を顧みず飛び込んで取材した。これはスクープと言える。」と言いたいのか良くわかりません。

 食料さえあれば、動物達が驚くほどのスピードで繁殖するのは先刻承知のことです。以前ある地場大手スーパーの元専務が溢しておられました。「ある商社に声をかけられて、健康食品用の鹿の角をとる為に阿蘇で鹿を飼った。鹿の角は中国で売る予定だったが、輸出入の許可に手間取っている内、鹿が急激に繁殖してそのえさ代で億単位の損をした。」と言うのです。

 上記のニュースには、「動物が急激に繁殖する。」と言う基本的な自然の摂理と「動物達がどのような健康状態にあるのか」と言う事実が欠落しているので、何が言いたいのか分からないし、結局客観的な報道でないばかりか、読者を戸惑わせる垂れ流し記事になっています。

 最近、日本のマスメディアには一面的な事実の垂れ流し記事が目立つような気がします。一方、欧米では個々の記事に論評を加える場合が多く見られます。事実を一面的に垂れ流すのではなくて、同時に問題点を指摘する報道姿勢が、報道の客観性を増すのに役立つのではないかと思量します。

山口実