九州の女性と九州のPotentialityに惚れて、29年間勤めた会社を退職し、天下りもせずこの4年間自分を見つめ直してきました。その間、大学での講義やボランティア活動等いろいろなことをやって来ましたが、やりたいことが多過ぎて今一つ焦点を絞る事が出来ませんでした。しかし、女房のアドバイスもありようやく何をやるべきかが分かりかけて来ました。それはもっと多くの場で自分の経験や考えを語っていくことです。

  私は大学での講義以外でも、年に数回講演をして来ました。それは平和外交・国際貢献に関するものであったり、国際経済に関するものであったり、歴史や文化に関するものであったり、音楽に関するものであったり、ボランティア活動に関するものであったり、英語を含む教育に関するものであったり、多岐にわたります。

 私は講演の依頼があるとまずタイトルから考えます。それから、大きな項目を考えてから、持ち時間によって詳細を決めていきます。そのタイトルは例えば、「農耕民族への回帰を」「隣人への愛を」「かけがえのない自分」のようなものです。

 話の内容はいろいろですが、その基本は自分を語ることです。自分が経験したこと、学んだことを自分の言葉で語ることです。もちろん、自分を語るためには、自分を知らないといけませんし、自分を信じなければなりません。また、そうすることで相手を思いやる度量や肝要さも出て来ます。

 最近の若者多くに、自分を押し殺してしまう傾向が見られます。昨日、こちらのミッション系の大学で国際関係を教えている大学の後輩と久しぶりに会って話しましたが、「WBCでのイチローの言動に『パフォーマンスが過ぎる』と批判的な学生がいることに驚いた」と言っていました。「それは自己主張をせず、目立たないこと、皆と一緒であることが良いと言う小中学校での学校教育が刷り込まれているからではないか」と私考えを述べましたら、「本人達もそれを認めている」との事でした。

 私は、イチロー選手のWBCでの自己主張を大いに評価します。一方で、彼が今まで多くを語らなかったのも、自己主張であって、彼を「孤高の剣士」のような立場に追い込んだマスメディアを始めとする社会に自己批判の必要があるのではないかとも思っています。

 私が、自分の経験を語ろうとすると、そのこと自体を批判する人々が少なからずいます。そして、その人たちの多くが中国・韓国に批判的で、日本の素晴らしさを訴えます。また、偏った情報により過去の間違った行動を正当化しようとします。もちろん日本が平和な素晴らしい国である事は確かですし、私も母国を心から愛していますが、私たち一人一人が自分の頭でしっかり考え行動していかなければ、日本が素晴らしい国であり続けることは大変難しいと考えています。

 一方で、若者たちが未熟な経験や頭でっかちの知識に基づいて勇ましい言動を行うことは、自己を知らないことや自信のないことの裏返しのように思えてなりません。中国や韓国のあら捜しをして糾弾する姿勢は、自己主張が強く、活気があり、発展を続けている両国に対するやっかみのような気がしてなりません。          

 ところで、昨日とても嬉しい事がありました。それは、先日私のブログにWBCのことでトラックバックしてくれた青年が、私のブログに読者登録してくれたことです。トラックバックを見て興味を覚え、彼のブログを覗きましたが、その書き込みと他の読者のコメントに韓国選手や韓国民に対する批判が多く載せられているのに驚きました。それは、最近の日本の社会に見られる中国バッシングとも共通するものでした。

 私は、王監督やイチロー選手を始めとする日本代表の選手達の気持ちは少し違うものだと思い、また相手のあら捜しをしてお互いを挑発することは、結局お互いの為にならないと思いましたので、かなり詳細なコメントを書きました。そして、昨日彼から「山口先生のご意見を伺い、まだまだ自分の視野が狭かったことを認識しました。これからも先生のご意見を読ませてください。宜しくお願いします。」と言うコメントと共に読者登録あったことに気がつきました。

 ブログやホームページで政治的な問題について反対意見を書き込んだり、コメントすると議論にはならず、誹謗中傷で終わってしまう場合が多いのですが、上記の彼のコメントには大変勇気付けられました。子供や若者たちの「学ぶ力」「回復する力」を信じて、頑張ろうと思いました。

 

 と言うことで、これからはもっと積極的に「国際理解の語り部」「民間外交官」として、出来るだけ多くの場で自分を語って行きます。また、そう言った場を求める活動を精力的に進めて行きます。それが、幾多の窮地を生き延びられたことに対しての恩返しになると確信しています。このブログにも、難しい話題を書き込むと思いますが、ブレイン・ストーミングと思ってお付き合い下さい。


山口実