今日の記事は一つだけにしようと思ったのですが、今朝新聞を見ていたら昨日ニュースで見た東横インの社長の薄笑い顔を思い出したので、その問題に就いて少し書きます。
この事件も「うそが明らかにされる」今年の象徴的な出来事だと思いますが、社長の記者会見は耐震強度偽装の関係者のインタビューやライブドア問題の関係者と重なるところが大いにあります。
西日本新聞の社会面の見出しに「身障者配慮より利益」と言う大きな見出しが出ていますが、これは耐震強度偽装問題では「住民の安全より利益」、またライブドア問題では「企業理念より利益」や「国民へのサービスよりも党への利益」と置き換えられるのではないでしょうか。
そして共通しているのは、責任者達が責任逃れをするか、口だけで謝って終わりにさせようとしていること。また、今回の事件もちょんバレの手法で、ちょっと調べれば、と言うより今回はあからさま過ぎて、また目くらまし作戦の一つかと疑う程です。
これらの事件の責任者たちが「ルールを守らなければ」とかと「法律違反したとは思わない」かと言っているのを聴くと、これらが「法律の不備やや検査の死角をついて見つからなければ良い」あるいは「見つかっても『行政指導で終わる』(東横イン社長)」、「捕まっても執行猶予がつく」と言うふうに聞こえてしまうのは私だけでしょうか。
ここで問題なのは、「なぜこのような法律が出来たのか」と言う根本的な認識の欠如であろうと考えます。
私は改革の必要性を否定はしません(税の公正化・使途透明化・無駄遣い排除、外務省改革、教育改革、社会保障制度改革など、やるべきことはたくさんあります。)。 しかし、現在のような過度の競争による「勝ち負け」論議や「弱者切り捨て」/「格差社会」には反対です。
私たちには米国流の「市場経済原理」ではなく、東洋的な「共生の原理」があって良いと思います。それを実行する為に利便性が失われ、贅沢が出来なくなっても良いのではないでしょうか。
最近の一連の事件は今の病んだ日本社会の氷山の一角なのでしょう。まだまだ同様の事件が暴露されるかも知れません。この病んだ社会をどう癒すか。私たちは他人事や対岸の火事と考えず、一人一人が問題の本質を捉え、考え、治癒と予防に尽力することが不可欠だと考えます。そこではやはり、「競争の原理」ではなく「共生の原理」が大切なのではないでしょうか。
山口実