今週号のサンデー毎日の岩見隆夫さんのサンデー時評を読んでいたら、「悟性」に就いて書いていました。三省堂の大辞林によると「悟性」の意味するところは、
『〔(ドイツ) Verstand; 英 understanding〕〔哲〕
(1)広義には、論理的な思考を行う能力・知力を指していう語。知性。
(2)カント・ヘーゲルでは、さらに理性とも区別される。
(ア)カントでは、理念の能力である理性と異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力をいう。
(イ)ヘーゲルでは、具体的普遍の認識に至る理性に対して、物を個別的・固定的にのみ見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力をいう。』
とのこと。
私は先に感性やImaginationの大切さに就いてお話しましたが、「悟性」は豊かな感性やImaginationで捉えたことを理解(understand)し判断する、より進んだ能力のようです。考えるに、「悟性」を得るには「天から与えられた才能」も必要ですが、経験に裏打ちされた知識の蓄積が不可欠でしょう。
岩見さんは、先に亡くなられた(我が敬愛する)後藤田正晴さんを「悟性」の人と認識されていました。
角松ちゃんやうちの女房も「悟性」の人、おそらく錦織監督も「悟性」の人なのではないでしょうか。
私も早く「感性」の人から「悟性」の人になりたいと考えています。
山口実