インドネシア・スリランカ被災児支援ネットワーク
「インドネシアとスリランカの子供達に愛を!」
NGO 明日のアジアにかける橋 九州事務局代表 山口実合田真氏と私は去る1月18日から2月1日まで被災児支援ネットワークを構築する為に、インドネシアとスリランカをと訪問しましたので、その結果をこの紙面をお借りしてご披露いたします。
まず、1月19日から24日までインドネシア・アチェ州隣接の北スマトラ州の州都メダンを訪問しましたが、メダン空港はヨーロッパを主とした各国の支援団体の人々で一杯でした。入国管理もままならずマレーシアからのFLIGHTも2時間近く遅れました。人口230万人とは言え、普段は静かなメダン市街が外国の人々で溢れかえり、ホテルの宿泊料金も倍以上となっていました。
私はメダンに三井物産の事務所長として4年半駐在した経験があり、地元企業の有力者と懇意で、そのリーダーたるタンスリ・チャンドラ氏(地場の企業家で、華僑インドネシアビジネス会議の代表。私の無二の親友)のゲストハウスに泊まることが出来、初日から私達を歓迎する昼食会に集まってくれたメダンの人々と情報を交換しました。彼らの話ではアチェ州からメダンに避難してきた華僑系のインドネシア人がMETALと言う地区に数多くおり、その中に2000人近い子供もいるとの事でした。私達が被災児支援の計画を申し出たところ、チャンドラ氏(地場の企業家で、華僑インドネシアビジネス会議の代表。私の親友)も同様の考えで、お互いに協力することで合意しました。インドネシアでは、華僑系の国民がビジネスをリードしている反面、このような災害や騒乱の時には後回しにされる傾向にありますから、私達が支援することに大きな意味はあると考えましたし、私がメダン駐在中に築いた人脈がフルに活用できると判断しました。具体的には、学用品の手当て、メダンでの学校の拡張工事・被災児の寮の建設(建設費は土地代含め約50㎡あたり 100万円)を支援することとし、メダン事務局をチャンドラ氏経営のホテルに置き、チャンドラ氏の次男のジェヌア・チャンドラ氏が勤めることとしました。
一方、チャンドラ氏のゲストハウスで、アチェ州から帰還した技術者達や支援団体の人々の話を聞きましたが、その被害は酷く海岸から数KMは杭以外何も残っておらぬ状況で、バルカン半島やアフリカなどで戦後復興を支援して来た技術者や国際救助隊の人々が口を揃えて、「あんなショッキングな光景は初めて見た。」「鉄筋コンクリート建てのビルでさえ杭しか残っていなかった。」と言っていました。地震で倒壊した建物を津波が襲い全てを流し去ったと言うのが、実状のようです。また、「遺体の多くの首が行方不明で、身元確認の為に親指の第一関節を採取した。」(沢山の写真を見ましたが、首の無い遺体や水を含んだり、腐敗して顔も手も足も酷く膨れ上がった遺体は本当に惨いものです。)そして、津波は海岸から7KM内陸まで、到達したと言います。被災現場の多くの写真は広島や長崎の爆心地の状況を思わせるもので、自然の破壊力に唖然とするばかりでした。
今回出発前から基本的にアチェ州入り予定はなかったのですが、帰還した外国支援団体の人々から、「アチェに行く世界からの支援者で空路・陸路とも一杯で大混乱している。また支援者もその半分程度が組織化されておらず、逆に現地の活動に支障を来たしている。そして、十分な宿泊施設もなく、野宿或いは狭い部屋に5~6人がベッドもなく泊まっている。やむを得ず民家を借りたが一泊200ドル以上も取られた。また、道路も寸断されたり、洪水によって3Mも水の溜まったところがあり、200~300KMを10数時間かかって行かなければならない。」と聞き、「あわよくばアチェへ」の考えも捨て去りました。お話した全ての人が、私の計画の賛同してくれ、「もしアチェに行くなら、2~3ヶ月経って救援の人々が現地に行かなくなり、地道な支援の必要とされる時にすべきだ。」と言いました。(個人的には何とか3月中に行きたいと考えております。)
そして翌日から、避難民のキャンプや学校や寺院での情報収集に努めました。20日には合田氏と二人でキャンプを訪れ、詳細な状況と彼らの希望を聴取しましたが、屋根だけついた避難所の人ごみと暑さは大変なもので、私もダウン寸前になりました。食料は支援団体により十分支給されているとの事でしたが、1700人のうち500人しか就学出来ていないし、夜は近所の家に居候して、折り重なって眠っているとの事でした。アチェの混乱状態から、帰還するにも1~2年はかかると考えられ、学校と住居の建設が緊急に必要とされます。学校や寺院の日曜学校での子供達の顔には笑顔が見られましたが、一人になったり気を抜くと茫然自失の顔になったり、悲しい顔をする子供達が多く、傷の深さを強く
感じました。女房(ジャズシンガーうしじまあおい)のコンサートで皆さんから頂いた募金とCD売り上げの一部の募金合計1200ドルを当面の学用品購入費用に寄付してまいりました。
25日から27日までスリランカに参りましたが、スリランカも震源地から2千5百KM以上も離れているにも拘らず、津波は東岸から1~1.5KM内陸に到達、同時に西岸のコロンボ近くの海岸まで到達し、海辺の家屋を破壊し、ここにも甚大な被害をもたらしました。私もコロンボから120~130KM離れた被災地を訪れましたが、ブロックやレンガ作りの家屋がばらばらに崩れ去っていました。本当に恐ろしいことです。スリランカではNESTと言う心身障害者支援組織が私達と協力して支援活動(東岸に100軒の村を10建設。まずそのモデル村をコロンボ郊外に建設する。そのうちの学校建設を私達が支援する)に当たってくれることになりましたが、このNESTはバンダラナイケ大統領の知恵袋と言われる言語学者のARJUNA HULUGALLE氏の奥様のSALLY HULUGALLEさんが主催しており、組織力・内容・信頼度共申し分のないもので、有効に活動できると確信しました。また、ARUJUNA HULUGALLE氏から自立する村"VILLAGE KINGDOM"構想を、彼の友人のモラトワ大学学長Ray Wijewardene博士からは"Dendro Energy"(20種類の木を植林し、その枝をチップにし、ガス化して小規模発電を行う)に関するご高説を伺い、大いに感動しました。これらは熱帯・亜熱帯地域の自立に非常なる力となるだけでなく、日本の地域コミュニティーの自立にも大いに役立つと考えました。(この話は、また別の機会に詳しくお話したいと考えます。)
旅の終わりに息子のいるプーケットにも2日行って参りましたが、津波が嘘のように平穏で綺麗で、疫病の恐れなど皆無のようでした。既にヨーロッパ人も多く訪れるようになっており、日本の観光客が多く訪れることが、被災者の供養にも現地の人々への支援にもなると考えました。
私は上記の支援により、インドネシアとスリランカの子供達の傷ついた心のケアが少しでも多く図れることを切望します。今回の津波は未曾有の悲劇的災害ですが、これをきっかけに国際社会が協調し、アジア諸国の一体化が進み、一方全ての人々が自然保護を真剣に考えるようになることを心から願います。私は、その為の小さなかけ橋になる考えです。
これから、当地の音楽、教育、宗教、企業、華僑関係者からの募金活動およびチャリティーイベントを行います。既に津波発生から一ヶ月半が経ち、容易ではないと考えますが、現地での信頼できるネットワークと具体的なプランがあるので、各方面の方々からのご支援が得られるものと考えています。
皆様の暖かいご支援を心よりお願い申し上げます。
振込先
福岡銀行 赤坂門支店 普通口座 1761137
明日のアジアにかける橋 九州事務局 代表 山口実
―以上―
「インドネシアとスリランカの子供達に愛を!」
NGO 明日のアジアにかける橋 九州事務局代表 山口実合田真氏と私は去る1月18日から2月1日まで被災児支援ネットワークを構築する為に、インドネシアとスリランカをと訪問しましたので、その結果をこの紙面をお借りしてご披露いたします。
まず、1月19日から24日までインドネシア・アチェ州隣接の北スマトラ州の州都メダンを訪問しましたが、メダン空港はヨーロッパを主とした各国の支援団体の人々で一杯でした。入国管理もままならずマレーシアからのFLIGHTも2時間近く遅れました。人口230万人とは言え、普段は静かなメダン市街が外国の人々で溢れかえり、ホテルの宿泊料金も倍以上となっていました。
私はメダンに三井物産の事務所長として4年半駐在した経験があり、地元企業の有力者と懇意で、そのリーダーたるタンスリ・チャンドラ氏(地場の企業家で、華僑インドネシアビジネス会議の代表。私の無二の親友)のゲストハウスに泊まることが出来、初日から私達を歓迎する昼食会に集まってくれたメダンの人々と情報を交換しました。彼らの話ではアチェ州からメダンに避難してきた華僑系のインドネシア人がMETALと言う地区に数多くおり、その中に2000人近い子供もいるとの事でした。私達が被災児支援の計画を申し出たところ、チャンドラ氏(地場の企業家で、華僑インドネシアビジネス会議の代表。私の親友)も同様の考えで、お互いに協力することで合意しました。インドネシアでは、華僑系の国民がビジネスをリードしている反面、このような災害や騒乱の時には後回しにされる傾向にありますから、私達が支援することに大きな意味はあると考えましたし、私がメダン駐在中に築いた人脈がフルに活用できると判断しました。具体的には、学用品の手当て、メダンでの学校の拡張工事・被災児の寮の建設(建設費は土地代含め約50㎡あたり 100万円)を支援することとし、メダン事務局をチャンドラ氏経営のホテルに置き、チャンドラ氏の次男のジェヌア・チャンドラ氏が勤めることとしました。
一方、チャンドラ氏のゲストハウスで、アチェ州から帰還した技術者達や支援団体の人々の話を聞きましたが、その被害は酷く海岸から数KMは杭以外何も残っておらぬ状況で、バルカン半島やアフリカなどで戦後復興を支援して来た技術者や国際救助隊の人々が口を揃えて、「あんなショッキングな光景は初めて見た。」「鉄筋コンクリート建てのビルでさえ杭しか残っていなかった。」と言っていました。地震で倒壊した建物を津波が襲い全てを流し去ったと言うのが、実状のようです。また、「遺体の多くの首が行方不明で、身元確認の為に親指の第一関節を採取した。」(沢山の写真を見ましたが、首の無い遺体や水を含んだり、腐敗して顔も手も足も酷く膨れ上がった遺体は本当に惨いものです。)そして、津波は海岸から7KM内陸まで、到達したと言います。被災現場の多くの写真は広島や長崎の爆心地の状況を思わせるもので、自然の破壊力に唖然とするばかりでした。
今回出発前から基本的にアチェ州入り予定はなかったのですが、帰還した外国支援団体の人々から、「アチェに行く世界からの支援者で空路・陸路とも一杯で大混乱している。また支援者もその半分程度が組織化されておらず、逆に現地の活動に支障を来たしている。そして、十分な宿泊施設もなく、野宿或いは狭い部屋に5~6人がベッドもなく泊まっている。やむを得ず民家を借りたが一泊200ドル以上も取られた。また、道路も寸断されたり、洪水によって3Mも水の溜まったところがあり、200~300KMを10数時間かかって行かなければならない。」と聞き、「あわよくばアチェへ」の考えも捨て去りました。お話した全ての人が、私の計画の賛同してくれ、「もしアチェに行くなら、2~3ヶ月経って救援の人々が現地に行かなくなり、地道な支援の必要とされる時にすべきだ。」と言いました。(個人的には何とか3月中に行きたいと考えております。)
そして翌日から、避難民のキャンプや学校や寺院での情報収集に努めました。20日には合田氏と二人でキャンプを訪れ、詳細な状況と彼らの希望を聴取しましたが、屋根だけついた避難所の人ごみと暑さは大変なもので、私もダウン寸前になりました。食料は支援団体により十分支給されているとの事でしたが、1700人のうち500人しか就学出来ていないし、夜は近所の家に居候して、折り重なって眠っているとの事でした。アチェの混乱状態から、帰還するにも1~2年はかかると考えられ、学校と住居の建設が緊急に必要とされます。学校や寺院の日曜学校での子供達の顔には笑顔が見られましたが、一人になったり気を抜くと茫然自失の顔になったり、悲しい顔をする子供達が多く、傷の深さを強く
感じました。女房(ジャズシンガーうしじまあおい)のコンサートで皆さんから頂いた募金とCD売り上げの一部の募金合計1200ドルを当面の学用品購入費用に寄付してまいりました。
25日から27日までスリランカに参りましたが、スリランカも震源地から2千5百KM以上も離れているにも拘らず、津波は東岸から1~1.5KM内陸に到達、同時に西岸のコロンボ近くの海岸まで到達し、海辺の家屋を破壊し、ここにも甚大な被害をもたらしました。私もコロンボから120~130KM離れた被災地を訪れましたが、ブロックやレンガ作りの家屋がばらばらに崩れ去っていました。本当に恐ろしいことです。スリランカではNESTと言う心身障害者支援組織が私達と協力して支援活動(東岸に100軒の村を10建設。まずそのモデル村をコロンボ郊外に建設する。そのうちの学校建設を私達が支援する)に当たってくれることになりましたが、このNESTはバンダラナイケ大統領の知恵袋と言われる言語学者のARJUNA HULUGALLE氏の奥様のSALLY HULUGALLEさんが主催しており、組織力・内容・信頼度共申し分のないもので、有効に活動できると確信しました。また、ARUJUNA HULUGALLE氏から自立する村"VILLAGE KINGDOM"構想を、彼の友人のモラトワ大学学長Ray Wijewardene博士からは"Dendro Energy"(20種類の木を植林し、その枝をチップにし、ガス化して小規模発電を行う)に関するご高説を伺い、大いに感動しました。これらは熱帯・亜熱帯地域の自立に非常なる力となるだけでなく、日本の地域コミュニティーの自立にも大いに役立つと考えました。(この話は、また別の機会に詳しくお話したいと考えます。)
旅の終わりに息子のいるプーケットにも2日行って参りましたが、津波が嘘のように平穏で綺麗で、疫病の恐れなど皆無のようでした。既にヨーロッパ人も多く訪れるようになっており、日本の観光客が多く訪れることが、被災者の供養にも現地の人々への支援にもなると考えました。
私は上記の支援により、インドネシアとスリランカの子供達の傷ついた心のケアが少しでも多く図れることを切望します。今回の津波は未曾有の悲劇的災害ですが、これをきっかけに国際社会が協調し、アジア諸国の一体化が進み、一方全ての人々が自然保護を真剣に考えるようになることを心から願います。私は、その為の小さなかけ橋になる考えです。
これから、当地の音楽、教育、宗教、企業、華僑関係者からの募金活動およびチャリティーイベントを行います。既に津波発生から一ヶ月半が経ち、容易ではないと考えますが、現地での信頼できるネットワークと具体的なプランがあるので、各方面の方々からのご支援が得られるものと考えています。
皆様の暖かいご支援を心よりお願い申し上げます。
振込先
福岡銀行 赤坂門支店 普通口座 1761137
明日のアジアにかける橋 九州事務局 代表 山口実
―以上―