味わい、見よ、主の恵み深さを。(詩編34編8節)

 

息子はイオンモールに行くと、決まって試食コーナー巡りを始める。理由はタダだから。

 

定番ルートは、まず久世福で「出汁」を嗜む。色々飲み比べる様は、さながら和食料理人だ。付き添う僕も店員さんにオススメの調理法などを聞きながら、さも興味を持っているかのように振る舞う。そこではチップスも頂く。りんごに、ごぼう、かぼちゃ、食物繊維をしっかり取る。

 

メイン(肉系)はさすがに、昨今見かけなくなった(昔はよくウィンナーとかあったんだけどな...)。そこでフードコーナーでぶっかけうどんを頼み、無料トッピングをこれでもかとのせる。さすがにここで金を使う。

 

食い終わったら、デザートだ。蜂蜜コーナーへ。甘味でスイーツ気分を味わう。

 

〆はアイス。サーティワンの前をうろつき、スプーンで味見をさせてもらう。

 

迷いなく足を進める奴の背中を直視できない...なんか辛い。

 

「味わい、見よ」と詩人は言う。

 

頭で知っていた。恵みは味わうものだと。でも僕は、いつの間にか「味わい方」を気にするようになっていた。マナーとか、場の空気とか、他人の目とか。

 

息子にはそれがない。ただ、美味しそうだから行く。もらえるから、もらう。それだけだ。

 

神の恵みって、もしかしたらそういうものかもしれない。値段を確認して、ふさわしいかどうか考えて、遠慮して——そういう大人の作法を、神は求めていない。ただ来い、と言っている。味わえ、と。

 

迷いなく歩く息子の背中は、僕が忘れていた何かを知っていた。

 

僕はというと、最後カルディーで試飲コーヒーをいただきフィニッシュ!