このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。(ヨハネによる福音書6章66-67節)

 

 初めて教会に来た人が、帰り際に「また来ます」そう言ってくれることがある。文字通り受け取れば、これほど嬉しいことはない。でも経験上、そういう人はほぼ来ない。だからいつしか僕の頭の中では「また来ます」が「もう来ません」に自動変換されるようになった。

 

 イエス様が「わたしは命のパンである」と教えた時、多くの弟子たちが「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言って去って行った。そんな人たちを、イエス様は追いかけも、引き留めもしなかった。それどころか、残った十二弟子にこう言われた。「あなたがたも離れて行きたいか(なんならお前らも、行ってもええで)」と。これは何という自由だろう。

 

 「また来ます」と言って去る人の多くは、「何か違うな」と思ってのことだろう。それは悪いことではない。正直なことだ。問題があるとすれば、教会側が「また来ます」を期待に変えてしまうこと。「あの人、また来るって言ったのに」と思ってしまうこと。イエス様は去る人を追いかけなかった。なぜなら、信仰は強制されるものではないからだ。

 

 妙に聞こえるかもしれないが、教会は「また来なくてもいい場所」でなければならない。来ても来なくても、あなたは神様に愛されている。追いかけられない。プレッシャーをかけられない。そういう安心感があるから、本当に必要な時に戻ってこれる。イエス様でさえ、去る人を追いかけなかった。ならば私たちの教会も「また来ます」という言葉を、感謝として受け取ろう。そして、静かに待とう。追いかけずに。