哀悼 うずらくん | ほとんどネコ生活

ほとんどネコ生活

ネコたちとのHappyLife

今日は皆さんに聞いていただきたいことがあります。
今までブログに書いたことのないお外で暮らすある子猫と私たち夫婦の悲しいお話です。
今ご家族を亡くされたばかりで、お辛い気持ちでお過ごしの方は、どうぞご遠慮なくスルーしてくださいませ。

隣町のお蕎麦屋さんの敷地内に棲みついた野良猫ちゃんたちの中で、うちの妻が一番可愛がっていたシャム柄の男の子"うずらくん"が1月7日、輪禍によりわずか9か月の短い命を全うしてお空に昇っていきました。
野良猫から地域猫になりかけていた猫ちゃんたちは総勢8にゃん。
みんな血の繋がったファミリーです。
お蕎麦屋さんのご自宅は遠くにあり、そこは店舗だけの建物なので夜中から朝にかけては毎日無人になります。
当然週一の定休日も人はいません。
最初にそこにやって来たお母さん猫は胎児を孕っていたので、お蕎麦屋さんの大将と女将さんは見るに見かねて別棟の倉庫の片隅に寝場所を作り、フードとお水をあげていたそうです。
それがきっかけとなり、そこに居着いた母猫は出産を繰り返してあっと言う間に8にゃんファミリーになってしまいました。
大将は「俺はいつも女房とここで働いているし、家にはもう3匹もいるのでこの子たちを連れて帰ってやるわけにはいかないんだよ。だけど可愛そうで追い出すわけにいかないからよ…」と少し困り顔で話してくれました。
女将さんは、飼い猫でもないそのファミリーにケガをしたり体調を崩した猫ちゃんがいたら動物病院に連れて行ったり、お店が休みの日にはお腹を空かせていたら可愛そうだからと、必ずわざわざごはんとお水をあげに来るとってもやさしい方です。
猫ちゃんたちはお店の入り口や駐車場で思い思い自由に行動していました。
私たち夫婦は今から遡ること約5か月前から、週末は必ずそのお店でお蕎麦を食べに行くようになりました。
中でも一番人懐っこいうずらくんは妻が近づくと自分から近寄って来て抱っこをせがむようになっていました。
うずらくんは一見オッドアイに見えますが、じつは生まれながらにして右眼の視力が失われていたようです。
大将は「うずらを連れて帰りたいと言うお客さんはたくさんいるんだけど、目の話をするとみんな諦めちゃうんだよ。それでもいいという人にかぎってちゃんとろくに世話もできない無責任な人だったりするからね。そんな人に譲るくらいならここでみんな仲良く暮らせた方がまだ幸せだから」と言っていました。
私たちはそこに訪れた束の間の時間に、いつもうずらくんたちから幸せを貰っていました。
そこにいる8にゃんはみんな仲良しでお店の玄関先や駐車場でじゃれあっていました。
外敵に襲われたり車に轢かれたり病気に罹ったりしなければ、家猫よりもみんながもっと自由で楽しく暮らせる場所だと思いました。
夏の日の雨上がり夕方、8にゃんが駐車場で楽しそうに遊んでいる姿を見た時、私はこの子たちはここで暮らしていることが本当に幸せなんじゃないか?という思いにさえもなりました。
まさにその時、なぜか私は感動で涙が溢れていました。
私の目にはそこにいた8にゃんが美しく光り輝いて見えたのです。

しかし、それから数ヶ月のうちにファミリーのふたりのにゃんこがお店の前の県道で立て続けに車に轢かれて亡くなってしまいました。
駐車場に落ちた枯葉が風邪で飛ばされるのを追っているうちに道路に飛び出していくことがよくあったそうです。
その中にはうずらくんの兄弟もいました。
大将は誰か優しい人がもらってくれるまで、避妊や去勢手術をしないと…と言いながらも、なかなか行動に移せないままに時が経っていきました。
私も保護猫活動をされている知名度の高いNPO団体に相談してみましたが、期待していた対応はお願いできず、すでに餌付けをしているなら責任を持って育てるべきと諭されてしまいました。

その時から私と妻はうずらくんをわが家の三男として迎え入れることを考え始めました。
しかしよく考えてみると実現させるためにはたくさんのハードルを越えて行く必要がありました。
なぜなら、わが家には先住のボンとクーという無二の存在があるからです。
当然FIVやFeLV検査を行わなければなりません。
女将さんは「もし陽性だったらまたここに戻してくれればいい」と言ってはくれましたが…
検査結果が晴れて陰性だったとしても、心臓に先天性の疾患があるボンといまだにストルバイト結石症が完治していないクーをケアしながら、もし迎えたうずらちゃんが病気になったとしたら…
しっかりと大家族でお暮らしの皆さんにはこんな言い訳は情けないかもしれませんが…
私は日中仕事に出かけているので、妻が担う労力は2+1=3では済まないかもしれない。
私たち夫婦は真剣に悩み考え抜き、かかりつけ医の先生にも相談をしてきました。
そして年明けの1月3日、氏神様に初詣に行った時、私の引いたおみくじに「悩み事はすぐに決断すべし。すべて上手くいく」と書いてあるのを見てやっと決断することができました。
よし、うずらくんを迎えに行こう!
お蕎麦屋さんは私の仕事始めと同じ4日月曜日からの営業だったので、私が休みになる9日の土曜日に行って、大将と女将さんにまずうずらくんを引き取らせてもらうことの了解をもらおう!
そして動物病院に検査予約を入れて虫くだしや蚤取りをお願いしよう!
去勢手術もお願いしよう!
見えない右眼のことも詳しく調べてもらおう!
かかりつけの病院はペットホテルとトリミングサロンも併設しているので、うちに迎える前にシャンプーや爪切りもしてもらおう!
そこまで妻と話し合って迎えた土曜日の夕方、私と妻は心を弾ませながらお蕎麦屋さんを訪れました。
駐車場に車を停めた時、いつも出入り口の横に置かれた発泡スチロールの箱の中にいるはずのうずらくん姿がありませんでした。
「あれ?うずらくんがいないなぁ…」
と言いながら暖簾をくぐり引き戸を開けてた時、大将が真っ先に出てきて私たちにうずらくんの訃報を告げました。
「新年早々本当に悲しいお知らせなんだけど、一昨日うずらが…」
うずらくんは二日前のその日、朝からいつもと様子が違っていたそうです。
お店の前の県道は片側1車線の見通しのよい直線で40キロ制限なのに殆どの車は60〜70キロぐらいで飛ばしている危険な道路でした。
臆病なうずらくんは普段ほとんど道路に近寄らなかったのですが、その日は道の先に何かを見つけたようでずっと道路脇に立っていたそうです。
大将が危ないからと抱き上げると、その日に限っておとなしいはずのうずらくんはいつになく暴れて抵抗したそうです。
お昼過ぎにお店が忙しくなっていた時、常連さんの方が店の外の異変に気付き外に出てみると道路にうずらくんが倒れていたそうです。
その方もお店に来てはいつもうずらくんを可愛がっていた人なので、すぐに抱きかかえ大将と女将さんを大声で呼びましたが、もううずらちゃんは息はなかったそうです。
私たちは言葉を失い、妻はその場でうずくまり声を上げて泣き出してしまいました。

今は私もどうしても溢れてくる涙を止めることができません。
ただうずらくんたちを可愛がっている時間があったら、こんなことになる前に私たちはもっと早く決断するべきでした。
少なくとも年末までにうずらくんを引き取っていればこんな不幸は起きなかったのに…
悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいです。

ごめんなさい
本当にごめんなさい
うずらくん

従姉妹にあたる茶トラのデレちゃん♀ととても仲良しでいつもふたりでくっついていました。
大晦日に蕎麦屋さんの入口で妻が撮ったこの写真が最期の一枚になってしまいました。

翌日女将さんが近くの動物霊園にうずらくんを葬ってくれました。
妻は早く決断できなかった自分を責め、今も悔やみ続けています。
日曜日に妻と私はうずらくんに手紙を書き、うずらくんが眠る動物霊園に行き、合同慰霊碑に花を供えながら、やっとの思いでお別れの言葉を伝えてきました。

今そしてこれから私たちができることは、ずっとうずらくんを忘れないでいること。

この世でうずらくんはボンとクーの弟にはなれなかったけど、私たちの心の中でずっと生き続けるのです。

うずらくん
もしよかったら、天国のちょっと手前にある虹の橋のたもとで、こんな私たちを待っていてくれるかい?

私は悩んだ末にこのことをブログに書くことにしました。
最後まで読んでいただいた皆さんに"うずらくん"という猫ちゃんがいたことだけでも知っていただきたかったのです。

私自身気持ちの整理がついたらまた再開しようと考えています。