私のルーツ | ほとんどネコ生活

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皆さまへ
この度、たくさんの「いいね」そして心温まるおくやみと励ましコメントをいただきました皆さまに、心から厚く御礼申し上げます。
本来ならば、おひと方ずつにお返事を申し上げるべきでありますが、喪中につきなにとぞこの無礼をご容赦いただきたく謹んでお願いいたします。

亡き父は一昨日荼毘に付され、兵庫県三田市の霊園にある当家の墓に静かに埋葬されました。
三田(さんだ)市はもともと当家に縁のある場所ではありませんでしたが、大阪市内のお寺の狭い墓地から父と父の弟妹でこの地の霊園にお墓を移しました。(大阪市の中心部から車で1時間半以上かかる場所にあります)

話は変わりますが、昨日遺品整理をしていたところ、父が入院先の病室に持ち込んでいたという手帳が見つかりました。
勉強熱心だった父の手帳には細かな字で様々な単語や言葉がびっしり書き記してありましたが、そこに一枚の写真が挟んでありました。
ピンボケですが間違いなく私の幼い頃のモノクロ写真です。
今となってはなぜこの写真が父の手帳に挟んであったのかわかりませんが、私は胸がジンと熱くなってしまいました。
そして父の訃報を知らせるため、ここ数年音信不通になっていた父の末弟(私の叔父)の家を遠い記憶を頼りに訪ねに行きました。
そこは兵庫県西宮市。
阪神電鉄西宮駅から北に向かって国道2号線を渡ろうとした時に、ハッと思い出した私の出生地。
その場所には今もその産婦人科病院が存在していました。
私の記憶の限りでは、たしか木造2階建ての立派な建物でしたが、今はまったく当時の面影はなくなり大きなマンションの低層部にあたる一部分にその姿を変えていました…
「あぁ、60年前の2月に私はここで産ぶ声を上げたんだなぁ…」
思わずなんとも言いがたい気持ちになってしまいました。
これも父が仕組んでくれた感慨深い思い出づくりなのかもしれません。
しかしそこから数百メートル離れた場所にあった叔父の家は既に無くなっており、住宅地にポッカリと空いた更地になっていました。
兄と私は何とか消息を尋ねようと近くの喫茶店に入りました。
そこでわかった事は…妻(私にとっての叔母)に先立たれ、一人で暮らしていた叔父は1年以上も前に既に他界していたのです!
兄と二人、かなりショックを受けたまま叔父の家のあった空き地に戻り、しばらくの間合掌して来ました。

明朝、私は新幹線に乗ってボン猫とクーニコが待つ❓❓自宅へ戻ります。

ではまたバイバイ

【追伸】仕事での大イベントでありました昨日の提案コンペのプレゼンは、突然私の代役に立たされた同僚がしっかりその使命を果たしてくれたおかげで恙無く無事に終了したようです。
あとは28日の結果発表を待つことになりましたが、あと1週間はドキドキハラハラの毎日が続きますアセアセ