“したい”という気持ちが、いつの間にか“しなければいけない”にすり替わる

 何かをしたいという気持ちで始めたことが、いつの間にか“しなければならない”という気持ちに変わり始める。全ての行動は “MUST” で動機付けられなければならないという無意識が、「したい」という気持ちをいつの間にか「しなければならない」にすり替えてしまう。


【継続性の感覚が一過性の感覚を覆いつくす】

 「したい」という気持ちは、一過性の感覚だ。だからすぐに冷めてしまって、他のものに興味は移っていく。一方でしなければならない」という気持ちは、継続性の感覚だ。それは感情の浮き沈みに左右されることを嫌い、ある一定の期間、継続することを要求する。相反する性質のものが知らぬ間にすり替えられてしまう現象が起こってしまえば、認識と現実の間で摩擦が生じ、脳内で混乱を引き起こす。自己認識上は、「したい」であるはずなのに、現実は「しなければならない」で動いている体。そのうちに訳の分からないことになって、「私はこれをしたいはずなんだ」と脳内で考えるようになる。「したい」という感覚が、「したいという気持ちでなくてはいけない」になるのだ。“したいこと”であるはずなのに、つまらなくなっている人は、もしかしたらこのような状態になっているのかもしれない。


【日本の義務教育からの影響】

 体を動かすことが、“MUST”によって動機づけられるべきだというルールは、日本の義務教育を受けてきた人であるなら、ほとんど誰しも、それが当然のこととして自分の頭の中に叩き込まれている。たとえそうやって動機づけられることを自分が拒んだとしてもだ。


【常にフレッシュな”したい”という気持ちでいるために】

子どもは行動に嘘がない

 大人から見たとき、子供の行動ははるかに想像を超えている。それはなぜかと言えば、“したい”という気持ちでのみ体を動かしているからだ。瞬間瞬間で変わる“したい”という気持ちに彼らは決して嘘をつかない。いや、嘘をつけないのかもしれない。こうでなくてはいけないという固執した様は一切見られない。


【子どもを手本にして気持ちを新たにする】

 “したい”気持ちを大切にしたいけれども、うまくいかないという人がいるなら、“したい”という心で100%動いている子どもたちをお手本にするのがいいだろう。また、“したいという気持ちでなくてはいけない”と自分に言い聞かせていないか逐一点検することも大事だろう。


 私もまた、“MUST”の感覚に悩まされている人間の一人であるから、子どもたちをお手本にして過ごそうと思うようになった。


YUTAKA.

#MUST #したい #したくない #やりたい #やりたくない #義務教育 #日本人の悩み


via anything & everything
Your own website,
Ameba Ownd