昨日を含めて2回、福島県の酪農家の現実を見た。
避難命令が出て、生後2時間の仔牛も殺処分したこと。
ミルクで育てた今年6歳の牛を安楽死させ、その後研究の為解剖することにも同意したこと。
震災後から今の段階で、被爆し続けた牛と、していない牛では、血液や尿の検査で差はないこと。
だからといって安全であると言い切るには時期尚早なこと。
見終わっても心にずしりと重さを残すのは、我が子同然の牛を死なす判断を選ばざるを得ない現実。
薬の説明を聞いて、『その時』にごめんね、と声をかけたお母さん。
解剖される仲間を、遠巻きに眺める牛たち。
象は、命を落とした仲間に葬式のようなことをするらしい。
牛も、しないとは言い切れない。
言葉を話さないからって、弔う感情がないということにはならない。
それに、人間の身勝手さを目に焼き付けているように見えてつらかった。
全部全部、人間の仕業。
制御できないことに手を出して、何も解決していないのに止めようとしないどころか進める一方で。
他の生き物の生死を決めるなんて、人間しかしないこと。
酪農家の方を責めてはいけない。
せめて、あの震災で害を被っていない地域の人間として、今後どうすればいいのかは真剣に考えなくては。
日本中、安全なところはないんだと思う。
毎日色んなところが揺れている。
防ぐことは出来ない。
防げるものならそれが一番だけど、地面が揺れるのは止められない。
起こったあと、どんなことが必要か、尊い命や日々の営みがたくさん犠牲を強いられたことを忘れずに、生きて、考えて、実行するのみ。
そして何より、今この瞬間に命が在る、このことに感謝を忘れずに生きていかなければ。
亡くなった人が生きられなかった明日を迎えていること、それは当たり前ではないことに思いを馳せて、3月12日も生きる。