フィギュアスケートは特殊な競技だ。
スポーツだけど、芸術。
失敗がないと思っても出来映え点があるし、転んだのに高得点が出たり。
採点があって、勝負である以上高みを望むことは必然。
そしていつも思ってたけど、選手自身の孤独感たるや..
誰も助けてあげられない領域が多いというか広いというか。
どのスポーツであれそうなんだけど、一旦始まると手を差し伸べてあげることは叶わない。
浅田真央選手は、競技者としても1人の人間としても、女性としても、背負う荷物が多すぎる。
前回のバンクーバー五輪では、フリーの曲 鐘 が、イメージに合わないとか一部に言われて銀メダル穫ったのに悔し涙で。
くるみ割り人形で愛らしくくるくる跳んだ15歳の真央ちゃんのイメージに、助けられたけど苦しんだと思うんだ。
報道で必ず晒されるから、公私の様々な悲喜こもごも、と言ってしまうのは敢えてだけど、今までのことは日本人なら知ってるはず。
ソチ五輪フリーの演技。
スポーツとは、アスリート魂とは?
孤独と向き合う姿勢とは?
自分との対話とは?
こんなこと聞いたつもりはないけれど、こんなことに応えてくれていたスケーターは浅田真央選手だけだった。
人生はドラマではなく、簡単にバラ色の恋が始まったり仕事で評価されたり
給料が上がったりしない。
家族の老いや病は止められないし、山積みのシンクのお皿や洗濯物が片づいたりもしない。
ましてや、今日の悩みが明日無かったことにはならないし、一度抱いてしまった不安はなかなか消えない。
そう、自分でひとつずつクリアにしていくしか進む道はない。
五輪の最高峰とは、メダル獲得であろう。
けれど、今きっと多くの人が浅田選手を見る時には、順位なんて考えられない。
結果は大事だけど、人は結果だけを見てるんじゃない。
3月のライオンで、林田先生が主人公に言ったセリフ。
このことなんだな、と噛みしめている。
ありがとう真央ちゃん。
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