紅茶の歴史に前記事はこちら
①お茶の発祥についての記事・・・★
②西洋人とシルクロード・・・★
③イギリスにお茶はいつ来たの?・・・★
歴史の勉強をしても、ほったらかしのままじゃ、忘れちゃうので、
ブログに記事をUPしながら、勉強させてもらいますね
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1650年にイギリスにノンアルコールを販売するコーヒーハウスができて、
一般人の中でも医者や弁護士、経営者などがお茶を飲むことができるようになってきました。(男性のみ)
1660年、王政復古により即位したチャールズ2世のもとへ、
1662年にポルトガル王家より、キャサリン・オブ・ブラガンザ がお嫁にきました。
ポルトガルは当時東洋貿易の最先端だったため、
キャサリンは、お茶、スパイス、砂糖など東洋貿易の象徴品と
インドのボンベイ、北アフリカのタンジールの譲渡権を持参金として輿入れしました
そして私邸サマーセットハウス、公邸ウィンザー城で東洋式の茶会を披露
緑茶にサフランと砂糖を入れるティースタイルを流行らせ、
「ザ・ファースト・ティー・ドリンキング・クィーン」と賞賛されました
この時代に高価なスパイスや砂糖を使ってお茶を楽しむキャサリンは、憧れの的でした
また彼女はできた女性で、夫の愛人まで茶会に招待したと言われています
でもそれは、身分の低い愛人たちを前に、自分の威厳を保つ為だったとも
チャールズ2世は、キャサリンに一目ぼれして結婚し、ずっと大切にしていたようですが、
生涯にわたって、愛人13人、子供14人作ったそうです
なんとも陽気な王様であったようですが、本妻のキャサリンには子供ができませんでした
チャールズ亡き後は、31年ぶりにポルトガルに帰郷し、弟の下で暮らしたそうです。
チャールズ2世のもとに、ポルトガルではない国のお姫様が輿入れしていたならば、
イングランドの紅茶の歴史は、もうちょっと遅かったかもしれません。
そう思うと、キャサリンは、紅茶の歴史においては外せないお妃様だったんですね
それにしても、旦那である王の女癖の悪さに苦労されたんでしょうねぇ・・・・
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