生野(朝来市)、神子畑(朝来市)、明延(大屋町)は鉱山産業によって町が形成されてきた地域で、これら鉱山遺跡を組み合わせて「鉱石の道」として観光地化されています。
生野(朝来市)と神子畑(朝来市)に点在する日本の近代化を支えた産業遺産を見に行きました。
生野ダム
生野銀山にちなみ銀山湖と呼ばれる
西日本随一の釣り場
生野銀山
戦国時代に発見され、昭和48年まで1200年の長きにわたって採掘が続けられた
手掘りの時代があったんですね。
すごすぎて言葉がない。
当時の作業の様子をマネキンで再現されているのですが
このマネキン、それぞれお顔が違うんです。
地下アイドルとなり、人気投票も行われています。
街中に残るトロッコ軌道跡
神子畑鋳鉄橋
「鉱石の道」の一部遺構
日本に現存している全鋳鉄製の橋としては最も古いもの
羽渕鋳鉄橋
「羽渕のめがね橋」の愛称のある鋳鉄製二連の美しい洋式の橋
神子畑選鉱所
山向こうの「明延鉱山」で採掘された鉱石の選鉱所
鉱石をその比重や浮力を利用して亜鉛、銅、錫に選鉱
東洋一の生産高を誇っていた
ムーセ旧居
明治時代にフランスより招かれた鉱山技師の居宅
一円電車
神子畑と明延を結ぶ約6キロの鉱山鉄道
運賃1円だったことから「一円電車」の愛称で親しまれた
昭和27年~昭和60年までの33年間運行、片道30分、客車2両で定員約40人
選鉱場の仕組みは科学なのか化学なのか、鉱山産業はなかなか理解が難しいです。
帰路に福崎町の古墳2基に立ち寄りました。
東新田古墳
通称「ツブレ塚」
直径約16mの円墳
東広畑古墳
復元古墳
直径約16mの円墳
畑の真ん中にポツンと残された2基の古墳でした。
ありがたや~
産業には発展と衰退があり、資源には限度があるということですね。
鉱山遺跡は大人の社会科見学みたいで勉強になりました