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blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

        

青木志貴ちゃんのファッション・ブランド。「グリーン・アイド・モンスター」です。

       

 【GEM】私のプロデュースブランドのお洋服を紹介させてください。       

 

 

 

       

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関白宣言 さだまさし 

 

 

 

僕の心は板の上で晩餐を取るのが難しい。夕暮れ時の街で、僕の考えて居る事が何であるかを知るために全世界は休止せよ。僕の休暇はもう数刻で終わる。僕はそれを考えて居る。明日は不眠のまま外に出掛ける。僕は僕の心が居ない間に、世界の方々で起きる事が許せないのだ。だから夜は殆ど眠らない。眠るものたちは赦すものたちだ。神はそんものたちを愛撫する。そして愛撫するものはひょっとすると神ばかりではない。君の女も雇い主も、破局を好まないものは神経に幾らかの慈悲を垂れるに違いない。幸せはそんな処に転がって居る。たれが自分を無残と思わないで生き得たか。僕は今も傲慢な廃人であるから、僕の目は僕の心の中に落ち込みそこで不満を訴える。生活は苦しくなるばかりだが、僕はまだ匿名の背信者である。僕が真実を口にすると殆ど全世界を凍らせるだろうと言う妄想によって。僕は廃人であるそうだ。おう、此の夕暮れ時の街の風景は無数の休暇で立て込んで居る。街は喧騒と無関心によって僕の友である。苦悩の広場は僕が1人で地ならしをして、ちょうど僕が入るにふさわしいビルデングを建てよう。大工と大工の神話は要らない。不毛の国の花々。僕の愛した女たちお別れだ。僕の足取りは確かで銀行の裏路、汚れた街中を散策する。僕は秩序の密室を知って居るのに、沈黙を守って居るのが唯一の取り柄である患者だそうだ。要するに僕を恐れるものは僕から去るがいい・・・・・・。

 

Yohji Yamamoto: “Designing men’s clothing is very difficult for me” | V&A 

 

 

 

 

 

やれる事をやれる年代にやれないと悲惨ですよ。最近、私の髪型を見て居て色々と思う処がある人が居る見たいだ。前のblogで書いたが、概ね50代の女性からはよく思われる事がある。此間も言ったが、勧誘のおばさんとか、側に居るおばさんから「長髪が良いですね」と言われる。何故なら彼女らが青春時代はまさにロックの全盛期で、ハードロック。ヘビメタ。とかを聴いて居た世代だからだ。最近の若い人もロックが好きな人は長髪が悪いとは言わないが。大体が若者は今時だが矢張り皆、長髪が多い。冒頭に言ったが、やれる事をやれる時にやれて居ないと後から幾ら後悔しても遅いですよ。私は20歳ぐらいまでは長髪だったけど。それ以降は一応は親父の会社だと言え、食品の材料の会社だったから。髪を長く伸ばしたくても伸ばせなかった。確かに初めのうちは会社でも高校中退の男で髪を後ろに束ねて縛って居る男も居たが。親父やら親父の兄貴は別段それを咎めはしなかったが。従兄弟が突然全社員にサラリーマンカットにしろと御触れを出した。笑ってしまうが彼は自分は会社勤めをして居て。会社の厳しい研修をして居ると言い張って居て、それを誇りとして居た。

 

だから私が統合失調症の薬で言葉をなまって言って仕舞ったりすると「あう〜あう〜か?この低脳やろう!!」と人を目一杯バカに仕出した。自分は大学の頃に「棒」と言う字が読めなくて書けもしなかったのにだ。私が小学校3年生の頃だ。従兄弟の家に行ってステレオを掛けて、ラジカセにレコードを録音させて貰いに行った時だ。彼が丁度アナウンサー部に居て、アナウンスでナレーションを冒頭に録音してやると言うので頼んだら、「マカロニ・ウエスタン/テーマ曲大全集」と言うレコードを録音したのだが、冒頭の2曲目の「荒野の用心棒」のテーマ曲を読み上げようとして「荒野の用心・・・・。用心・・・・。」私が何だろと思って居たら。「○ちゃん?此の字なんて言うの?」と訊いて来たのだ。私は何だろと思い。「あきちゃん!!棒でしょ?」と言ってもよく解らない。だから棒切れの棒ですよ???」と言ったら「此の字、棒(ぼう)って言うの???」と訊いて来て、呆れた事があった。当時、私は小学校3年生で、彼は大学1年生だろ?笑い話では済まされない。そんな事すら知らないのだ。よしんば「棒」と言う字が知らなくても文字文脈の前後から考えて読めば「ようじんぼう」と読めるはずだ。

 

会社で一度、従兄弟から止むを得ず120円を借りた事がある。その時に、私はノートの切れ端で借用書を作って。借賃が120円有ると書いた。そしたらどうやらこの「有る」と言う漢字が解らなかった見たいだった。前に彼は私をバカにして「大学は本当には入って居ないのだろう?嘘をつくな本当のことを言え」とか言ったり、自分の出た「明治学院大学は優秀な大学だぞ。え〜〜!!皆んな!!」と中卒や高校中退者に威張って言って。私に大体どこの大学に行ったんだと聞くから「拓殖大学ですよ」と言ったら「けっ!!低脳のバカが行く大学だなぁ!!」と言って居た。なるほど・・・・・。私は「明治学院大学は、そんなに有名校の名門で偏差値が高い大学なのか?ふむふむ.....。」と感心した。彼はド演歌しか聞いては居なかった。冒頭に言ったが人はやれる時に吸収出来る時にして居ないと、後々苦労する事になる。ロックを聴かないのは。嫌いなのは好みの問題だから、別に良いとは思うが。最低限のバンド名ぐらいは知って於か無いと人との会話が成り立た無いであろう。

 

例えばビートルズとローリング・ストーンズ。此のぐらいは知って居無いとね。例え聴いて居なくても名前ぐらいは知らないと?まあ、他にもフェイセス。キンクス。アニマルズ。ヤードバーズ。ビーチボーイズだとか1960年代から活躍して居たバンドは数限りなく居る。前に会社でスーパーの「いなげや」のピッキングをして居た頃だ。版重にイーストとかショートニングやら缶詰を入れて置く作業をして居たら。まあ、私はレッド・ツェッペリンの「天国への階段」やらケート・プッシュの「嵐が丘」を聴きながら作業をして居たのだが。従兄弟がやって来て「こんな雑音のロックなんざ聞くな!!」と怒鳴るのだ。私は言ってやった「「ゼップ」の「天国の階段」が雑音ですか?」すると「ロックなぞ皆同じ雑音だ!!」と叫んで居たが。私は知らん振りをして、構わずに聴きながら作業を続けて居たら。「音楽はな演歌だけが良いんだ!!」と何か言いたそうだったが。私は止めなかった。すると苦虫を噛み潰した顔をしながら居なくなった。彼は全共闘世代だ。彼らの世代が「「ゼップ」ことレッド・ツェッペリン」の事は本当は詳しいはずなのだ。これも学ぶ時に学んで居ない例だろう。

 

Kate Bush - Wuthering Heights - Official Music Video - Version 1 

 

 

 

 

Stairway to Heaven - Led Zeppelin (lyrics) Released: 1971「天国への階段」レッドツッペリン【和訳】 

 

 

 

 

 

1970年代から1980年代当時は、ブルースマンとロッカーは対立していた、そう昔イギリスでモッズとビートニクが対立して居た様にだ。モッズ (ModMods、Modernism or sometimes Modism) は、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す。ロンドン近辺で発祥した。モッズ・ファッションとしてよく連想されるものとして、髪を下ろしたMod Cut、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーで装飾されたスクーターなどがある。1951年にアメリカ軍に採用されたミリタリーパーカー(M-51)は、モッズの人々に愛用され、「モッズ・コート」(「モッズ・パーカ」とも呼ぶ)として知られて居る。

 

モッズは衣服や音楽に興味を示し、彼らが好んで聴いた音楽はアメリカのレアな黒人音楽、R&Bやソウル・ミュージック、ジャマイカのスカ(多くのスカのレコードを出したレコードレーベル名により、ブルービートとも呼ばれる)などであった。またイギリスのグループとしてはザ・フー、スモール・フェイシス、キンクス(ただし、レイ・ディビィスはモッズを嫌って居たと言う説がある)、スペンサー・ディビィス・グループなどが好まれた。ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズ・ファッションをして居たがマネージャーの指示によりモッズ・ファッションでデビューした。1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称を、ビートニク(Beatnik)と呼ぶ。生年で言うと、概ね1914年から1929年までの、第一次世界大戦からから狂騒の20年代までに生まれた世代に相当する。最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・キングバーグそしてウイリアム・バロウズを初めとするビート・ジェネレーションの作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られる様になった。

 

そしてこの2つのジェネレーションは仲が悪かった。それと同じことが1970年代の後半から1980年代の日本で起きて居た。はっきり言って仕舞えば、ロックを聴いている連中ないし評論家はブルースを敵視して居たのだ。例を挙げれば1970年代当時、仕事中にラジオを付けたら、丁度、永井隆と上田正樹と柳ジョージと成毛滋の対談をやって居たのだが、司会者があからさまに永井と上田にキツく当たり、柳ジョージとかには優しく接しているのだ。そして黒人のブルースとそれのカバーのロックで演奏して居る曲を交互に掛け、黒人のブルースは音楽的に成って居ない。劣って居る。ロックの方が上手いのだと言う。そう言う偏見があった時代でした、私に言わせれば、安易なロック・バンドしか知らないから、黒人のエネルギッシュに溢れたブルースやらR&Bは良く無いと差別されて居たのでしょうね。。。

 

 

 

私もやれる時代にやれる事をして来なかった、と言うか。私の場合は障害のために薬で頭を塞がれて居て。何も興味を持てる様な事には慣れなかった。ただ1980年代の一番薬が強い時に。ビデオテープとレーザーディスクを購入して映画だけは見て居た。後アニメだ。不思議とドラマは見なかった。何故なら、何時も夜は8時に寝て仕舞うので、放送時間帯は起きて居なかったからだ。だからその頃に見たドラマは「大原麗子と石立鉄男主演の「雑居時代」「水漏れ甲介」ぐらいか、、「北の国から」「高校教師」も殆ど真面に見ては居ない。今はCS放送で民放のドラマは全て見られる時代だ。だから観れば見られるとは思うが。如何にせん。その放映当時の時代性が無いのですよ。だから興味が湧かない。

 

だから言うのですよ。やれる時代にやれる事をして於か無いと行けないと。私は本はよく読んだ。実は最近も6冊も書籍を購入した。しかし読んで居る暇が無いのですよ。いや正確には抗精神薬の後遺症で眠くて読書どころでは無いからです。私は今、思って居る事があります。此れからはゼネラリストの感覚を持ったスペシャリストで居ないと行けないんじゃ無いかなとね。自分がやれるうちに体力も思考もあるうちに動くうちに考えられるうちに、その時にやれうる事はしっかりとやって於くべきだろうと思います。最近のGACKT君の言葉では無いけど。「つべこべ言う暇があったら行動に移せ。まだもあと共言うなやるべき事はすぐに行動に移せ。」とよく言いますよね。

 

「知覚動考」と言う言葉があります。一般的な読み方は、「ちかくどうこう」です。これは、人が何を知ってからそれを吸収して自分でブラッシュアップして、自分の成長に繋げて行く行動パターンを示して居ます。

 

始めにこの文字を一文字ずつ考えて行きます。

「知る」

まずは、物事を「知る」と言う事です。

「知る」とは、「物事の存在・発生などを確かにそうだと認める。認識する。」や「気づく。感じとる。」と言う意味ですね。ふとした切っ掛けで何か新しい事に気付いたり、認識したりします。それをもっと知りたいと思ったとき、それは自分の成長の切っ掛けです。そして次の「覚える」に繋がって行きます。

「覚える」

なにかの切っ掛けで知った物事を、自分の頭の中に留めて置く為に「覚える」事が必要です。

「記憶にとどめて忘れないで居る。頭に入れる。記憶する。」と言う意味が「覚える」ですが、その他にも、「技術を身につける。習得する。」と言う意味もありますね。「仕事のコツを覚えて来た」などと使いますね。

「動く」

インプット(覚えた)しただけでは意味がなく、それをアウトプットしなければせっかく覚えた事がムダになって仕舞います。アウトプットする事、それが「動く」事です。動く事で「知る」「覚える」の結果が出て来ます。私などは、こうやってblog記事にする事でアウトプットになって居ますよ

「考える」

最後に「考える」です。

知って・覚えて・動いて行くと、何かしらの結果が出ます。上手く行かなければどうすれば上手く行くか、上手く言ったのなら、さらに良いものにするにはどうするか、しっかりと「考える」を行なって行くと良いですね。

知覚動考の考え方

知覚動考の順番が大切

知覚動考は順番が大切です。

 

①知る → ②覚える → ③動く → ④考える

重要なのは、この順番です。この順番通りに行うことで、よりスピーディーに自分のものにして行く事が出来ます。

 

よく勘違いされやすいのは、

 

①知る → ②覚える → ③考える → ④動く

です。

 

「動く」前に「考える」をして仕舞う事は非常に勿体無い行動です。一度考えて仕舞うと、その考えると言う行為に囚われ過ぎて行動に移せなくなって仕舞います。

 

 

これで本当にいいのかな?

 

 

もっといいやり方があるんじゃないかな・・・・。

 

 

もう一回考えて見ようかなこう言った考えに陥って仕舞い、なかなか行動に移せなくなって居る人も居るんじゃないでしょうか。知って・覚えたら、まずはやって(動く)見ましょう。その後に考えてみればいいのです。動きながら考える、が出来ればベストですね!

「知覚動考」この漢字の通りの順番で行動を起こす事が必要です。

「知覚動考」は「とも かく うご こう」と読む

「知覚動考」は順番が大切ですが、それはこの漢字の読み方にも表れています。

「ちかくどうこう」ですが、「ともかくうごこう」と読む事が出来ます。

そうです、なにはともあれ「とにかく動く」と言う事が重要なのです。

考えてばかりでは行動は出来ません。まずは必死に動いて、その結果を考え、考えた上でさらに動いて行く、と言う事が重要なのです。宝くじも「当たったらあれしよう!」と思って居るだけでは当たりません。宝くじを当てるにはまずは宝くじを買う事からでしょう!

まずは考えるより先に動いて見ましょう!

「知覚動考」でPDCAを繰り返して行く

よく言われている思考のパターンに「PDCA」のサイクルがあります。

  • P Plan(計画)
  • D Do(実行)
  • C Check(評価)
  • A Action(改善)

このサイクルを繰り返して業務の改善を促して行くと言うものです。

「知覚動考」と似て居ますね。「知覚動考」に当て嵌めるとこう言う事になります。

  • P → 知・覚
  • D → 動
  • C → 考
  • A → 考

この様に、やはり実行してから検証し改善することが大切です。

 

 

今日の夕食。。。

 

『青春』 サミュエル・ウルマン


青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめて仕舞う。

年は70歳であろうと16歳であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く 驚異への愛慕心、空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる     

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。

是等の霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば。この時にこそ人は全くに老いての憐れみを乞うる他はなくなる。青春の詩の訳には、もう一つあって、そこでは、挑戦心を失えば、20歳でも老いるとある。忘れないで。20歳で私以上に年老い、諦めを口にする様では、既に、80歳、90歳の年寄りと変わらないですから。

『青春』 サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅(くれない)の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうとも16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にと閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ希望の波を捉える限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。
 

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溜まって読めて居ない書籍。そろそろ読まないとだけども。如何せん眠い。今はもう夕食食べてコーヒー飲んだが、もう眠くなって来て居るから少し此処で寝ます。本当に薬の後遺症だと言うが、眠くて仕方が無いのですよね。いくら主治医に行っても埒が開かない。まあね、抗精神薬外すとまた、病状が悪くなると思って居るのだろうけど。私は障害の程度は中の下ぐらいの位置ですから。そんなに強い薬は必要が無いのですけどね.....。

 

 

地雷系?女子メイクに挑戦してみた。 

 

 

 

#StayHomeWithMe 一緒にお家で猫と過ごそう 

 

 

 

「よしきち」

 

1980年代の初頭、姉が結婚した旦那の実家が逗子に平屋の一軒家の別荘を持って居た。そんな関係で、逗子のその別荘に泊まりに行った事がある。6日間、夏の暑い盛りに、海水浴に逗子に行ったのだ。その別荘はなんと海から500メートルくらいしか離れて居なく。庭には海岸に居る小さなイソガニ「(磯蟹、学名Hemigrapsus sanguineus) は、十脚目モクズガニ科(旧分類ではイワガニ科)に分類されるカニの一種。西太平洋の熱帯から亜寒帯地域まで広く分布し、和名通り海岸の水際や水中でよく見られる。」が朝になると何処かから来るのか、湧いて出た。そんな別荘で、姉と旦那、そして、親父と母、私と弟とで楽しい休日を過ごして居た。

 

始めの2日程は昼は「レストラン・ラ・マーレ」と言う。正装でなければ入れないフレンチ・レストランに食事をしに行ったが。レストランに入って見たら、なんと安岡力也が美女を連れて食事をして居た。私は思わず、「安岡力也が居る・・・。」と口走った。姉さんたちは毎年、此処に来るそうで、芸能人は見慣れて居ると言った具合だった。また緩く弧を描く逗子の海岸。その西側、原生林が生い茂る小高い山の崖上に、忽然と白い城塞のような建物が建って居た。石原慎太郎さんの逗子にある邸宅だ。眼下には海が広がり、逗子と葉山のマリーナからの艇の出入りが望める。

 

姉さんの旦那と弟と私でそんな石原邸を観に行ったりして居た。夜は海岸まで出て花火をして最寄りの海の家でアイスクリームを食べた。夕方になると魚を積んだ小型トラックが来て、私たちは新鮮な捕れ立ての鯵を焼いておかずにして夕食を食べて居た。しかしこの楽しい休日も、会社で「娘の旦那の実家の別荘に行く」と親父が言った事で台無しに成った。親父の2番目の兄貴のよしきちがその話を聞き付けて、息子のさとしと共にやって来たのだ。さとしは当時18歳で生意気な奴だった。さとしは弟と同じ成蹊小学校にいたのだが中学の時に万引きをして学校を退学に成って居た。その後、彼は他の高校に行き、この頃は漫画家として生計を立てて居た。

 

よしきちは海岸に来ると、私はラジカセでジャズを海岸で聴いて居たのだが、「周りの皆んなに聞かせてやれ!!」と言う。よしきちの家では矢張り息子のさとしの兄のまさおがいつも大音響で窓を開けて、ジャズのレコードを掛けて居て。私なぞは「まさおちゃん。こんなに大音響で窓開けて聴いて居たら近所迷惑じゃない?」と心配して言うと「いいんだ、俺は近所の連中に聴かせてやって居るんだ!!」と言って居た。私は叔父さんは一体どんな子供の育て方をして居るのかと毎回、訝しく思って見て居たものだ。まさおは、下北沢にあるブルース・バー「ストンプ」を根城として居て、或る日、私に来てくれと言ったのだが、私は行かなかった。「ストンプ」は今はブルース・ギタリストでシンガーでもある近藤房之助がオーナーを務めているが、昔はブルースをこよなく愛し、以前、ウエスト・ロード・ブルース・バンドのマネージャーもされて居た正井芳幸氏が経営者だった。彼は2015年1月16日に亡くなった。

 

 

近藤房之助-Same O'l Blues.mpg 

 

 

 

 

Sweet angel 近藤房之助 

 

 

 

 

WEST ROAD BLUES BAND 

 

 

 

 

 

 

 

よしきちには妾が居て。二人の息子は妾の子だった。子供の頃、まさおは弟のさとしの頭をよく拳でぶん殴って居た。さとしはそれが元で小学生の頃はどもって居た。話を元に戻す。よしきちは、金持ちだが、私が一人で海岸で日光浴をして居ると来て、「ラジカセの音量を上げて皆んなに聞かせてやれ」と言うのだ。私は呆れてしまい黙って居たら。「〇〇よぉ〜、俺は金忘れて来てしまった。缶ビール買ってくれないか?」と言うのだ。「初めっから集るつもりなんだろう!?」と思っては居たが、買ってやって渡すと喜んで飲んで居た。そして、従兄弟のさとしは夜に成るとポーカーをやろうとトランプを持ち出した。私は拒絶してやらなかった。

 

よしきちたちは残りの3日間居た。私は親父に言った「あんたはどうして喋ったんだ!!会社で得意げに娘の旦那の実家には別荘があるだとか言ったんだろう!!」と怒鳴った。さとしは家からラジカセを持って来て居て。「ウルトラセブンの歌」。「ウルトラ警備隊のテーマ」などを掛けて来て。お前はどの曲がいいと思うと言って来た。私は特撮オタクでは無いが、ウルトラセブン挿入歌「ULTRA7」は好きな曲だったので、それを言うと「何だ、皆んながいいと言う曲が好きなんだな?」と言い「僕はウルトラ警備隊の曲が好きだ!!」とラジカセに合わせて歌い出し。「キ〜〜、ガシャン、ウルトラホーク発進〜〜!!」と身ぶりを交えて喚く。。。

 

ULTRA7(東芝レコードVer.)

 

 

 

 

明らかにおかしい?彼は18歳だ。そしてその様子を見て居た、よしきちが何とも言えない苦渋の顔で、息子のさとしを見て居た。私は自分のラジカセで当時最後のバンドとなったジャズとブルースを演奏するバンドでのライブ音源を聴いて居たら。さとしが「ケッ!!見せびらかしやがって!!」と怒鳴って居たが、構わず聴いて居た。そして5日間は過ぎた。よしきちは少しは悪いと思ったのだろうか?「後で返してくれれば良いから」とソニー製の14 型のモバイル・カラーテレビを置いて。5日目の朝にさとしを連れて高級外車に乗って帰って行った。私は要約、静かになったと思い。テレビのチャンネルを廻して見たら。丁度、「あしたのジョー2」のホセ・メンドーサ戦の最終話が放映されて居て、それを観て食事をして次の朝には自宅に帰って来た。

 

そして夏は終わり9月に成った或る日、従兄弟のまさおが天ぷらを揚げて目を離してお勝手から自分の部屋に行ったら。フライパンの火が天井まで上がり火事になり、よしきちの豪邸は燃えて仕舞った。私と弟は取り敢えず筆記用具と下着の着替えを持って見舞いに行った。さとしは焼け跡を彷徨って探し物をして居たが。まさおは私を見つけると身長185センチ体重90kgの巨体を揺すぶってやって来て。まるで他人事の様に「〇〇ちゃん!!此間遊びに来たのは何時だっけ?」と言うので。苦笑いをしたら。「綺麗さっぱり焼けちゃってさあ・・・俺のトランペットなんか熱でひん曲がってしまったぜ〜〜!!」と言うのだ。どうせトランペットなぞ、金にモノを言わせてセルマーの高額な物を買って持っては居たが....ピーとも吹けなかったではないか?と突っ込みたくなったが。火事を出した本人がニコニコして居たのでなんだかねぇ〜〜。と言った感じだった。まさおは「ウエントン・マルサリス」「アート・ファーマー」が好きだった。

 

Milt Jackson & Benny Golson & Art Farmer & NHØP - Whisper Not 

 

 

 

 

Wynton Marsalis - Autumn Leaves 

 

 

 

 

そして、それから半年ほど経った頃。よしきちが自宅にやって来た。丁度1月も半ばだった物で、私は丁度、購入したばかりのナショナルのビデオデッキが応接間にあったものでそれに録画をして居て、6千8百円ぐらいした自分で買った電気ストーブを部屋から持って来て使って居たら。やって来て。「いいのあるじゃないか?俺にそれをくれないか?」と言うのだ。このよしきちと言う男は、金があるのに何時も人の家に来て此方が使って居るモノをくれと言う。私は子供の頃にミニカーのフォルクス・ワーゲンやシトロエンなどを持って居たのだが。それを寄越せと言って私から強引に取って行って従兄弟のまさおに渡して遊ばせて居た。私はハッキリ言った。「嫌です・・・。」そうしたら「なんでお前は俺に逆らうんだ?俺にくれてもいいだろう?」と言うのだ。

 

私は「なら6千8百円下さい。そうしたら挙げても良いですよ」と言ったら唖然として「お前は解らん男だなあ、この俺がくれと頼んで居るんだぞ?」としつこい。私が「少ない、こずかいで購入したんです!!あなたはお金持ちでしょう!!自分で購入したらどうですか!?』と断固断ったら。機嫌を損ねて「俺は帰る!!」と要約、帰って行った。それ以来うちには来なくなった。最近聞いた話では、それから、まさおは5歳年上の女の人と結婚し、2人の女の子を儲けて短大まで行かせた。以来、親戚付き合いをして居ないから、詳しくは解らないが、まさおは体重が100キロに成って、さとしは漫画家では喰なく成ったらしい。そして、よしきちは直腸ガンになって手術をしてから調子は物凄く悪いらしいと、今から十数年前に聞いた。よしきちは親父の2番目の兄貴だ。親父は十数年ほど前に72歳で亡くなって居る。よしきちも、生きていれば86歳ぐらいだ。もう生きては居ないだろう。

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部屋は片付けたので殆んど片付居た様だ。狭いのですぐに散らかるが・・・此間コロナワクチン打ちに行って、鞄の中に書類とまとまった現金が入って居たのだが。今日になって探して見ると無いのです、どこを探しても無いので、人は疑いたく無かったが、「もしかして盗まれた?」とか思って仕舞いそうになった。人を疑う前に自分を疑えとはよく言ったものだ。よく探したら鞄の裏の処に入って居た。。しかし、私はサングラスは2丁持って居るのだが。サングラスと言っても度付きのもので、サングラス・メガネだ。前に一度盗まれた事があった。その時に取って行った奴は、ただのサングラスだと思って掛けたら度付きなので、眼が2重に見えてしまい。さぞかし大変だっただろうにと、持って行った奴は相当にバカだねぇと思ったものだ。それから2年前の暮れに今度は空き巣に入られた。慌てたが、メガネを1丁盗まれた。金は不思議と盗まれて居なかった。メガネはまた作らなければ成らなかったから。その時に2丁メガネを作った......。最近は思い違いが多々ある。痴呆だったら嫌なので、頭の体操をしなければと思います。

 

 

 

恋愛だけで結婚が成り立つ世界は漫画か小説かテレビ・ドラマだけだ!!実際結婚は余程に考えないと仕手は行けないと私は思う。前に、アラン・ドロンが言って居たが結婚は3分で出来るが離婚は3年掛かると言って居た。エリック・クラプトンの自叙伝を読んでも、若い頃の恋はすぐに成就したが長くは続かなかった様だ。二人ともちゃんとした人に巡り合ったのは50歳ぐらいに成ってからだ、私は勝手好きな女が居た。その子は勿論一緒の大学だったし、私は行った大学は3流大学だったから。だから頭はあまり利口だとは言えなかったかも知れない。でも人間が出来て居た。私と映画館に映画を観に行っても何時も自分からアイスクリーム売りを呼んで2つ買う。

 

私が金の事を言うと、「そんな事は気にしないで、、」と言った。時代も時代だったが少し古風な処があった。何故かと言うと実家が旅館経営だったからだ。また親御さんは漬物屋もやって居た。お父さんはジャズ・マニアだった。だから何時も私にジャズのライブビデオを、お父さんからアメリカとか、海外のものを譲り受けて私に持って来てくれた。余り美人では無かったが小柄で可愛い子で何時も明るく元気で人を立てた子だった。私はそこに惚れて居た。まだ20代前半にしては30歳ぐらいの考え方が出来て居た子だった。私は従兄弟のあきゆきを恨んで居る。あんな馬鹿な奴のために私は掛け替えの無い人を失った。私は、今でも思う事が結婚相手にはある。

 

それは人間的に私よりも利己な人がいいと言う事だ。弟は亭主関白に成りたいなどと、時代錯誤も甚だしい事を言って居た。しかし男のそんな見栄は女の人が家庭に入れば粉々に粉砕されるだろう。それは女の人の方が男より利口だからだ。私は中学から高校2年ぐらいに好きなクラスの女の子が居た。その子はカトリーヌ・ドヌーブに似ていた。要するに美しかったのだ。しかし美人薄命というか、いつも悪い噂を立てられた。男を誑かすとかそう言った類の話だ。私は何時も庇って「そんな子ではないよ...。」と言って居た。何時頃だろうか、私が高校の学食で食事をして表に出た時だ、ずぅーと人の視線を感じて居て、ふと後ろを振り返ったら、その子が私の後ろに居て、

 

「さよなら・・・。」と言い何か言いそうになったが、消える様に居なく成った。それ以来その子は学校に来なく成った。引っ越して行ったのだ。高校は私立だ。だから通ってくるはずだと思った。しかし、その子は来なかった。そして風の噂で高校を他の高校に編入したと聞いた。私は安堵した。何故ならその子は小学校から一緒で私と共に賞状を何回も貰って居た子だったからだ。頭は良かったと思って居た。そして私は良かったと思った。今頃はもう結婚して家庭を持って子供も成人して、早ければ孫が居る歳だ。前に、今から28年ぐらい前に、その子を渋谷で見かけた事がある。髪をカールして、素敵な女性に成って居た。女の子は花だ。生きた花だと私は思う。

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下は高校生の頃描いたヘタクソな漫画です。一部ですが見てやって下さい。前に見た人も再度見てやって下さいね。。。

 

 

「原田芳雄さんの話」

 

芳雄さんに初めて会ったのは私が大学に行って居た頃だ。高校の頃からよく芳雄さんのコンサートには行って居た。彼のステージは何時もブルースに満ちて居た。何しろ若い頃の芳雄さんはカッコ良かった。確かに身長は175センチと高い方では無かったが。その存在感が凄かった。よく言う。オーラがある人と言う事だ。役者としてもそうだが、存在感が半端では無い。以前に芳雄さんと組んだ事があるべーシストと話した事があるが、彼はギャラはどんぶり勘定にはしなかったそうだ。ちゃんとミュージシャン達に均等に分けて居たそうだ。また、腰が低く。何か粗相があれば電話を掛けるとか、手紙を書くとか、まめな人だったらしい。原田芳雄さんに付いては、それぞれの世代にとってのリアルタイムでの原田芳雄が居ると思う。彼に付いてはメジャー会社が彼を活かしてくれて居ればと思う事も有るけど、

 

何せ、主演作が少なすぎるでしょう。120本の映画に出て居て、でも、彼はそんな自分を活かしてくれない日本映画を見放さなかった。次々に助演男優として、駄目に成りつつある、日本映画の舵取りを買って出て居るが如く、その存在感、演技力で、日本映画に貢献し続けた。此のblogで何遍も云って居るけど、個人的には、若松孝二が「俺は、あの作品で芳雄さんのアウトローとしての集大成をやれたと思って居る」と云って居る、「われに撃つ用意あり」が原田さんの主演作では一番好きなのだけども、「反逆のメロディー」「竜馬暗殺」「浪人街」「鬼火」「寝取られ宗助」アメリカ映画での主演作「ハンテッド」等が主演作品としては良く観て居る作品ですね。私はフィルム・ノワールが好きだから、フレンチ・ノワールの旗手だった、アラン・ドロンと良く比較して仕舞うのだけれど。二人とも良く似て居ると云うか、類似点が有ります。


アラン・ドロンもアウトロー、一辺倒ではなく、良く作品を観て見ると「帰らざる夜明け」「パリの灯は遠く」「真夜中のミラージュ」「燃えつきた納屋」「ナイト・ヒート」等、演技派としての一面を出して居る作品も数多く有る。ただドロンの場合、あの顔のせいで逆に損を仕手居る処があった。しかし芳雄さんは無頼のイメージが強い。

 

それは役者以外の顔。ブルース・シンガーとしてもそうだ。彼の歌うブルースは黒人のブルースとは少し違う。彼曰く、ブルースの女と言うものは決してメゲない。逞しく世の中を渡っていくイメージが強いと言って居る。私は昔大学生の頃。原田邸に行った事がある。餅つき大会にだが、芳雄さんは忙しく参加者の間を渡り歩いて居て。誰にでも気軽に声を掛けて居た。ただ、参加者が多いものだから、靴を脱いで上がると。靴をどこに脱いだのか、解ら無くなって困った記憶がある。また座敷には彼の主演した「竜馬暗殺」の大きなポスターパネルが飾ってあった。私が行った時は桃井かおりが居た。実際に会って見ると気さくな人で。矢張り美人だなぁと思った。一緒に行った友人は、奥の扉を開けたら内田裕也が居たと言って居た。こんなエピソードがある。

 

女の子が道に迷ってしまって困って居たらジョキングをして居た芳雄さんとバッタリ会い。なんと芳雄さんが自宅に招き入れアイスコーヒーを入れてくれたと言う話だ。彼は中華料理だとか作るのがとても旨かった。役者としての人を見る目が彼の歌うブルースを際立たせて居たと思う。餅つき大会だが女餅と男餅があったと思う。ちゃんと考えているのだ。そして私と友人は大根おろしの餅とあんこ餅をもらって食べた記憶がある。この時はとてもサインをもらえる状態では無かったが。「鬼火」と言う。望月六郎監督作品だったと思うが、その舞台挨拶に来ていた時に一度お会いしてサインを色紙に書いて貰ったのだが10数年前の入院の時に惜しいかな事情があって無くしてしまった。ただ会った時に。私もブルースを演奏して居ると言ったら「頑張って」と握手をして貰ったのが思い出です。それでは彼のブルースをお聴きください。。。

 

原田芳雄 新宿ホームタウンブルース 

 

 

 

 

原田芳雄 ブルースで死にな 

 

 

 

 

原田芳雄 リンゴ追分 

 

 

 

 

原田芳雄with喧太&桑名/横浜ホンキートンクブルース 

 

 

 

 

プカプカ 原田芳雄 

 

 

 

 

新宿心中 - 原田芳雄 

 

 

 

 

 

下はSEIDEL社製のSolist Pro。その下はHOHNER社製のMarine bandです。 liveでよく使う機種です。

 

 

Weeping Harp Senoh plays Blues Harp 

 

 

 

 

Weeping Harp Senoh plays Blues Harp 

 

 

 

 

Weeping Harp Senoh plays Blues Harp 

 

 

 

 

 

 

 

Talent Show Harmonica Solo 

 

 

 my plays bluesHarp Solo  

 

 

my plays bluesHarp Solo  

 

                         

                                                                                                                                                     

下は、10ホールズでありながら、レーバーが付いていて完全に1度下の音階が

出せるbluesharp。

 

そして半音階から1音と、要するにベンドがしやすく出来ている10ホールズ。

そして3番目は穴が12個あるBluesharpです。

 

 

さて映画です。今回は「リスボン特急」です。。。

 

リスボン特急

(原題:Un flic)は、1972制作のフランス・イタリア共作のフィルム・ノワール。アラン・ドロン主演。リチャード・クレンナ。カトリーヌ・ドヌーブ共演作品。フランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。この作品がメルヴィル最後の映画となった『リスボン特急』(原題:Un flic)は、1972制作のフランス・イタリア共作のフィルム・ノワール。アラン・ドロン主演。リチャード・クレンナ。カトリーヌ・ドヌーブ共演作品。フランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。この作品がメルヴィル最後の映画と成った。

 

 

主人公のコールマン刑事に扮したアラン・ドロンが強烈に個性的で、煙草を咥えながらピアノを軽く演奏する姿はダンディです。その前方で彼を見つめていたカトリーヌ・ドヌーヴ(カティ)が控え目にスッと姿を現すシーンが文字通り絵になって居る。

 

Alain delon al piano, un flic.wmv

 

 

 

 

 

 

リチャード・クレンナ(シモン)の情婦であるがドロンとも関係を持って居るカトリーヌ・ドヌーブをそっと見守っているクレンナ、そしてそれを痛い程解って居るドロン、クレンナとドロンは戦友同士。二人の男に愛されるが男の世界に翻弄されながらも、どちらを取るのか、決めかねられないで居るドヌーブ。この映画は銀行強盗の首領であるクレンナと警部であるドロンとの男の戦いと言った視点から出来上がって居る映画です。この映画にあるのはストイックな男の世界です。完全なるフィルム・ノワールの世界です。シモンの強盗団はある雨の日に郊外にある銀行を襲撃します。しかし銀行員に拳銃で撃たれて仲間の一人が重傷を負って仕舞います。悩んだ末、シモンは銀行強盗で負傷して重傷になった仲間をカティによって始末させます。緊急病院に潜入したカティはナースの格好をして緊急病棟に潜入、注射器で静脈に空気を注入して仲間を殺します。しかし、この映画は何も具体的には語られません。全てが、運命の侭にストーリーが進んで行きます。ダンディであるコールマンは鬼警部。

 

彼に惚れて居る、情報屋のオカマがリスボン特急で麻薬の密売が行われると言う情報を教えるが、シモン達が、ヘリコプターを調達してリスボン特急に乗り込んで金を奪って仕舞う。終点のリスボンでヤクの売人を捕まえるコールマンだが既に金はなく、怒ったコールマンは情報屋のおかまを平手打ちにして、「ガセを教えるとは許さん。女の格好をしている頭を丸坊主にしてやろうか!!出て行け!!」と一喝する。涙を流して警察の外に出たオカマは泣き崩れます。しかし親友との対決の時が迫ります。シモンの強盗団の仲間をレストランで待ち構え、一般客に扮したコールマンは後ろから隙をついて羽交い締めにして逮捕し、シモンとの関係を拷問に近い方法で吐かせる。その一方で、マスコミがシモンの事を嗅ぎ回って居る事を知ると、警視総監に情報をマスコミに与えるのは止めてくれと、親友を庇う仕草も示す。そして夜明け前のシモンが経営するクラブから身を隠す為出て来たシモンは、事前に連絡して居たカティが車の中で待っている事を確認すると、スーツケースを持って車に近付こうとするが、建物の外で待っていたコールマンが「シモン!」と拳銃を構える。実はコールマンは電話局に行ってクラブからの電話を盗聴して居たのだった。

 

名前を呼ばれてシモンはトレンチコートの懐に手を入れて拳銃を取り出す振りをする。しかしコールマンは躊躇わず引き金を引いた。仲間の刑事たちが倒れたシモンの懐を探ったところ拳銃は持っておらず。丸腰だった事が判明する。「撃つのが早かったのでは?」と言う刑事の問いに「てっきり俺を撃つのかと思った・・・。」と言うコールマン。車の前で俯向き加減に一部始終を見ていたカティを黙って見つめたコールマンは、覆面乗用車に乗り込み忙しく無線で知らせて来る、次の犯罪現場へと黙って、しかし親友を殺して仕舞った事を拭い去るかの様に何遍も頭を振りながら運転をして向かうのだった。

 

Der Chef, Fan-Trailer (1972, Jean-Pierre Melville) 

 

 

 

この映画が何故、ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作になったのか?実はこの作品はメルヴィルの13本目の映画で、しかも劇場公開が金曜日だったそうです。彼は不吉にも心臓発作で亡くなりました。ドロンはこの鬼警部の役が余り気に入らなかった見たいで、メルヴィル作品では「俺は何時も暗黒街のサムライだ...。」とボヤいて居たそうです。ただこの映画では、「刑事はどんな存在だ...。疑いと嘲りだけの存在だ」とドロンが呟くシーンがある。この言葉にメルヴィルの本意が隠されて居ると思います。途中、リスボン特急の麻薬の売人から、金を奪い去る為、シモンがヘリコプターを使って動いて居る列車に、空から飛び移るのを特撮で撮って居ますが、列車とヘリコプターをミニチュアで済まして居るのが、低予算のフランス映画らしいです。この映画は最後の映画ですが、評価は分かれる処です・・・。

 

最後に、ジャン=ピエール・メルヴィルについて簡単に説明して置きます。彼はパリ出身の脚本家で映画監督です。本名はジャン=ピエール・グランバック。メルヴィルはペンネームであり、小説家のハーマン・メルヴィルから姓を取リました。「ヌーベル・バーグの精神的父親」と呼ばれる映画作家のひとりとして知られて居ます。彼はアルザスにルーツを持つユダヤ人家庭に生まれる。第二次世界大戦に従軍の後、1948に自分のプロダクションを立ち上げ、自主制作で映画を作り始める。初の長編映画である『海の沈黙』を見て感銘を受けたジャン・コクトーから、自身の小説『恐るべき子供たち』の映画化に際して、脚本・演出を依頼される。また、撮影所のシステムから抜け出たインディペンデントシステムと、長年コンビを組んだカメラマンのアンリ・ドカエによる自然光を取り入れた映像は、後のヌーヴェルヴァーグの作家に大きな影響を与えました。フランスにおけるフィルム・ノワールに独自の洗練を重ねてゆき、自身の第二次大戦中のレジスタンス活動の経験を反映させた『影の軍隊』などの戦争映画にもその作風は活かされて居ます。

 

 

「人生は3つの要素、つまり、愛と友情と裏切りで成り立って居る」と言うメルヴィルの人生観の基盤にあるのは、レジスタンス時代の体験である。戦争中、ユダヤ人だった彼は自由フランス軍に参加し、レジスタンスの闘士として活動して居た。友情と裏切りと死が入り乱れる世界で培われ、磨かれた観察眼を以て、メルヴィルは映画を撮り続けた。メイン・テーマは、男の宿命。殆んどの場合、映画の中心にいるのは男だ。彼らの関係性はストイックである。のちの映画人たちにも影響を与え、北野武監督は彼を崇拝する。「キタノ・ブルー」と命名された彼の映画のトーンは、「メルヴィル・ブルー」からの影響です。

 

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下は懐かしフォークソングとホワイト・ブルースです。。。

 

古井戸 さなえちゃん 1972 

 

 

『地下鉄に乗って』猫(ヤングインパルス)

 

 

ガロ 「学生街の喫茶店」

 

 

ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」

 

 

コンサートツアー/めんたんぴん

 

 

柳ジョージ コイン・ランドリィ・ブルース (PIT INN LIVE 1992) - YouT 

 

 

毛皮のマリーズ PV「ビューティフル」 

 

 

CHICKEN SHACK - The Thrill is gone 

 

 

SHUGGIE OTIS & AL KOOPER - Shuggie's Shuffle 

 

 

今回は此処までです。また更新出来たら逢いましょうね。宜しく。。。。

 

 

 

 

さよなら心のララバイ 松山晴介 Seisuke Matsuyama セルフカバー 

 

 

 

 

「私のつぶやき」

 

此れからの世の中、レジス・ドゥブレの「メディオロジー宣言」が役に立つのでは
無いかなと思いまして、、

確かに、彼はこの論考の発表当時、変わり者として、揶揄されて笑われた
経緯があるかと思いますが・・・・・・・。

私は、彼の理屈が好きなのですよ.....。( ´ ▽ ` )

コロナは生活様式を変えて仕舞いました。今は店舗で物を
買うのを控えて居るので、通販が盛んになりました。
今はネットで直接店舗と連絡が取れます。

コロナが収束しない限り、この方式は変わらないと思います。
そんな時だから「メディオロジー」が参考になるかと・・・・。

流通業界は、他の職種が赤字なのに、黒字だと言います。
それに異業種間の交流も盛んに成って居る様ですね、、
家電メーカーのシャープでしたっけ、、マスクと医者の防護服を
家電の工場に機械を入れて製造し始めました。

どの道、コロナが収束しても人間は元にはもう戻れませんよね。
果たして、今年の東京オリンピックまでに収束、終息、終焉を
迎える事が出来るのかと思いましたが、結局は駄目でしたね。

だけども、今回の事で世界に遅れて居た日本でも、働き方が

在宅ワークに変わりました。全部ではありませんが・・・・。

コロナの影響で日本人の考え方が一気に変わろうとして居ます。
私は、最近「ローランド」と言う若手のホスト出の実業家に注目して
居るのですが。最近では店に客を呼び込めないので、ホストは、
ネット上で接客サービスをして居るそうです、、

こんな所も変わって来て居ます。私は頭が良くないので、、
詳しい事は分かりませんが、日本に本格的な情報革命が起こって
来て居ると感じて居ます.....。これを怪我の功名として、、
これから本当の意味のITソリューションの時代になるのではと、、

私のblogはキュレーションをして居るんだと思って居ます。
だから、今の時期に必要な情報を発信したく思って居ます。

なんか、まとまりの無い事を言って居ますが、、
そんな事で、今回、レジス・ドヴゥレを引き合いに出しました....。

まあ、あくまで私の主観が入った話ですが・・・・。

 

 

 

実業家ROLANDに密着!現代ホスト界の帝王の一流の仕事。【ROLAND社長-完全密着-】vol.025 

【ROLAND×YAMAHA】ホスト界の帝王"主演CM"制作現場に潜入。Special Making Film 

 

 

 

 

 

 

 

なつかしのグループサウンズです。。。

 

オックス 「ガール・フレンド」

 

オックス 「スワンの涙」

 

 

==「音楽論」==。

 

思うのだけども、一般的に、音楽は日本人は特に洗練されたものを好む傾向が昔から強い。嫌、音楽だけでは無いだろう。生活様式もだ。アメリカ人の家具職人が日本に来て即売会を開いた処、見向きもされないので、「おかしい?」と思い。日本人の好みに合いそうなものを作っても駄目で、「一体、どんなものがいいんだ?」と聞いたら。「日本人はヨーロッパの家具類が好きだ」と言われて、「成程、アメリカの家具は武骨だ」と諦めて帰って行ったそうです。日本人は要するに洗練されて居るものが好きだ。そして悪い事に、それじゃないと認めない節がある。音楽ではクラシックを聞いて居る人たちが、黒人のデルタ・ブルースの様な音楽を好きになるはずは無いだろうし、まあ、ブルースと言っても本家本元の黒人のブルースよりも白人のブルース・ロック。要するに、オーティシュ・ラッシュよりもエリック・クラプトンの演奏の方を好む。私がバンドをやって居た時も、イギリスのブルース・ロック、例えばフリードウッド・マックとかハード・ロックのディープ・パープル。ユーライア・ヒープなどを演奏したいと言われた。黒人のブルースは皆んな知らないのだ。ブルースを知らない人たちは、ローリング・ストーンズよりビートルズがいいと言う。まあ、確かにエリック・クラプトンのブルースは起承転結がドラマチックに演奏される。そして黒人特有の泥臭さが殆んど無い。

 

しかしブルースを探求するクラプトンは近年黒人ぽさ、黒っぽさを取り入れた演奏をしだした、そうしたらそれまでのファンから気に喰わないと言われて居る。私はロックも好きだが・・・「 音楽 」 と言えば クラシック音楽 、西洋音楽でしかなかった時代から、現代ではそれまで音楽とされて来なかったもの、日本で言えば日本の音楽の存在の意味が見つめ直され始めて来て居る事も確かである。それと共に、音楽の価値観の多様性や混迷が生じて来る事にも成った。最近は音大や芸大の音楽学の分野に民族音楽学が取り入れられて、教員養成大学でも日本音楽のカリキュラムが組まれる様になって来て居るのも、この様な動きの表れだと思う。作曲家の伊福部昭はクラシックに沖縄の旋律や日本民謡の旋律を取り入れた曲を作った。戦後日本は急速に欧米文化を取り入れ始めた。正当なクラシックが流行って居るのに、伊福部はそこに土着な日本民謡を、日本の旋律を取り入れた曲を発表したのだ。そしてクラシック界から異端の烙印を押された。しかし、彼は「ゴジラ」の作曲家としてその後挽回し、地位を確立した。

 

Eric Clapton Have You Ever Loved a Woman Live TV Recording 

 

 

002_Freddie King - Ain't Nobody's Business (Live At The Sugarbowl 1972).mp4 

 

FLEETWOOD MAC-Meed Your Love So Bad

 

 

 

The Super-Natural

 

 

Uriah Heep - July Morning (Original 1973) David Byron 

 

 

Uriah Heep - Sunrise 1973 "Tokyo" LIve Video HQ 

 

 

Deep Purple ~ Strange kind of woman

 

 

 

田中/札響:伊福部昭音楽祭1997 :交響譚詩 

 

 

Akira Ifukube Symphonic Fantasia No. 1 [伊福部昭 SF交響ファンタジー第1番 ] 

 

 

怪獣大戦争マーチ ロングバージョン ~Invasion of Astro-Monster march longVer.~ 

 

 

 

姉から昔言われたが、「ブルースなんて、酒場で女と戯れて居る、安ウイスキーの匂いがする音楽じゃないの。私は大っ嫌いよ!!」要するに「うらぶれた歌」だと言いたいのだろう。確かにそうだが、じゃあ自分はどうなんだと言いたい。確かに暮らしは豪勢だし、洗練された家に住み、庶民感覚は解らないのだろう?いい暮し向きをして居るのはいいけど。庶民的な感覚を持つのも良いものだと言いたかった。こう言った事から金持ちと庶民の格差が生まれるのだろう。金持ちは庶民をバカにし蔑み、庶民は金持をブルジョアとして嫌い憎む。悪循環だ。文化(culture)はかなり厳密に固定するのが難しい概念です。何故かと言うと、文化とは常にズラされた概念だからです。ある意味で他のものとの対比で自分自身を位置付けるしかない概念です。むしろ自分をうまく位置付けて安心感を得る為に、わざわざ別様なものとして、でっち上げるとも言えます。文化概念の一つの意味は、洗練されて居る事、洗練されて行く過程です。これはもともと精神の養成(cultivate)を意味する文明化(Civilization)と言う言葉で捉えられて来た概念ですが、昔は文化と同じ様に使われ、現在の我々が文化的な人や生活について思い浮べる、何か洗練された感覚はこの概念に由来して居ます。礼儀作法を身に付け、優雅にふるまえ、違いが解る事などが重要となります。重要なのは、この概念が文明化されて居ない状態を否定し、常に自らを他の人よりも洗練されて居る事を示す事に指向した概念だと言う事です。

 

 

 

 

この欺瞞が両義性として先鋭化します。ドイツ語のZivilisationが貴族的な薄ぺらい見掛けだけの洗練さを意味したのに対して、カントらの知識人層はKulturを対峙させます。洗練さでも、重みがあり、実際に何かを達成した上での精神の鍛錬を重視する向きです。この意味でのKulturが、他の言語にも重要になって行きます。音による芸術である音楽を見る時、ヨーロッパ人の音の世界と日本人の音の世界に相違点があるのではないか 、と 何気なく思って居ました。 日本人の音の感覚をみると、たとえば江戸時代は貴族は雅楽、武士は能楽、町民は三味線を愛好して居た様です。処で、是等の楽器の音は我々が日常使っている日本語と共通点があるようです。言葉は音楽の始まり、とか言葉の向こうに音楽がある、と言う事がある。まず、日本人の特徴とか日本文化の特徴は日本語の感性で出来て居るとの事であると言えます。例えば 、「 日本人の心 」と 言う言葉があるが 、 心は胸にある様で居て実は脳に在る事は周知のとおり。処で今、日本語で文章を書いて居るとする。テレビからポップスの音楽が隣の部屋から聴こえてくる。そこでしばらくポップスに聴き入る。この時の脳の中の活動をみると、文章を書いて居る時は言語半球の左脳が感知するが、ポップスが聴こえると音楽半球の右脳に感知能力が移動するとの事です。もしこの場合琴の曲が聴こえて来たらどうであろうか。西洋人や 殆んどの東洋人が琴のような邦楽器の音をポップスと同じ右脳で聴くのに対し、日本人だけが 左脳で聴くと言う事なのです。また、西洋人や殆んどの東洋人が右脳で聴いている母音、 ハミング、泣き声、笑い声といった感情音や動物、虫、鳥の鳴き声を日本人だけが左脳で聴いて居ると言う事です。

 

では何故、その様な違いが日本人と外国の人たちとの間に生じたのであろうか。左の耳と右の耳に交互に補聴器をあてながらどう言う音を左右の脳で感知して居るかを調べた結果、母音の「あ、い、う、え、お」が日本人では西洋人と逆の左脳で扱われて居る事が解ったと言うのです。不思議な事に、同じ日本人の遺伝子を受け継ぐ日系2世の人たちは西洋人と同じ様に右脳で聴いて居る事が解って居る。さらなる研究により、脳の情報処理能力は6才から9才位迄の言葉の環境で決定されて仕舞うとの事である。つまり、9才まで欧米で育った人は欧米型の脳に、9才まで日本に育った人は西欧人でも日本型の脳になって仕舞う、と言う事なのです。では何故、日本人は母音を左の脳で聴き、外国人は右の脳で聴くのであろうか。この事についてはまだ正確には解明されて居ない様であるが、だいたい次のことが考えられる。日本語においては母音の役割が非常に大きい。つまり「あ、い、う、え、お」に始まる50音はすべて子音十母音で成って居る。此処で大事な事は母音にはそれぞれ色々な意味が含まれて居る事なのである。例えばの手持ちの パソコンで調べると次の様な漢字が出てくる。

 

 

あ...合開会逢空有明編在遇遭飽亜唖娃阿吾亜

い...異胃井亥猪位医委言行入居意射要謂位往忌去鋳炒逝
う...売打生射撃鵜産膿兎討得卯俗
え...江絵画得獲笑柄餌枝
お...御夫男尾押追捺置推負置折居措逐織圧

 

 

外国語にはこの様に母音に多彩な意味を持たせる事は無いのです。これは日本語独特のものと言えそうです。西洋の言語では子音の役割が大きいので、子音を含む音節などは左脳の言語半球で処理されるが、母音は音声として、情緒性を受け持つものとして、音楽の音として右の脳で扱われて居るとの事です。 この様な事から、母音は日本人では言語として左脳で処理されるのに対して西洋人では音楽の音として右の脳で処理されて居る。処で普通は言語半球である左脳で論理的な仕事を受け持ち 、音楽半球である右脳が感情的な仕事を受け持って居るが 、我々日本人の場合は 、 論理的な事を受け持つ左脳で感情的な事も受け持って居るとの事です。この論理と感情をひとつにして「日本人の心」と呼んで来た様であります。我々がそれでは右の脳で聴いて居るものと言えば、西洋音楽、物の音と言う訳です。 以上の事をまとめてみると、日本人が右脳で西洋音楽や物の音を処理するのに対し、西洋人は右脳で感情を処理しており、日本人が左脳で論理と感情 (言い換えると心)をつかさどって居るのに対し、西洋人は左脳では論理をつかさどって居る、と言う事になります。

 

この様に見て来ると 、 日本人の感性と言う物がどうやら日本語の性格 、 特徴から 生まれて居ると言えそうです。日本文化とか、日本音楽と言うものを考えるとき、この事は心に留めておかなければ成らないであろうと思います。日本語の持つあいまいさ、なども挙げられると思う。例えば 「 結構です 」に代表される様に承諾にも取れるし 、 断りの言葉としても受け取れるものがある 。 また 「 ~ でなくもない 」と言う言い回しも日本語独特のものと言える 。 この様な言い回しは西洋人にはなかなか理解されないのです。西洋人がこの様な場面に直面すると、日本人は不可解だと言い、更にはミステリアスだ、となって仕舞うのです。西洋人の場合は論理は論理 (左脳)、 感情は感情 (右脳)と はっきりして居るので、西洋人と接する時はイエス、ノーが明確に表現できる。論理に感情が入らないだけにわだかまりがない、と言ったら良いか、そう言うつきあいが出来るのです。しかし、日本人の場合にははっきりさせる事をあまり好まない様です。そう言う事が実は日本の文化をつくり上げて来て居る訳です。論理と感情の渾然一体化。そう言うものが日本文化の特徴と言って良いのではないだろうか 。能面に見る様に喜怒哀楽をひとつの面で表す技法なども我々の国民性の象徴と言える。 「日本の音」に関しても同じ事が言えると思う。日本の楽器 (三味線や琴、尺八)の音を外国の楽器と比べてみると、1音に幅がある 2濁って居る 3こもって居る 4含みがある、 等の特徴が挙げられる 。この様な事から 日本の音はひとつの音でも色々に感じとれる 。 ひとつの音の中に色々な世界を表現して居る、と言って良いであろう。西洋の楽器の場合はひとつの音はひとつの音でしかない。きれいに澄んだひとつの音。だからこそ協和音とか 不協和音という事が成り立つのであろうと思う。この様に見て来ると、日常用いて居る日本語に始まり、邦楽の音や自然界の鳥の声など、また歌謡番組で行なって居る演歌などは左脳で処理して居る、と言う事になります。

 

だから我々日本人の生活環境では左脳を使う事が多い。その為に左と右の脳の働きのバランスを取る為にも西洋音楽や西洋楽器を使った音楽が役に立って来ると言う訳です。つまり、右脳を使う事で感性の成長をうながす事になる訳です。 以上日本語の特性の面から我々日本人の持つ感性について述べて来ました。他にも生活様式の相違などから挙げる事が出来ます。たとえば、日本人は農耕民族、西洋人は狩猟騎馬民族と言われて居る。日本は近代化によってもう農耕民族では無くなったではないか、と思われるが、実はそうでもない様です。農耕社会のパターンが現代の企業や生活にその侭受け継がれて居る 。 例えば 「 みんなの和 」 とか 「 協調性 」を重んじる精神や 、教育に置ける「差値 」 などは農耕社会から受け継がれた典型的なものと思われて居ます。

 

ブルースは西欧音楽とアフリカ民族のワークソングとの融合で生まれたものです。そしてそれまでの西欧音楽(クラシック)に風穴を開けました。今まで述べてきた様に西欧音楽には一つの音しかありません。しかし黒人のブルースはまさに不協和音でした。三味線と琵琶同様。一つの音でも色々に感じられるのです。黒人の弾くギターやハーモニカの演奏。スライド・ギターやらロック・ギターに受け継がれたチョーキングによるブルーノート・スケールでのメロディ。ハーモニカによるクロス奏法などやベンドが西欧の既存の音楽を変えたのです。それは勿論クラシックでもバッハの様に黒人のブルーノートと似た音階はありましたが、あくまでクラシック内だけの事でした。ブルーノート・スケールの発明は音楽を変えたのです。ジャズはブルースが元に成って居ます。ロックはブルースの進化形です。勝手ハードロックの原型を作ったジミ・ヘンドリックスは天才と謳われましたが、白人社会で黒人の指導者になり得るとの事で暗殺されました。死んだ当初はヘロイン中毒で死んだと新聞は書きましたが、これは印象操作で、実はそうでは無かったのです。真相は最近になって明らかになりましたが。日本でも最近では反権力主義で人気があった映画監督の「若松孝二」がおかしな死に方をして、一部には暗殺されたのではと言う声も聞かれました。

 

確かにブルースはうらぶれた心境を歌う歌です。姉が言う様に、嫌いな人は嫌いでしょう。そして日本のブルース。演歌も人に寄っては嫌いな人が居ます。しかし音楽はきれいで洗礼されて居るものだけが、感動を与えるかと言うと、違いますよね。私は勿論ビートルズの功績、そして彼らが作った曲は素晴らしいと思いますが。同時に、ローリング・ストーンズのファンキーな曲も好きです。そしてジャズもロックもクラシックも聴きます。しかし自分で演奏するのはブルースなのです。私はロックの曲もジャズの曲も演奏出来ます。しかし、ブルースを探求して居ます。何もブルースとは曲の形態だけではありません。soulなのです。spiritなのです。私は生き埋まった時にブルースハープを演奏します。心が解放された気分に成ります。若い頃はエレキ・ギターを弾いて居ましたが、今は処分して持っては居ません。私は過去15年間エレキ・ギターを弾いて居ましたが、今は弾いて居ません。私は在る思い出と共にギターは封印しました。認知症だった母と古道具屋に行った時にエレキギターが置いてあって、手にして弾いて見ましたが、如何にせん、40年間近く弾いて居ない為に。勝手の様には弾けませんでした。殆ど弾けません。私はブルースハープでの演奏をもっと上手く成りたいと思って居ます。しかし体調が悪い為になかなか練習をして入られません。

 

 

 

以下、ハーモニカ・ソロ。どれも一発取りです。だからミストーンとかありますがご勘弁を。よろしくね.......。

 

 


 

 

 

話がズレましたが。私は障害がある為に、好きな事は全て諦めて来ました。しかしブルースハープまで諦めたら、私のレゾンデートルが失くなって仕舞います。バンド活動は素晴らしいものか?メンバーとは友人になれるか?バンド活動とはエゴの塊をぶつけ合って演奏し、作曲するものです。女の子がロックバンドをアイドルたちを神秘化し、崇拝しますが、人間間の付き合いは複雑なものです。私はバンマスも兼ねて居ましたが。逆らって自分が自分がと言う御仁も多いのです。世良公則さんは誰とでも上手く演奏をします。人間が出来て居るのです。勝手、原田芳雄さんもそうでした。原田さんは「よしお」と親しみを込めて呼ばれて居ました。私はバンドで演奏して居た当初は10代の後半から20代の半ばでしたから、他のメンバーたちの方が歳が上で、何時もやらして貰うと言った感じでしたが、アレンジは自分でやりました。もうバンドで演奏する事は無いでしょう。歳を取り過ぎましたよ。だから一人で演奏できるブルースハープが合って居るのです。良く自分が好きな音楽以外の音楽は駄目だと決めつける人が居ますが。それは間違いです。どんな音楽でも、良さはあります。偏見を捨てて聴いて見る事です。そして洗練された音楽以外のもの。泥臭いものなども聴いて見ましょう。文化面でも同じです。洗練された建物もいいけど、古びた家屋の良さもあります。物事は此れが絶対だと決め付けずに。自然体で偏見を捨てて生きられたら最高ではないですか?今回はなんか語って仕舞いました。( ´Д`)y━・~~

 

 

 

紅い少女(ケツネコロッケのお銀 

 

 

ASSAULT GIRL/ケンタッキーの日菜子

 

 

 

The Guard Dog of Time

 

 

Gosenzosama Banbanzai! - "Detectives Do Not Believe In Love" 

 

 

踊る室戸文明

 

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最近は久々、TSUTAYAに行って来ました。最新の映画から古い名画、アニメなど取り揃えてあって、品数も豊富で良かったです。しかし・・・私はケーブルTVに加入して居る為、あまり借りる気には成りませんでした。だって録画出来ますからね...それに借りたい映画は殆んど無くて、私は過去の映画で自分の見たいものはすでに待って居ますし。最近のハリウッド映画はあまり見ませんしね。。。でもケーブルTVに加入して居ない方達は助かると思います。物は考えようで、レンタル・ビデオの頃から言われて居たけど。レンタル屋が自分のコレクションの貯蔵庫だと言っている人も居ますよね。図書館だとか。図書館にはDVDが有りますからね。本もあるし、買わないで借り物人生を送る人も居ますよね。そう言った選択も有りだとは思います。ですが私は手元に置いておきたい主義ですので。そのせいで、よく揶揄われたり、贅沢だと言われる事も有りますが。私は物持ちがいい方ですので。何十年も漫画雑誌を捨てなかったり。それが人によっては贅沢だと映る場合もある見たいです。でも文化の蓄積だと思って所有して居るのです。いまだにビデオテープ52本も持って居ますしね。私はもう歳なので若者のように最先端のものは欲しくないのですよ。まあ、パソコンとスマホは新しくしたいですが。。。。

 

 

 

 

 

「永遠の人生論。漫画家・永嶋慎二」

==<h2> </h2>==

 

常盤莊紀錄片~~わが青春のトキワ荘 ~現代マンガ家立志伝~ 

 

 

 

此処の処、永嶋慎二にはまって居る。此の間、彼の著作「フーテン」の古本を古本屋から購入した。以前、この漫画本は所有して居たが、、もう40数年前だったので、無くして仕舞った。だから、また購入したのです.....。若い頃はこの漫画と「漫画家残酷物語」は私のバイブルだった・・・・。

 

 

 

 

〜〜永嶋慎二〜〜。

東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。小学校3年の頃から漫画家になることを志望。目黒区立第一中学校では総番長を務め、高校3年生を相手に暴行傷害事件を起こしたこともある。同校では高野慎三の兄が同級生であり、兄を通じて永島の悪名を聞いていた高野は青林堂に入社後、永島から文句をつけられるのを恐れて変名を使って居た。

同校を2年で中退後、家出して酒屋や洗濯屋、豆腐売り、自転車修理工など十を超える仕事を転々としながら漫画を描いていたが、どれも長くは続かず、半年後に行き詰った。原稿を抱えて街を彷徨って居る(本人談)ところ、偶然再会した目黒区立第一中学校の同級生に支援され、祐天寺近辺の馬小屋の二階に住まいつつ、昼は豆腐や納豆を行商し、夜は漫画を描き、時折カット描きの稿料を得る生活を続けた。西品川で揚げ物屋を開業した母親ら家族も、反対しつつも支援してくれた。雨天が続き豆腐の行商ができない日が続くと、水しか飲まない日が数日続いたが、祐天寺から現在の山手通りを徒歩で南下し、時には倒れたりしながらも西品川に辿り着いて、店の揚げ物の残りを貰ったり、妹が家族に内緒で誤魔化した店の売り上げの一部を貰ったりして居た。

下は、永嶋慎二氏と交流があった方のblogです。参考までにどうぞ。クリックで飛びます。

 

 

/8ya.net/suiki/nagasima/index.html

 

 

1961年に発表した『漫画家残酷物語』は、漫画業界の裏側に迫った作品で、永島の出世作となった。『COM』や『ガロ』などの漫画誌に数々の作品を発表し、独特の画風で“青年漫画の教祖”と呼ばれるようになった。1962年より親交のあったさいとう・たかを率いるさいとう・プロダクションに籍を置き、絵柄が劇画風に変化している。この頃から自宅に帰らなくなり、新宿フーテン生活を経験。のちにその体験を題材にした漫画「フーテン」を発表している。

 

 

BSマンガ夜話 「漫画家残酷物語」 永島慎二 (2003年) 

 

 

今回は此処までです。読んでくれて有難う御座いました。また更新出来たらお逢いしましょうね。それではまた。。。

 

 

 

 

 

 

 

『アイドルマスター シンデレラガールズ』の二宮飛鳥役をはじめ、多彩な役柄と光る個性でファンを魅了してきた声優・青木志貴さん。しかし、これまでの道のりは複雑極まるものでした。

いじめにあった学校時代、女性か男性かでさまよった性自認の苦悩、また、体型のコンプレックスから摂食障害になったことも…。でも、そのつらい経験のたびに、自分自身と向き合い、決して見捨てることなく、やりたいことを貫いてきました。そしてその結果、声優という自分にぴったりの職業にたどり着き、新たな役をつかみ、舞台やイベント出演など、どんどんと活躍の幅を広げています。

昨年、自身のYouTubeチャンネルで、身体は女性であるけども。性自認が男性であること、パンセクシュアルであることを公表し、大きな反響を呼びました。自分の考えを臆することなく語る姿が、ファンをはじめたくさんの人の共感を得ています。そして彼女は物凄く可愛い子ですよ。本書は、そんな青木さんの揺るぎないマインドがたっぷりと詰まった内容になっています。

収録内容
撮りおろし写真ページ16P
PART1 僕の生い立ち
PART2 本当の自分がわかってきた時代
PART3 声優というかけがえのない仕事
PART4 自分と向きあいやりたいことをやる
など

タイトル:わがままに生きろ。
著者:青木志貴
定価:(本体1,350円+税)
発売日:3月10日(水)
ISBN:978-4-04-680223-1
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000769/


著者プロフィール●青木志貴(あおきしき)
「アイドルマスター シンデレラガールズ」の二宮飛鳥役をはじめ、声優、タレントとして多方面で活動の他、YouTuberとしても注目を集めている。また、ゲーム配信も人気なコアゲーマーでもある。愛称は「魔王」・「eerie」など。

 

#アクティ部 ご視聴ありがとうございました! 代打でお邪魔させていただきましたが、楽しくてあっという間でした! 制服も着れてたのしい嬉しいだった こういう便所サンダルのまま教室戻ってくるヤンキーいるよね…いなかった…? 来週のハロウィン回も居ます!

 

 

【PRADA】久々のハイブランド購入品紹介! 

 

 

 

私の自作の1発どりのハーモニカ・ソロ 

          

 


 

私は親父も嫌いだし親父の会社の従業員も大っ嫌いだった。親父は8人兄弟の3男坊だった。親父のお袋、おばあちゃんが亡くなった時に親父はこう言った。「子供を8人も産んでなぁ、、どこにそんな女がいるんだ....。」だからか、子供の頃に私が漫画の単行本を買うと。寄越せと言って裏表紙に私の名前をマジックで大きく書いた。私はその都度怒りまくって言った。「どこに漫画の単行本に自分の名前を書く人間がいるんだよぉ〜〜!!」そしてたまに顔を洗う時に食器を洗う洗剤で自分の顔を洗っていた。私は自分の父親がこうも常識を持っていない事に驚き。そして心から軽蔑していた。貧乏をするとその人間はどうしようもない人間に育つ。バカ親父は自分は明治大学を出たと言ってはいたが本当だったかどうか?母に寄るとちゃんと卒業式の夜に卒業証書を持って母の間借りしていた、4畳半の下宿にやって来て。母にちゃんと見せたとは言うが?従兄弟が、ある日。私に、こう車の中で聞いた「お前は大学の卒業論文は何書いたんだ?大学なんか行っていないのだろう。嘘をつくなバカヤロー!!」

 

だから言った「ケインズとハイエクの歴史認識についての論文ですよ」そう言うと「ケインズとハイエク〜?」。だから私は「あれ、あきちゃん?ケインズの経済論とハイエクの経済論。そして2人の立場の違い知らないの?」そう言ってこう言った。「ケインズとハイエクは、一般にはそれぞれが景気対策としての財政・金融と言ったマクロ経済政策による市場への介入を是とするか否とするかを唱えて対立したライバルとみなされていますよね。またもう少し現代の主流派経済学に通じた言い方では、両者の相違は異時点間の資源配分にかんし合理的な選択を行うと言うミクロ的な基礎付けを無視するか直視するかと捉えられる事もある。さらには両者の資本理論と金融政策を知る人であれば、不況時に裁量的な金融緩和を認めるか金本位制のルールを厳守し企業の閉鎖も看過すべきかで対立したと言うかも知れない。けれどもそれらは両者の一時期の議論に焦点を当てた理解であったり、経済人の合理的選択と言う新古典派経済学に過度に引きつけた解釈である。俺が書いた事はそうした観点から、ケインズとハイエクがそれぞれ初期から晩年までにたどった思想的な挫折や転換といった経緯を辿り返し、そこから共通点と相違点をさぐり、「自由」をどう捉えたかを論じるものですよ。
 
ケインズとハイエクにとって、容認する「政府の大きさ」は副次的な問題でしょう?。両者には、不確実な将来に向けて貨幣を投資ないし消費しようとする意思決定をマクロで論じ、景気変動を裁量的な政策で平準化させようとしたケインズと、ミクロで扱おうとして市場経済だけでは自律性を論証出来ない事から慣習法の必要性を悟った後半生のハイエクと言う様に、市場経済をマクロで捉えるかミクロから理解するかと言う違いがある。ハイエクからすれば、「マクロ」を市場の分析単位とする事そのものが市場への介入の第一歩でしょう?。
 
彼らはともに将来を新古典派の様にリスクではなく不確実性で捉え、それゆえに物々交換ではなく貨幣が媒介する市場経済を考察した。貨幣で商品は買えるが、商品は必ず売れるとは限らない。将来に何が起きるか分からないと言う意味での不確実性が高まると、貨幣を売れるかどうか分からない商品と交換しようとする人が少なくなるのが「流動性の罠」であり、ケインズはそうした危機において政府が財政政策によって商品を購入すべきだとした。一方ハイエクは、金本位制、後には民間銀行が通貨を競争的に発行すると言うルールおよび慣習法のもとでは、そもそも流動性の罠は生じないとしたよね。両者は対立したと言うよりも、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したと言う解釈ですね。ケインズとハイエクは社会政策全般を様々に説いているが、それは以上の様な市場経済像を前提とするもので、そこから慣習と変化、政策と自由のあるべき組み合わせ方、すなわち保守主義・自由主義・民主主義を展望しているのですよ。」

 

すると従兄弟は何も言えなくて黙って仕舞った。彼奴はケインズとハイエクの論争も知らなかった見たいだ。私は大学でこう言うことを学んでそれを論文としたが。私は反対に従兄弟に聞いた「処で、あきちゃんはどんな論文書いたの?」すると「ケッ!!フン!!」と言って何も言えないのだ。彼は大学を本当に卒業しているのか?人の事をバカにして難癖つけても自分では何も語れないではないか?大体が会社の社員が。何故、よくて皆んな高校中退か夜間高校卒しか採用しないのだ。入社面接もいい加減だし。殆んどが中卒か小学校もろくに行っていない輩だ。それは従兄弟に学がないからだ。昔、一時期。大卒を数名雇ったが、殆んどの人から造反されて辞めて行かれた。何も私は自分に学があるとは思ってはいませんよ。ただ殆嫌だった。働いている時は・・・・。ある時に従兄弟に付いている社員の小学校中退の男と一緒に車に乗った。ちょうど夏だった。そうしたらそいつがこう言い出した。「昔はよくアイス・キャンディー売りが来たものだよなぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいなぁ。〇〇ちゃん?アイス・キャンディー売り、最近。見掛けないよな?」私は呆れて仕舞った。当時は、1980年代の初頭だ。「アイス・キャンディー売り」。とは昭和20年代から30年代の半ば頃まで自転車に箱を括り付けて。中にアイスキャンディーを入れて売っている行商人の事だ。昭和10年代から売っていたが。終戦後の昭和20年代から昭和30年代によく公園やら民家が密集している場所に売りに来たものだ。お年を増した人はご存知かと思いますが、若者は知らないでしょう・・・・・・・。

 

大正時代半ば、アイスクリームの工業化が始まります。それまでは、レストランでしか食べられなかったアイスクリームが、家庭でも食べられる様になり、さらにカップアイスの登場で普及に拍車がかかります。

 

昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われ、日本の夏の風物詩にもなりました。

 

 

写真

 

 

【アイス・キャンディー】は、棒状の氷菓。

 

「アイス・キャンディー」は和製英語で、英語ではポプシクル (Popsicle) と言う。アイス・キャンデー、アイスバーとも。水、果汁、牛乳などに、砂糖などの甘味料、香料、着色料、固形の原料などを加えて、円筒形もしくは直方体の型に流し入れ、長軸方向の中央部で作る。木製またはプラスチック製の棒を差し入れて凍らせたもの。固形の原料としては、果肉、小豆、緑豆などが使われる場合が多い。凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆う場合もある。

 

棒には「あたり」「はずれ」の焼き印が押されたものもあり、「あたり」が出るともう一本アイスキャンディーが貰えると言う売り方がされる事もあった。まあ、最近の人は金魚売りやら風鈴売り。豆腐売りとか、飴細工売りとかが。自転車に積んで売りに来ていた事も知らないですよね。そして紙芝居。昔は、貸し本漫画家が紙芝居の絵を描いていましたよね。「水木しげる。」だとかね、、、

 

 

 

「風鈴売り」

銀座で風鈴を売り始めて30年以上という行商人の中山明さん

 

「飴細工売り」

移動式屋台で飴細工を実演披露し、大分県杵築市を元気にします!
 

 

「金魚売り」

 

「紙芝居」

 

古き良き「昭和の画像」を貼り付けましょう | ガールズちゃんねる - Girls Channel - 昭和時代, 古い写真, ヴィンテージの写真, 操り人形, モノクロ, フォトグラフィア, 読書, 置物

 

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そしてその社員が言うのだ。「なぁ〜〜。アイス・キャンディー食べたいよなぁ?。コンビニで売ってると思うから買って来てくれや。」そして私に10円を渡すのだ。私は絶句した。今時、昔のアイス・キャンディーがコンビニで売っているとでも思っているのだから。その上、10円????。1本ですら買えないだろう?私は言った「よっちゃん、何考えているの?昔のアイス・キャンディーなんて今時売ってはいないよ?」と言うと。「何だ、アイス・キャンディーは昔は赤いのだとか青いのだとか売っていたぞ?」と言うので「あのですねぇ・・・。今は昭和60年代ですよ。昭和2、30年代とは違いますよ?」と言ったら、「いいからアイス・キャンディーで、今売っているものを買って来てくれ....。」と言うので「それからですね。今時10円じゃ何も買えませんよ」するとこう言うのだ。「昔は、1本5円で買えたぞ!」だから怒り気味に言った。「今は1本100円はしますよ!!」そうしたら渋々200円を出して買って来いと言うのだ。私は是だから昔の人間は。と思いコンビニに行って、アイス・バーをミルクのものを2本購入して来て渡すと。私にも食べろと言って渡すのですよ。

 

私は「なんだかねぇ、、」と思いながら舐めていると自分も舐めていて「これは昔のものと味が違うけどうまいよなぁ」と言って舐めている。そうしたら軽トラックの運転席でいい歳をした男が。アイス棒を2人して舐めているので対向車の運転手が皆んなして大笑いをしてすれ違って通って行くのですよ。それを見て彼はこう言った「見てみろ彼奴らも食べたいんだぞ。アイスキャンディーを〜〜。」私は差別はしたくは無いが、貧乏育ちで学がまるで無い人間は。どうしようも無いと思って話を聞いていた。そして言うのだ自分の娘が絵が上手いと貼り出されたと。まだ小学生だ。そして言う。「おらさの娘の方が〇〇ちゃんより上手いぞ。断言する〇〇ちゃんなんて幾つ貼り出されたんだい〜〜!?」私はもう、こんなバカと話もしたくも無いから黙っていたら言うのだ。「うちの娘の絵は消防署に張り出されたんだぞ凄いだろう。〇〇ちゃんよりも凄くて立派だろう!!」そして言うのだ。「〇〇ちゃんはどこに貼らせて貰ったんだい!!」「・・・・・・」「言えない所か?(笑)」「あのですね。俺は賞を貰いましたけど。ニューヨークと、イタリアから....。」

 

 

Savannah Woman (Remastered) 

 

 

そしたら「え”っ!!」と言って要約黙った。その日は、丁度バンドをまだやっていたからライブが夕方からあって。「あの。今日はライブハウスに行くので早めに帰らせて下さい」と言ったら。「らいぶはうす???」と言うので「軽食やら客が食べたり飲んだりしながらバンド演奏を聞く所ですよ」と言ったら。「嘘も休み休み言え!。そんな店は在る訳無いだろ!!」と言い切る。私はキレて仕舞い車の中で大声で怒鳴った!!「あるんだよ!!あんたが何も知らないだけだろ?東京中にあるよ!!」そう言ったら。「いや、おらさも知っているぞ。モンキーダンスを皆んなして踊るとこだろう!!」私はキレて殆嫌になった。「ゴーゴー喫茶」は1960年代の話だ。ぶん殴ってやりたくなって来た。私はその日。夕方5時に会社に帰ると、営業日誌も書かずに家に帰り。と言っても家は会社と一緒だからどうと言う事はないが。迎えに来たバンドのベーシストと共に、ギターケースを担いで道に出て歩き出したら、近所のあの悪ガキ時代から私が嫌っている。藤堂が道を歩いていて私を見て言うのだ。「なんだ。てめえなんぞが、ギター弾けるのかよ!!」私は黙って歩いていると言う「弾けるのなら此処で弾いて見ろや!!」私は黙って歩いたが追いかけて来て言うのだ。だから言ってやった。

 

「これはなエレキギターだよ!!」そう言うと「ケッ!!格好付けやがってチビの癖に!!」私は「どいつもこいつも皆殺しにしてやろうかバカどもが!!」と思ってスタジオに行くのに電車に乗った。その日は皆んな、ブルースには飽きていたので。ディープ・パープルとトミーボーリンの曲を演奏した。そしてこう言う事があった。スタジオで練習して皆んなで居酒屋チェーンの「村さ来」でおつまみとビールを飲んだのだが。私はビールは弱いのですよね。酔って仕舞って帰りに電車に乗ったのだが、どうやら終電で。客がその車両に私ともう一人しかいなかったものだから。酔いも手伝ってラジカセで演奏した曲をつい掛けて聴いて仕舞った。そうしたら前に座っていた男が微笑んで私に言った。「バンドのテープですか?」私が「あれ、すみません、、今止めますから....。」と言うと「いや聴かせて下さい。私も実はホルンやっているんですよ。」と言われた事があった。音楽やっている人は皆好意的だ。しかし昨日か。コンビニに食料買い出しに行ったら。身長187センチはある、長い長髪の男2人連れが、私の前から来てスノップに歩いてすれ違って行った。多分ヘビメタのロックバンドのミュージシャンだろう。歳は30代ぐらいに見えた。「カッコイイなぁ〜」とは思ったが背が高すぎてどうもなぁと思った。私とは、ほぼ20センチは違う....。その社員が生きていたら「格好付けやがって!!」と。さぞかし僻んだ事だろう。何せ彼の身長は148センチだったから、話は此処迄にしときます.....。話はまだ続きますが、何だか薬の後遺症で眠いです。だから少し寝ます。此れだから何も出来ないんですよね。まあ、言ってもしょうがないか・・・・・。

 

       『休憩中』

 

今起きた。1時間半は寝ていた。私は変な話だが此処の処オナラが物凄く出る。今日は訪問看護師に言ったのだが「ガスが出るんだから良いじゃない」と惚けられた。全て薬の後遺症なんですよね。本当に嫌になる!!今日は、先ほど起きて駅前のATMまで行って来た。何故なら家賃を振り込んだのと。昨日届いた保証人会社の更新料と、家賃の更新料1月分と火災保険料で全て合わせて8万8千円を銀行に振り込んだからです。「保証人会社が通るかなぁ」と心配だったが、自動更新にしてくれていた見たいだ。2年分の更新料をコンビニから入金した。2万円です。不動産の更新料は家賃1ヶ月分5万円と火災保険料1万8千円の合わせて6万8千円です。ネックになっていたのは連帯保証人が持ち金が少なくて保証人会社が通るかどうかと言う事だったが、2年前に「金が無くなったら障害持ちなので生活保護になりますから....。」と言って置いたから。そう言う対応をしてくれたみたいだ。まだ生活保護は受けては無いけどね、、正直私の姉も姪っ子も大金持ちだ。しかし私は縁切りをされて居る。だから、もう持ち金が無いので。今年の暮れか来年の初めには生活保護になる。生活保護課に申告が通ればだが、その前に更新が出来て良かったです。感謝です。そして不動産に行って更新書類にハンコを押して来た。処でパーマ代と染色代として2万円を貯めなければならない・・・・・・。

 

今日の昼です、、、れんげ亭で、冷やし中華と餃子セットを食べました。此れで900円です。。

 

 

そのあとで喫茶店に入り、コーヒーフロート飲みました。480円でした。。

 

 

 

 

 

 

 

正月に、弟がプリンスホテルで食事会を模様した時だ。あのバカ親父は当時、私はカカトが6センチあるブーツを履いていたのだが。親父は車の運転は止められていて。以前に車を運転するなと医者から止められていたのに「おりゃ〜〜。大丈夫だ。運転するんだ!!」と言って。母がいない私と二人っきりの時に。運転をして車のケツを振って帰って来たから、私が怒って家中のガラスのコップを叩き割ったら、それ踏んでバカ親父が怪我したと帰って来た母が言っていたが。私は怒り心頭だった。この時も皆んなして電車で行ったのだが。あのバカ親父は背が自分よりも私が大きく見えると言って「このバカヤロー。ブーツ脱いで来い」と怒鳴りまくった。私は「イイ加減にしろバカヤロ〜〜!!」と怒鳴った。そして駅に着くと「ブーツを脱いで見せろ!!」と言うのだ。私は黙っていた、そうしたら「こいつはなぁ、チビなんだ!!」と周りに聞こえる様に言う。私はこんなバカヤローはいないと思っていた。そしてホテルに着いて姉さんたちがまだ来ていないので。ラウンジで待っていたら。あのバカ親父はおどおどしていて、「俺が見に行って来る」といなくなったが。すぐに帰って来て「遅いな〜〜!」と言っていたら。姉さんたちが要約やって来た。そして食事会が始まった、フランス料理のフルコースだ、弟が家族のために奮発してくれたのだ。私は弟に「お前、無理したんじゃないかこれ8万円ぐらいのコースだろう」と言うと。彼奴は微笑んでいた、しかしその直後。あのバカ親父は私の名を呼んで「喰え、喰え、喰え!!」と言いながら自分はフランス料理にむしゃぶりついた。私は嫌な光景だなと思って前菜を食べ出したら。いきなりバカ親父は顔を料理に突っ伏して気を失って仕舞った。

 

私は冷静にその一部始終を見ていた。そして、私は大きな声でホテルの従業員に救急車を頼んだ。そしてコーヒーを注文して飲んでいたら救急搬送の人たちが怪訝そうな顔をして、部屋に入って来たので。私が状況を説明しようとしたら「うるさい!黙れ!」と救急隊員の人から罵声を浴びせられた。そうしたら。あのバカ親父はひょっこり起き上がって、「なんだ皆んな、どうしたんだ、おりゃ寝てたんだ!!」と言った。救急隊員たちは怒りまくった。それはそうだろう元旦にフランス料理のフルコースを食べていて、気を失ったバカを見ているのだ。そうしたら、弟は下を向いて複雑な顔をして黙っていた。私が言った「弟は医者ですよ。私の隣に座っている兄貴も医者です」そう言ったら。要約、「なんだお医者さんの一家でしたか?」と言って低姿勢になった。「先生・・・。」と救急隊員の人が私に話し掛けるので「俺は違うだろ!!」と怒鳴った。そうしたらあのバカ親父は「なんだ、なんだ?。おりゃ、寝ていただけだぞ???」と言う。私はこんなバカヤローは親でもなんでも無いとは思ったが。気落ちしている弟と姉さんたちが何も言えないので。母と2人で「気は戻ったけれども、一応病院まで搬送して下さい」と頼み込んだ。そして弟が乗り込んで搬送先の病院まで行った。あのバカのおかげで8万円の料理が全て台無しになった。皆んなして部屋を出ると会計はもう弟が前もってしてあったので家に帰って来た。2時間ぐらいしてから弟がタクシーであのバカを連れて帰って来た。医者の家系だと言ったら下にも置かれなかったそうだが。そうしたらあのバカ親父は腹が減ったと言うのだ、仕方が無いんで出前でラーメンを取った。帰って来てもあのバカ親父はまだ言っていた。「なんだ。おりゃ〜〜、眠っていただけなのに!!」おそらくは脳梗塞を起こし掛けたのだろうとは誰でも想像が付く。

 

 

ブラック・ナイト ディープ・パープル 

 

 

 

それから親父のパチンコ狂いの日々が始まった。毎日会社が終わるとパチンコ屋に行くのだ。そして、店が閉店になるまで7時間いるのだ。初めは私に「おいATM で通帳から金下ろすのはどうしたら出来るんだ?」と聞いて来たが私は一切教えなかった。だからあのバカ親父は自分では金を下ろせないから、母から小遣いを貰っていたはずだ。そして金が無くなるとパチンコ屋で、隣の人が打っているのを被り付きで見ていて。仕舞いには「このクソジジイ。球でも欲しいのか!!。何時も何時も隣に来て見て居やがって。乞食野郎!!そんなに欲しければくれてやる!!」と言って数10発玉を貰うと、それをありがたがって使ってまた遊び。そして、それもなくなると床を這って。落ちている球を拾い、それでやって入ったと帰って来て私に得意げに言うのだ。そして帰って来ると会社のジャンバーを着込んでいるからタバコのヤニの匂いが凄まじい。私は怒って言った「あんたさ、このヤニの匂い何んだ。この大バカヤロー。肺癌に罹って死にてえのか。」そう怒鳴ると「おめえは何を言っているんだ。」と言うのですよ。だから私がまた「癌になりたいのかと言っているんだ!!」と言うと「ああ、俺はなぁ、親父が72歳で死んでるんだ。だから俺も生きても72歳だ!!」と言う。

 

そして私が当時は、放送大学の芸術論と心理学をテレビで観ていたが。すると。決まって観させない算段をワザとする。私の前でわざと夕刊を広げるのだ。そして言う「人間はなぁ、勉強は学生時代だけすれば良いんだ!あとは遊んで暮らすんだ!!」そして勝手に人が見ているのにスポーツ・ニュースにチャンネルを変えるのです。時間はもう12時を廻っている。私は人は一生勉強だと思いますけどねぇ.....。そして当時は松井選手が評判で人気があったが。夜中になんか寝ていたら、何処かからスポーツ中継の放送が聞こえて来る。時間を見ると夜中の3時だ。私は父と母の寝室に行って見ると母は寝ているがバカ親父はいないのです。そして音が聞こえる方を辿って行くと。弟の留守にしている部屋で、BS放送のアメリカでの松井の大リーグの登板を見ている。そして松井が出て来るとこう言うのだ「ゴッジラが吠えるぞ〜!!」私は呆れて言った。「おい、親父!!ビデオに録画して置いて早朝見ればイイだろう!!」するとこう言うのだ。「バカヤローだな、てめえは、野球はな、その時見るものだ。」私はもうこんなバカは。どうなっても知らないと思って部屋に入り、鍵をかけて寝ていた。

 

それから数日経って。私は小さめの丸いメガネを購入して、それを掛けて会社に出勤した。周りの社員たちは「そのメガネ洒落ていますね。ジョン・レノン見たいですね!!」と言ってくれたが。いきなりバカ親父がやって来て「なんだ?このちっこいメガネは。大体がお前は目つきがおかしいんだサングラスを掛けてろと言っているだろう!!と。掛けていた、丸いメガネを手で払って叩き落とした。私は身体中から怒りが汲み上げて来た「この腐れ外道が!!」と言って親父をぶん殴っていた。そうしたら親父は言った。「大体がお情けで会社に入れて貰って於いて!。何だその態度は今日かぎり首だ!!出て失せろ!!お前何かいなくなれ、バカヤロー!!」私は前の日にギターを道路に叩きつけて壊していたから。もう辞め時だと思っていた。そして正式に会社には行かなくなった。母は認知症になり掛かって来ていた。大体が私は精神病だと親に言って、本も買って来て読んでくれと言っているのに。母も親父も読みはしなかった。そして倒れる様な薬を処方されて飲んでいるのに。会社で肉体労働をさせた。障害者年金だって貰えたはずなのに手続きもしなかった。障害者年金は10万は貰えたのだ。年金と合わせれば20万位にはなる。いやそれを少し超える額か?私は働いていて一時期は無理が祟って34kgも体重が減った事もあった、身内でさえ冷たいのだ。他人が誰が私を気遣ってくれる人がいるのだ。そして、家にいながら暮らしていたら。姉さんから電話が掛かって来た。

 

姪が結婚するとかで。その結婚式はハワイで行うとの事だった。処が問題があると言う。新郎の背が低いのだ、姪は身長が170センチはある。だからハイヒールを履くと176センチくらいにはなる。だから私がたまに履く。6センチのブーツがどこで売っているのか聞きたいと言うのだ。私は「だって男用のヒールのブーツだよ?」と言ったが「バカヤロー!!さっさと教えろ!!」と言うのですよ。私はそれよりもシークレット・シューズの方が良いのではないかと思い。ネットで調べていると「このクソバカヤロ〜〜。さっさとしやがれ!!」と怒鳴る。私が姪の旦那の身長を聞いても言わない。何センチぐらいだと聞いても言わないので。多分165センチぐらいだろうと思ったから5センチと7センチのシークレットシューズを紹介したら。「どこに行けば買えるか、ちゃんと教えろバカヤロ〜〜!!」と言われてマジギレしたくなったが。「銀座に「トールシューズ」と言うシークレット・シューズ専門店があるから。行ってみれば試着できると思うよ。それからネットからも購入する事が出来る見たいだね」と言ったら「ネットのアドレス教えろ!」と言う。私はそんな事ぐらい自分で調べる事が出来るだろうとは思ったが。アドレスを教えたら電話は黙って切れた。その後。姪は結婚したが一度も母と私の処に挨拶には来なかった。姪の旦那の姉さんは世界に名だたるバイオリストで。旦那は東大卒で資産家らしいが、どうやら礼儀を知らない連中らしい。

 

そうこうしていたら、言った通り。バカ親父が肺癌に罹った。自業自得だ。そして入院をした。母はカードで見られるテレビ付きの個室の病室を当てがったが。あのバカ親父はカードを1日5枚は使っていた様だ。毎日数時間テレビを見ていたのだ。ある日。バカ親父はオムツをしているのにトイレに行きたくなったと言い。身体中にさしてある管を抜いて自分でトイレに行こうとしたらしい。後から主治医と看護師から言われた「あんたの父親が何したか病室に行って聞いて来い!!」その当時はバカ親父は2人部屋になっていた。病室に行くともう一人の入院患者が言っていた。「下の始末なんざ、看護婦がするのになぁ、、あの人はオムツも外して廊下でうんちと小便垂れ流して糞尿まみれになったんだよなぁ」私はかわいそうだなどとはとても思えなかった。どこまでバカなんだと思っただけだ。そして親父は肺癌と骨癌に罹り、病院から電話が掛かって来て。

 

私と姉夫婦と弟夫婦が病院に呼ばれた。母はすでに認知症に罹っていて調子が悪くて寝ていた。そして担当医が言うのだ「もう手遅れ状態ですね、骨癌にも罹っているし肺炎にも罹っています。注射をしようと思うのだけども、すると死ぬ確率が高い。私はねぇ、患者から訴えられたくないんだ!!」そう言われ最後は安楽死を主治医から強要された....。弟は「あの医者、訴えてやる!!」と怒ったが。私が辞めて於と言った。「お前も医者なんだから泥試合になるぞ」と言った。あんな手の掛かる末期癌の患者は早く始末すると言う事だ。医者は患者を治すとでも皆さん思っていますか。大抵の医者は患者は特に重症患者は見殺しにするものなのですよ。

 

さあ、、バカ親父とも最後だ。私はなんかスッキリした気がしていた。ただ癌の末期患者が収容される部屋に入って。口を開けて目を閉じて身体にチューブが刺さっていて。一見意識がないであろう。。横たわっている親父の手を握り。「親父、、意識がない様に見えるけど、意識あるんだろう。あったら俺の手を握り返してみな」そう言うと。あのバカ親父は必死になって渾身の力で私の手を握り返して来た。そんな様子を見ていて弟が言った。「兄貴、金なら今1千万貯めた金がある。金なんてまた貯めれば良い。親父をもっと設備の整った良い病院に移して末期治療をさせる」と言ったが私が言った。「この人の運命が此れなんだよ。金はお前たちには子供がいるんだから大切に取って置きな。親父はもうダメなんだよ。散々周りに迷惑を掛けてくれて、、もう最後だな.....。」そう言っていたら。看護師が来て注射をした。そうしたら親父はかすれた声で何かを言ったが何を言ったかは聞き取れなかった。弟の嫁は泣いてくれたし弟も泣きそうになったが。私が泣かなかったから我慢したみたいだ。母はすでに認知症の毛が出始めていた。母も最後は立ち会ったが私があえて母を親父から遠ざけていたから。母は側で見てはいたが、よく臨終の際は解らなかったらしい。その後。母から私は言われた「お前のせいでお父さんと最後のお別れが出来なかったよ!!」そして母は重度の認知症になって行った......。今回はこのぐらいにして置きます。此処まで読んでくれて有難う御座いました。。。


 

ホグワーツに入学して気がついたらスリザリンだった件について。