blues harmonicaのブログ -10ページ目

blues harmonicaのブログ

ハーモニカが好きで吹いています。全然ヘタですが。
これから日々気が付いた事など書いて行こうと思っています、、
宜しくお願い致します。。。。。

umino_7882@yahoo.co.jp

 

今回は最近の音楽の皆さんの見方とモノについてとファッションの考察です。

コメント下さいね。どんな事でもいいですよ。よろしく。。。。

 

 

 

 

 

 

 

処で、こんな話があるのですが、、
私が尊敬して居る BBkingと言う、
ギタリストが居たのですが。

彼は自分の愛器のエレキギターに女性名の、
「ルシール」と言う名前を付けて、肌身から
離しませんでした。飛行機に乗る時には、
隣の席を彼女名義で予約して、隣に乗せて
居ました。

バスでも隣の席。そして特急列車でも隣の席に
置いて居ました。ある日コンサートに出るので
宿泊して居たホテルが寝て居る間に火事に
なって仕舞いました。彼は着る物も着ずに
パジャマの侭で、逃げました・・・・。

処が彼は自分の愛器の「ルシール」が、
ベットの隣に置いてあった事を思い出し、
消防隊員が止めるのも聞かずに頭から、
大量の水を被り、猛火の中に・・・・。

暫くして、彼は軽い火傷を負いながらも「ルシール」を救出して来ました。

そしてルシールにキスをしました。

翌日はコンサートでした。その日のルシールは
絶好調で、泣きのブルースギターを嬉しそうに
奏でました。この話は、伝説になって居る話です。

それから数年経って、BBkingは病のベットに
居ました。医者からあと1ヶ月の命だと言われて居ました。

BBkingはその時もベットの傍に「ルシール」を
置いて居ました。もう力が出なくて弾けないけど。
何時も一緒に居たのです。
 

彼はベットの隣に置いてある「ルシール」に呟きました。

「長い事、有難うな、ルシール....。」

すると「ルシール」のギターの弦が一つ、切れました。

 

彼は間も無く亡くなりました。

「ルシール」は一人ぼっちになりました。
そして誰がこのギターを弾いても、、
音はもう鳴りませんでした。

彼女もBBkingの後を追ったかの様でした。

「ルシール」を弾くBBkingです、聞いて見て下さい。

 

The Thrill Is Gone 

 

 

 

1970年に手塚治虫氏が監督をして作った、
大人向けのアニメラマと言う、アニメ映画が
有ります。公開当時はエジプトでも公開されて、
世界的にアニメは子供向けだと言う、観念を
取り去った映画です。

アメリカやフランスなどでも公開されました、でも知らない方の方が殆んどだと思います。

今回、此処にそのアニメを、その映画の
予告編を挙げた映像と挿入歌があったので紹介致します。

「クレオパトラ」と言うアニメです。

歌とスキャットは作詞が中山千夏。作曲が冨田勲です。
歌って居るのは、由紀さおりですよ。

 

Cleopatra No Namida 


[アニメラマ]クレオパトラ_予告篇 

監督は手塚治虫です。こう言ったエロチックなアニメも撮って居るのですよ。

 

 

 

 

「21世紀のナショナリズム」

 

最近はまた、ナショナリズムが出て来て居るのか?21世紀も進み出したら、全世紀的な思想。封建主義的な考え方が蔓延り始めて居る。それは、物を所有すると言う概念を危険思想と見なす事だ。私は確かに前世紀的な物を所有し、そしてそれらに囲まれて、暮らして居る。それが、無駄な事で、時代にあって居ない、ダメな考え方に寄って成り立って居る無駄な事だと思う人が大半なのです。例えば、ラジカセだ。私は今に相応しく。「BoomBox」と呼んで居ますが。カセットテープで音楽を聴く事を、もう終わった無駄な事をして居るバカと見て居る人が殆んどだ。何故なら今はスマホで例えばiPhoneなら、アップル・ミュージックに加入すれば、音楽はストリーミングで聴き放題で聴ける。音楽をデーターとして聴いて居て。物の概念が全く無いのだ。レコードやら、カセットテープ、そしてCDには、モノとしての音楽の概念が詰まって居た。人はレコード屋に行き。レコードのジャケットを見て、ジャケットに描いてあるイラストを見て、芸術的なフォトを見て。また、レコードに掛けてある帯を見て、または中に入って居るライナーノーツを読んで、その行為その物も、音楽と言う媒体の一部だった。カセットテープに音楽を自分で録音する事自体が音楽の共有部分だったし、カセットテープの表紙を自分でコラージュしたミュージシャンの写真やらイラストを貼り、文字に対するレタリングを楽しんで居る事そのモノも含めて音楽だった。CDもそうだった。同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが丸で無くなって仕舞ったのです。今の若者なら仕方が無いだろう。生まれた時から、音楽はスマホでストリーミングを聴き、音楽に形があったと言う事を知らないのだから。しかし、それ以外の人たちまで右へ倣えをして居る。何故なら、ラジカセなどは買って持っては居たが、今は押し入れで壊れて聴け無く成って置いてあるし、ステレオは元からいいものは持っては居ない。レコードなども買って、持って居たけど、今は、処分したし、残りの処分しきれなかったレコードはやはり押し入れに入って居る。大体がレコード・プレーヤーが無いと大抵の人は言うのだ。そんな時に私は「レコード・プレーヤーなら昔と違って今は7千円ぐらいから小型のアンプを搭載してスピーカ付きのものがありますよ」と言うのだが、今更買う気にはなれないと言うのだ。音楽はスマホで聴けるからそれでいいと言うのですよ。ミュージシャンは今は食えない職業に成り下がって仕舞った。苦労してギターなどを弾く技術を身に付け、その技術を駆使して、自分のフィーリングで考えた音楽を演奏してそれをレコードなりCDにして売って、評価を得て、ライブで自分たちバンドの音楽を発表して評価を得ながら活動をする。それが今や崩れて仕舞って居る。最近はDJがクラブやらコンサートと銘打った。DJ主催の音楽会で、レコードを何枚も同時に変則レコード・プレーヤーで再生して音をサンプリングして、変則的にエフェクトを掛けて再生して、それでクラブ・ミュージックだと言って、自分はミュージシャンだと言って憚らない。楽器は何も弾けないのですよ。感覚刺激だけだ。最近のロックバンドを聞いても。ハッキリ言って、ブルースの影響が丸で無い。非常にお粗末な発想の音作りをして、ギターソロなどはまるでど素人か?と見舞い違いする程度のアドリブしか弾いて居なくて、そんな程度で実力があるなどと言われて居る。

 

 

以前、今からもう10年ほど前になるがテレビで深夜音楽番組を見て居たら、実力派・プログレッシブ・ロック・バンドと言う触れ込みである若者たちが結成して居るバンドの音楽を流したが、私は唖然とした。単に音は幼稚な羅列にすぎなかった。確かに。前衛的な音作りをするジャーマン・プログレと言うジャンルも昔あった。「カン」やら「クラフト・ワーク」または「タンジュリン・ドリーム」などと言うバンドたちが居た。どのバンドも1970年代から1990年代まで演奏は続けて居た。しかし彼らは音こそは前衛的だけども、例えばイギリスの「イエス」「ピンク・フロイド」「EL&P」またイタリアの「イ・プー」「ニュートロレス」「ムゼロ・ローゼンバッハ」フランスの「オルメ」などを聴けば解るが彼らはクラシックとブルース。そしてジャズをちゃんと学んで居て、それらの音楽を演奏が出来る実力を持った上で、あえて前衛に走って居るのですよ。今の若者は上部だけ真似て、基本の部分のそれらの音楽を丸で解って居ないし学んで居ないのです。私は最近、応援して居る若手のバンドが居ます。それはブルース・ハーピストである千賀太郎くんが作ったブルースを軌軸に全く新しい音楽の創造を目出す、ロックバンド「Monster大陸」とロックとブルースを基調にしながらも、新しさを感じさせるサウンドを鳴らす、男女2人組。 ハスキーで圧倒的存在感のヴォーカルと、 ブルージーで感情豊かなギターが特徴の松尾レミと亀本寛貴の男女2人による日本の音楽ユニットグループ「グリム・スパンキー」の2バンドです。彼らの実力は折り紙付きです。こう言った若手のバンドが居る限り私は日本のロック業界も安泰だなと思えるのです。話は音楽に付いてに成りましたが......。

 

Concerto Grosso n. 1, I Tempo: Adagio (Shadows) 

Pink Floyd -"Echoes" Pompeii

YesSongs #7: YES - Roundabout

Sorona

 

 

M1 The Call Performed by MONSTER大陸

問題ない(NOT a PROBLEM) / Song by MONSTER大陸 

めぐりあい (feat. GLIM SPANKY)

GLIM SPANKY「ダミーロックとブルース」

 

 

「断捨離の弊害」

 

最近は断捨離が大いに称賛されて居る。テレビ番組では特番の番組があって、モノが捨てられない、お年寄りや老年・中年の人が番組に登場して如何に断捨離をしてモノを捨ててスッキリしたかと言う事を放映して居るのですよ。まるでモノを所有して居ることが贅沢で行けない危険思想な様な考え方です。私の処に通って来て居る。60歳を超えたヘルパーのおばさんは言います。「服なんか、身体が隠れるTシャツにズボンがあればいい。あんたの様な格好は暑く無いのか?着込んで居て。」「私は別段、大そうな偉い場所に行くのでも無ければ、近所を彷徨くだけだ。この格好で十分だ、シャツは四百円で充分。ズボンだって八百円で買える。」そして言う。「あんた、そのロング・ベスト幾らしたの?」「これ?、嗚呼、安いですよ3千幾らだから・・・。」「そのジャケットは?」「嗚呼、コレは、Yohji・Yamamotoの物に似て居るものをたった7千円で手に入れたんですよ。あのブランドの服は8万幾らかするので、コレは安いでしょ?」「何て高いの?高いわよ。服にそんなお金掛けてどうするの?」「あんた、家にいる時から洒落た格好して居るけど、意味あるの?自己満足かい....。」と今の時代に洗脳されて居る....。

 

60歳超えて居るのに・・・・。今は、ファスト・ファッションが主流の時代です。UNIQLOが全盛だ。あとGUに無印良品などで皆んな服を購入して居る。UNIQLOは革新的だ。「UNIQLOーU・」と言うブランドがユニクロにはある。デザイナーが違う そもそもUNIQLOーU.のデザイナーさんはUNIQLOパリR&Dセンターのアーティスティックディレクター、クリストフ・ルメール氏が率いるパリのデザイナーチームによって作られて居ます... ... 。彼は、2011年にエルメスのウィメンズアーティスティックディレクターに就任して2015年SSコレクションで退社。何故、高名で知られる。高額な高級ブランドを作って居たクリストフ・ルメール氏がユニクロとタイアップしたのかは謎だが、これで、パリ発の最新のモダンなファッションがUNIQLOーUブランドとして、低価格の数千円で買える様に成ったのです。

 

この事は凄い事なんですよね。そして無印良品は今から10年ほど前には、あの山本耀司氏が無印良品のデレクションをした服を売って居ました。名前は表に出なかったけど。「ヨウジ・ヤマモト」の服が低価格で買えると評判でしたよ。そして古着屋にはルイ・ヴィトン、エルメス、クリスチャン・ディオール(ディオール・オム)、アルマーニ、ランバン、プラダ、グッチ、トム・フォードトム・ブラウン、キートン、ジル・サンダー、イヴ・サンローラン、キャサリン・ハムネット、ジョン・ガリアーノマーク・ジェイコブスラルフ・ローレン、コム・デ・ギャルソン、ツモリ・チサト……。などの高級ブランドの服やらアクセサリー。時計や靴。メガネなどが豊富にしかも安く売って居ます。私は最近になって古着を購入して居ますが、大体は、高級ブランドのデザインに為せて作ってある、ブランドの服を購入して居ますよ。同じ様なデザインで安いので。先程も言いましたが、例えば、「youji・Yamamoto」の服は山本耀司さんは幾つもの自分のブランドを作って展開させて居て、若者向けのシャツ、ブレザー、コート、パンツなどは低価格のモノもあります。ほぼ1万から2万で手に入ります。

 

私もたまにそこで購入しますが、サイズが今の若者のサイズなので小さい事がありますので、此間購入したスプリング・コートは2万円のモノを購入しましたが、サイズがキツキツでした。まあ着られなくは無いのでいいのですが・・・・。それから「ALLEGLO」と言う、モード系の服を結構安く売って居る店からも購入します。まあ、若者向けなのですが、カッコイイ服が多く売って居るのですよ。例えば山本耀司さんの服は80歳を超えた老人にさえ着られる程のカッコイイ・デザイン性を持って居るのですよ。私は観ましたが、テレビで80歳になる女性が、「ヨウジ・ヤマモト」のロング・コートを颯爽と羽織り、「山本耀司さんの黒いコートだとかブレザーは、こうやって私なんかの80歳廻った老人でも格好良く切れるんですよ💕」と言って憚らない。今は何でも在りの時代ですよ。まあ、長く書いて来ましたが。

 

今は過去のモノから最新のモノまで何でも或る時代なのですよ。昔のモノをリぺアして改造して、今の時代に合わせて今風に使うと言う事は良い事なのです。最先端の事がモノだけが必ずしも良いと言う訳では在りません。だから私はブルースをこよなく愛すし、演奏します。そしてロックもジャズも聴きます。今の時代を表面だけで捉えて、皆んながこうするから正しいとマスコミに踊らされて、一部の修正主義者の言う事をSNSなどで、読んで、本気にして、過去のものを断捨離し。思い出も古いものは悪だと切り捨てて楽しいのでしょうか?今こそよく考える時では無いでしょうか。私はそう思いますよ。此処まで読んでくれて有難う御座いました。

 

Akira Sakata 坂田明 - Summertime

Stan Getz and Chet Baker 1983.flv

Stan Getz - Valérie (extrait de la musique du film "Mort d'un Pourri") 

Stan Getz - Mort d'un pourri (extrait de la musique du film "Mort d'un Pourri") 

 

 

フランスの作曲家「フィリップ・サルド」の曲を挙げて置きます。私が好きな作曲家です。

 

 

映画『帰らざる夜明け(La Veuve Couderc)』 original sound track 1971年 

暗黒街のふたり Deux Hommes Dana la Ville Original Sound Track 

 

そしてもう一人。作曲家を紹介します。「エンニオ・モリコーネ」です。

Ennio Morricone - Trilogia del Dollaro (Dollars Trilogy) Soundtracks 

Il Grande Silenzio (The Great Silence) - Ennio Morricone 

Le Clan des Siciliens シシリアン (フランス映画) 

 

眠たくてたまらない私......。

 

 

 

寝起きで髪がばらついています〜〜!!

 

 

 

 

 

 

 

「マカロニの影のヒーロー・サルタナ」

アクション連発!ガジェット満載!マカロニ版ジェームズ・ボンド、サルタナの勇姿に痺れろ!

 

数えきれないほどの荒くれ者たちが、アメリカの大西部ならぬスペインはアルメリア地方の荒野を駆け抜けて行ったイタリア産西部劇=マカロニ・ウエスタン。クリント・イーストウッドが演じた「Man with No Name」(名無しの男)を筆頭に、数多くのマカロニ・ヒーローも誕生したが、その中でもジャンゴやリンゴと並んで高い人気を誇る名物キャラクターが、本作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』の主人公サルタナである。

まずは基本的な情報から整理しておこう。ジャンゴ・シリーズやリンゴ・シリーズと同様、数多の映画を生んだサルタナ・シリーズだが、正式なシリーズ作品は下記の5本とされて居る。
 

・1作目 Se incontri Sartana prega per la tua morte(サルタナに会ったら己の死に祈れ)

 

・2作目 Sono Sartana, il vostro becchino(俺はサルタナ、お前の死の天使)


・3作目 C'è Sartana... vendi la pistola e comprati la bara(サルタナが来た…お前の拳銃を棺桶と交換しろ)
 

・4作目 Buon funerale amigos!... paga Sartana(良い葬儀を、友よ…サルタナが支払う)

 

・5作目 Una nuvola di polvere... un grido di morte... arriva Sartana(埃の雲…死の叫び…サルタナが来る)

 

 

サルタナ・シリーズの特徴を一言で表すならば、ずばり「西部劇版ジェームズ・ボンド」であろう。お洒落でエレガント、荒唐無稽にして軽妙洒脱。全身黒づくめのギャンブラー風に決めたニヒルな謎のガンマン、サルタナが、愛用の小型リボルバーと数々の秘密兵器を駆使して悪党たちを一網打尽にする。レオーネやコルブッチなどのシリアス路線や、リアリズム志向のガンプレイを愛するマカロニ・ファンには賛否あろうと思うが、しかし猫も杓子もレオーネのエピゴーネンを競って居た当時のマカロニ業界にあって、あえて差別化を図ると言う意味で正解だったと言えよう。しかも文句なしに面白い。 そもそもの始まりは’67年に公開されたマカロニ・ウエスタン『砂塵に血を吐け』。この作品でアンソニー・ステファン演じる主人公ジョニーよりも目立って仕舞ったのが、強烈な存在感を放つサイコパスな弟サルタナ(ジャンニ・ガルコ)だった。そう、もともとサルタナは悪人キャラだったのである。しかし、この映画が当時の西ドイツを中心に大受けし、ことにガルコ演じるサルタナの評判が高かった事から、「ならばこいつをメインに映画を作れば当たるに違いない!」と言う事で誕生したのがサルタナ・シリーズだった訳だ。

 

ただし、今回はれっきとした主人公なので、流石にサルタナが悪党の侭では困る。ゆえにキャラ設定は初めから仕切り直し。ジャンゴみたいな悲壮感漂う復讐ドラマは御免こうむりたい、もっとシニカルでユーモラスなヒーローがいい、衣装も小汚いカウボーイじゃなくて粋でお洒落なイメージで!と言うジャンニ・ガルコ自身の意向を汲みながら、新たなサルタナ像が形作られて行ったと言う。各作品の劇中で使用される秘密兵器なども、主に彼がアイディアを出して居たらしい。会計帳簿にピストルを隠した帳簿GUN(4作目)、車輪の穴にダイナマイトを仕込んだ車輪BOMB(2作目)、時にはトランプカードやダーツの矢、懐中時計まで起用に武器として使うサルタナの華麗なアクションは、ジャンニ・ガルコが演じてこその賜物だったのである。

 

シリーズ全体のトーンを設定したのは1作目のパロリーニ監督。マカロニにありがちな情念やペシミズムは一切なし。毒を持って毒を制するかの如く、狡猾で抜け目のないサルタナは常に敵の一歩先を行き、腹黒い悪党どもをてんてこ舞いにして、最後はまんまと金塊の山をかすめ取って行く。ストーリー展開は極めてアップテンポ。アクションも一切出し惜しみせず。続く2作目でバトンタッチした、アンソニー・アスコットことジュリア―ノ・カルニメオ監督は、基本的にパロリーニ監督のライトな路線を継承しつつ、よりコミカルでナンセンスなユーモアを盛り込んだ。’70年代初頭に流行するコメディ・ウェスタンの先駆けである。ただ、E・B・クラッチャーことエンツォ・バルボーニ監督の『風来坊』シリーズなどと違って、粋で洗練されたユーモアセンスこそがカルニメオ監督の醍醐味。ベタな大衆喜劇的コメディに走らないサジ加減が絶妙だ。そう言う意味で、このシリーズ最終作『サルタナがやって来る~虐殺の一匹狼~』などは真骨頂と言えるだろう。

 

消えた大金を巡って、三つ巴・四つ巴・五つ巴の裏切りと騙し合いが繰り広げられるストーリーも悪くない。まあ、厳密に言うと1作目の焼き直し的な印象は否めないのだけれど、恐らく視聴者の皆さんの多くが未見だと思うので問題ないでしょう(笑)。悪党どもをお互いに対立させて、漁夫の利を得ようとするサルタナのずる賢さ(?)も相変わらず。ある種のピカレスクロマン的な魅力すら感じられる。脚本はティト・カルピとエルネスト・ガスタルディ。どちらもイタリア産B級娯楽映画の黄金時代を代表する名脚本家だ。

 

12/28リリース『俺はサルタナ/銃と棺桶の交換』予告 

 

 

 

 

 

 

Uniqlo U

Uniqlo U

Uniqlo Uとは、アーティスティックディレクターのクリストフ・ルメールが、上質なワードローブを追求するコレクション。シーズンを追うごとに、究極のデイリーウエアは進化し続けます。

 

 

ー1970年代のレナウン・ファションブランド「ダーバン」のアランドロン主演のミニ・ストーリーCM。この当時、このCMは一切を風靡しました。

 

 

 

ALAIN DELON in D'URBAN/Part-1 

 

ALAIN DELON in D'URBAN/Part2 

 

ALAIN DELON in D'URBAN/Part3

 

ALAIN DELON in D'URBAN/Part4

 

 

アランドロン1983年来日(当時48歳)インタヴュー 

ALAIN DELON MIMI LEÇON DE VIE (LIBERTE - JAIRO) 

 

 

 

デザイナー山本耀司

 

 

 

【ヨウジヤマモト特集を大公開!】

Piggy 6 Oh! Oh! / 500 MILES

Yohji Yamamoto Pour Homme 20AW

 

 

 

デザイナー山本耀司 / Photo by Masashi Akiba (C) FASHION HEADLINデザイナー山本耀司

レジェンド、山本耀司の服作りが意味すること。

誰でも分かるヨウジヤマモト1分解説【ブランド紹介】Yohji Yamamoto 

Yohji Yamamotoが黒にこだわり、COMME des GARCONSが黒にこだわらない理由 

6.1 The Men | Yohji Yamamoto & Comme des Garçons Fall / Winter 1991 Joint Presentation in Tokyo 

 

情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 1/3

 

 

『レジェンド・山本耀司の服作りが意味する所』

 

1981年以来パリでコレクションを発表し続け、第一線で活躍するレジェンド、山本耀司。そして今、若い世代を中心に新たな「ヨウジヤマモト」ブームが巻き起こって居る。日本のファッションを牽引し人々を惹きつけ続けるその魅力を探る。

 

 

社会の流れに対する疑問や反対意見を叫び、吐き出すことが僕の服作り。

〈左:秋元梢〉ドレス ¥110,000/YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモト プレスルーム) 〈右:小林直己〉ジャケット ¥262,000 トップ ¥28,000 パンツ 参考商品 ネックレス ¥260,000 ウォレットコード ¥14,000 バッジ(三角) ¥5,000 (丸) ¥4,000/すべて YOHJI YAMAMOTO 手に巻いたウォレットチェーン ¥370,000/GOTHIC YOHJI YAMAMOTO(すべて ヨウジヤマモト プレスルーム)

ヨウジヤマモトの18年春夏コレクション、YOHJI YAMAMOTO、山本耀司、秋元梢、小林直己

──東コレから始まり40年以上、毎シーズン服をデザインし、コレクションを発表し続けて来たその原動力はどこから来るのでしょうか。

山本耀司(以下 YY) 生まれ付いての怠け者なので期限が決まって居ないと作れないんです。アートの世界は自分の納得の行く作品が出来てから発表しますが、ファッションの世界には期限がある。僕の場合、何時まででもいいと言われると、永遠に発表しないと思いますよ。ただ、こうして続けられて居るのは、毎回言いたい事をすべて伝えきれて居ない事があるからなんです。

 

──続けていく中でデザインに対する変化はありましたか?

YY 表現したい事は最初から何も変わって居ません。この仕事を始めた時、流行の大通りではなく脇道を歩こうと決めた。要はトレンドを歩かないと。社会の流れに対する疑問や反対意見を叫び、吐き出す事が僕の作りなんです。もし変化があるとしたら、それは、社会に漂う空気や時代の変化で、その変化に対して反応して居る感じですね。最近は「俺のせいじゃねぇ、周りのせいだ」って自分につぶやいて居ます(笑)。

 

── デザインの根底にあるのは反骨精神言う訳ですね。

YY 表現活動をして居る人は、もともと社会から外れて居る半端者なんですよ。カッコ良く言えばアウトロー。そうした表現者たちは、きれいな言葉や表現だけでは絶対に届かない何か、一般の意味で言うと悪性のものを持って居る。それを僕は服で叫ぶ訳です。それが誤解も含めて社会の中でさまざまな形で発信されて行く。そうした意味では、服を着る受け取り手は社会に反抗する僕との共犯関係にあるんです。

 

──共犯とは面白い発想ですね。

YY 僕が責任を取れるのはコレクションの本番まで。でもコレクションが終わっても服はそこでは完結しない。服は見て終わるモノでは無く、身に纏うものだから。服と着る人が出会って何らかの化学反応が起こる事で、初めてクリエイションは成立する。つまり着る人が共犯者となって僕の仕事は完結するんです。その中間にある雑誌などの媒体も共犯者だと思って居ますよ。コレクションの後、写真やムービーに切り取られ、そこからさまざまな解釈で伝わって行きますから。でも、それはもう別物です。だから俺のせいじゃない(笑)。

 

〈左〉ジャケット ¥192,000 シャツ ¥158,000 パンツ ¥84,000 シューズ ¥38,000/すべて YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモト プレスルーム) 〈右〉ジャケット¥560,000 トップ ¥32,000 パンツ 参考商品 シューズ¥65,000/すべてYOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモトプレスルーム) ソックス/スタイリスト私物

ヨウジヤマモトの18年春夏コレクション、YOHJI YAMAMOTO、遊屋慎太郎、服部恭平

──受け取る側がいて初めて「ヨウジヤマモト」のクリエイションは完結するのですね。

YY そこには色々な完結の仕方がある。服は着る人によって一つ一つ違って来るモノだから。そこが服の一番楽しい処ですよね。僕は街で自分のデザインした服を着た人に出会って驚きたいんです。へぇーそんな着かたもあるんだって。インスピレーションを貰うのはそんな驚きに出会った時ですね。最近は、そう言う意味で分かり易い服を作りました。

 

──わかりやすい服ですか?

YY これまでは服装史に無かったモノを探しながら服作りを続けて来たのですが、今回その役割は止めようと思って。いやらしくも、経験を積むとそうした先進的な服だけじゃなく、分かり易い服も両方出来るんですよね。だから今回はあえて着やすさも含めて着て貰う為の「変化をつくる」服を作りました。たとえばボタンを多用していますが、そのボタンの留め方によって同じ服がいか様にも変わる。つまり服は着かた次第で変わると言う事を、あえて分かり易く表現してみたんです。

ぶつかり合う衝撃こそコラボレーションの意味。

〈左〉ジャケット ¥136,000 シャツ ¥82,000 スカート ¥96,000 シューズ ¥48,000 ヘッドピース 参考商品/すべて YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモト プレスルーム) 〈中央〉ドレス ¥620,000 シューズ ¥62,000 ヘッドピース ¥68,000/すべて YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモト プレスルーム) 〈右〉ジャケット ¥246,000 シューズ ¥45,000 ヘッドピース ¥68,000/すべて YOHJI YAMAMOTO(ヨウジヤマモト プレスルーム)

ヨウジヤマモトの18年春夏コレクション、YOHJI YAMAMOTO、MIKI EHARA、TSUGUMI、福士リナ

──メンズの春夏でアーティストのサイトウユウスケさんや内田すずめさんとコラボレートして居ましたが、コラボレーションとはどう言う意味を持つのでしょう?

YY ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、20世紀の終わりに感じなかった世紀末を今凄く自分の中で感じて居るんです。19世紀の作家たちが夜な夜なカフェに集まり、絵画や音楽は20世紀に成り立つのかと相談し悩み合って居た終末観の様なモノを。彼らは一人の仕事では次の世紀は持たないと言う結果にたどり着いてコラボレーションを盛んにやった訳ですが、それと似た気分を感じて居るんです。服だけでは何も変えられない。でも人格も作風も違う人がぶつかり合って生まれるバイブレーションで何かが起こせるかも知れない。その興奮やハプニングの危険性を求めて居るのかも知れません。なので、慣れ合いになるコラボレーションはしません。

 

──メンズとウィメンズの両方を手がけていますが、アイデアの原点に違いはあるのでしょうか?

YY 僕は男として生まれ、一生女性が好きなんです。同性としての男性を尊敬して居ますが、一度も恋情の気持ちで愛した事はない。これ、ファッション界では珍しいんです。化石って言われて居るくらい(笑)。女性を尊敬し愛する男が、女性の為の服を作る。これは大変な事なんです。気持ちが解らないどころか、まず着心地から全く解らない。だからウィメンズは、女性にこの服は如何でしょうかと言うスタンスなんです。これは僕のテーマなんですが、女性には永遠に女で居て欲しい。妻や母親と肩書が付いたとしても、それをとっぱらってずっと女で居て欲しいと言う儚い願いがあるんです。それに対してメンズの服は、「これ着ようぜ、なっ」見たいな感じです。

 

──コレクションと音楽についてお伺いしたいのですが。この数年オリジナル曲の弾き語りを使われていますが、コレクションにおける音楽のこだわりとは?

YY 以前はBGMとして専門家に選曲をお願いして居たんですが、名曲が持つ強さとか興奮が今回の服には邪魔だと思う事がどんどん増えて来て。モデルにも「ただ歩いて帰って来てくれ」と伝えて居ます。何もしないで欲しいと。だから本当は音楽も要らないんです。ただ、カメラのシャッター音や話し声は別の意味でコレクションの気分を削ぐので、まわりの騒音を消すぐらいの音は鳴らしておこうかと言う意味で作って居ます。見る人が服に集中してくれるといいなと思って。

 

今、山本耀司がパリデビューを果たした80年代以降に生まれた若い世代たちを中心に、熱狂的なファンが生まれている。彼らは新旧の「ヨウジヤマモト」をファッションに取り入れ楽しんで居ると言う。自身をアウトローと呼び、社会への反抗として服作りを続ける変わらない姿勢。心に訴え掛ける服だからこそ、その支持を得て居るのだろう。

 

 

 

此処まで読んでくれて有難う御座いました。今回は此処までです。コメント気軽に宜しくお願い致します。。。

 

 

 

 

 

 

 

今日は調子が悪いので、薬を飲みました。読んで頂けると嬉しいです。

戦後の日本の音楽の歴史について書いて見ました。終戦から1970年代迄です

 

 

YOHJI YAMAMOTO pour homme A/W 20-21 Show Footage 

 

 

私が好きな青木志貴ちゃんです。この写真はボーイッシュに撮れて居ますね。。。

青木志貴さんのインスタグラム写真 - (青木志貴Instagram)「恒例のごろ寝写真」10月8日 21時08分 - eerie_eery

 

 

私は良く学生見たいだと言われる。そして考え方も若い侭だと言われる。確かに私はこの歳で長髪にして居る。そして確かに外見は同じ62歳の人と比べれば若く見えると思う。しかし、その事で一般の人。要するに一般常識があると思って居る人は私が音楽を好きで。楽器演奏をすると言う事を知って。特にロックは喧しく煩い音楽だと思ってこう思うらしい。「ロックは若者の音楽だ。」「歳を言って居るのにロックが好きなんて具の骨頂だ、」「もういい歳なのに学生気質が抜けて居ないバカだと思うのだ。」一般の常識人だと言って居る人たちは、ロックとブルースの区別がつかない。そしてクラシックが音楽の最高峰だといい。ジャズは洗礼されて居て凄い音楽だと言う。よくジャズでブルースを演奏して居るが。彼らにはジャズだと言う認識しか無い。ブルースはブルースですよ。どの媒体でも同じなのに。ジャズで演奏するブルースは特別で。これこそジャズだと言うのです。ロックのブルースもロックだと思って居る人がたまに居ますね。しかし、70歳以上の人が言うのならまだ解る。何故ならそれ以上、年上の人たちはロックを知らないからだ。彼らが若い頃は良くてクラシック。民謡。そして流行の歌謡歌。軍歌ぐらいしかなかったからだ。戦後は進駐軍から伝わったジャズ。そしてせいぜい変わった洋楽として、ラジオから流れてくるドリス・デイ。フランク・シナトラ。そして、ロカビリーで一斉を風靡したエルビス・プレスリーなどだろう。

 

彼らの若い頃はウエスタン・カーニバルが開催され。そして当時の若い女の子たちはロカビリーを歌う。平尾昌晃。ミッキー・カーティスなどに黄色い声援を送った。それが昭和30年代だ。昭和20年代は戦争が昭和20年に天皇陛下の玉音放送で終わり。GHQに占領されて一気に民主化が始まった時代だ。音楽は戦後初のヒット曲となった並木路子の『りんごの唄』、 Gアメリカ音楽と日本の歌謡曲が融合した『東京ブギウギ』、『テネシーワルツ』などのカヴァーポップス。昭和20年代は復興と再生の10年と云われるが、日本音楽界・歌謡界にとっても新たな息吹と復活の10年だった。この頃は、戦後の復興の時で、満洲からの引揚者や。シベリアからの引揚者が多く居た。私は1950年代。昭和30年代生まれだ。幼稚園児の頃に傷痍軍人が街を歩いて居るのを戦争で身体障害者になったおじさんだと思って見て居た。彼らは良く新宿などの駅前で、アコーディオンを弾いたり福音ハーモニカなどを吹き、「ラバウル小唄」などの軍歌を歌って、募金を募って居た。私もたまにハーモニカで軍歌を吹く事が有る。「さ〜ら〜ばぁ、ラバウルよ〜また来る日〜まぁで〜!!」この歌は私は好きな歌だ。また私の父は良く浪花節を歌った。

 

 

ラバウル小唄 青江三奈(イメージ) 

東京ブギウギ 笠置シズ子 1948年【再アップ】 

 

 

浪曲(ろうきょく)は、日本で明治時代初期から始まった演芸で、「浪花節」(なにわぶし)とも言う。三味線を伴奏にして独特の節と語りで物語を進める語り芸(話芸)。一つ30分ほどである。

 

落語。講談とともに「日本三大話芸」の一つとされ、最盛期の昭和初期には日本全国に約3000人の浪曲師が居た。そしてそれは歌謡浪曲(かようろうきょく)へと変貌して行く。伴奏が三味線ではなく洋楽器でより歌うことを重視した、演芸の浪曲と歌の一ジャンルである歌謡曲の中間的形態で、戦後の高度成長期に大きく膨らんだスタイルである。そしてそれらは、野暮ったい。泥臭いと言われて演歌へとまた変貌して行った。

 

 

【瞼の母】 島津亜矢 

 

 

この自分の浪曲師の生き様は「離れ瞽女おりん」と言う岩下志麻と原田芳雄の映画を見れば解りますよ。これが昭和20年代から30年に掛けての音楽でした。70歳以上の人はこの様な音楽を聴くのが普通だった。

 

 

はなれ瞽女おりん(プレビュー) 

 

 

そして昭和30年代から40年代になって、歌謡曲やら特にムード歌謡などが流行ったですね。東京オリンピックをきっかけに普及したテレビは音楽シーンにも大きな変化を与えた。演歌調の歌謡曲やムード・コーラスに加え、グループ・サウンズ、フォークソング。ニューミュージック、ジャパニーズ・ロックが育ち、昭和40年代後半には日本のレコード販売枚数は、世界第二位となる。日本音楽界の黄金時代でしたね。

 

 

 

 

今日の昼食です。ハンバーグ・エッグ・ランチです

 

 

 

オリンピック開催で東京は真ったく変わりました。それまでの高度成長の象徴で有る車社会が到来して、幹線道路には車が溢れ。それを緩和する為に道路拡張が広がり。人々の土地は地上げされました。そして、高速道路が出来た。

 

 

有楽町で逢いましょう フランク永井 昭和33年 ビクター 

 

銀座の恋の物語 

 

別れのブルース 淡谷のり子 

 

 

 

私たちの暮らしも大きく変わりました。開催が決まった当時、東京ではホテル不足が指摘されており、この時期にはホテルニューオータニを皮切りにパレスホテル、ホテルオークラなど、現在の東京を代表するようなホテルが次々に開業しています。グローバル・スタンダードを目指したこれらのホテルの、これまでにない広い空間、充実した設備は間接的ではあるものの、豊かな空間とはどの様なものかを私たちに教えてくれたと言えます。何故かと言うと、オリンピックに出場する選手団関係者や、世界中から来る観戦者を宿泊させる為でした。そして、その国の選手たちに自国の料理をもてなそうと洋食を作り始めました。レストランが東京中に沢山出来ました。そして街の風紀も変わった。それまで、家庭のゴミは道路の端や川に捨てられて居ました。清掃車はそれを拾って清掃して居ました。木製のゴミ箱はあったのですが。変な話をしますが、当時の街の売春婦やらキャバスケたちが良く、客に触られて汚れた下着を汚らわしいと脱いでゴミ箱に良く捨てて居たのです。そしてそれを回収する業者が居ました。竹竿に下着を何枚か引っ掛けて、それをリヤカーに乗せたのですよ。嘘の様な本当の話です。そして野犬狩りが始まりました。役所は毒饅頭を街の要所要所に置き。離れた所に役人を立たせて、乞食(浮浪者)などが食べない様に監視しました。捕獲するより、薬殺をしたのですよね。この当時の事は押井守の映画「立喰師列伝」にて克明に描かれて居ますよ。

 

 

 

立喰師列伝 お銀抜粋編 

 

昭和40年代廃盤ベストテン 

 

 

 

昭和の歌謡曲 昭和30年~昭和42年 

 

 

そして、1960年代半ば。海外ではロックが全盛となり。その波は、日本にも届きました。この当時1966年。昭和41年に「ビートルズ」がついに来日しました。当時は「彼らが日本武道館で公演をするのは武道の冒涜だ!!」と言う様な声も上がりました。また中学、高校は生徒がもしこのコンサートを見に行ったら。停学か、もしくは、退学にすると言う御触れまで出しました。右翼などは良識ある大人たち?と奔走して「ビートルズを追い帰せ!!」などと言い街頭演説をしビラを配りました。

 

 

ビートルズ01

ビートルズ来日から50年。「名誉と財力のほかに欲しいものは?」と聞かれた4人は...【画像集】

 

 

ビートルズ来日公演、反対の大人たち。

 

Helped by young party members who are carrying the Japanese National flag and anti-Beatles banners, Bin Akao, centre, leader of a Japanese ultra right-wing party, addresses passers-by in a street in Tokyo, June 24, 1966. The British group is due to arrive in Japan on June 28. (AP Photo)

ザ・ビートルズの日本初公演の会場全景(東京・千代田区の日本武道館) \n\n撮影日:1966年06月30日

With a huge Japanese flag hanging over them, British pop group The Beatles perform in the 10,000-seat Budokan Hall in Tokyo, Japan around June 30, 1966. Exact date unknown. (AP Photo)

 

ザ・ビートルズの演奏会場内で警備する警官(東京・千代田区の日本武道館) \n\n撮影日:1966年06月30日

 

ザ・ビートルズの日本初公演(東京・千代田区の日本武道館) \n\n撮影日:1966年06月30日

 

 

 

 

ザ・ビートルズ日本公演 前座全長版 内田裕也・ドリフターズ・尾藤イサオ・ブルーコメッツ・ブルージーンズ 他(BEATLES live in Japan) 

 

The Beatles Live At Nippon Budokan Hall Japan 1966 1st Concert In Color - The Beatles Full Concert 

 

THE BEATLES を呼んだ男!永島達司 日本公演の舞台裏  FC2 Video 

 

 

 

 

 

 

そして、1960年代中頃にこれを機に日本にグループ・サウンズのブームが到来しました。この当時。私はまだ小学校2年生でした。街に要約、第一パンや、山崎パンの直営店のパン屋が出来ました。私は白い小屋の様な外壁で囲まれたモダンなパン屋に並んでいる菓子パンが食べたくて、母に買ってくれと駄々をコネましたが。当時チョコパンが一つ百円しました。今と変わりませんよね。当時の百円は今の1千円ぐらいの価値でしたよ。何しろ、大卒の給料が、3万4千円でしたから。私は買って貰いましたが。後で物凄く怒られましたよ。。。食パンは乾物屋で売っており。店主に言うと、苺ジャムやらマーマレード、そしてチョコやらバターを別料金の20円で食パンに塗ってくれました。そして時代は急成長して。スーパーマーケットが出来ました。今のコンビニの勢いと言ったらいいか。スーパの2階に行くとレコードや電化製品も売って居ましたよ。それまでは夏になると業務用クーラーが設備されて居るデパートに、家庭ではまだエアコンが中々買えないので、当たりに行って居たのですが。それが最寄りのスーパーに変わりました。グループサウンズのバンドたちは1970年代に入ると古臭いと言われて、当時は最新鋭のロックバンドが沢山出現しました。

 

 

熱狂! グループサウンズの時代 

 

ザ・タイガース 花の首飾り 

 

エメラルドの伝説 

 

 

 

 

この当時、流行った外国のロック。

 

Rolling Stones - Paint It Black LIVE (1966) 

アニマルズ 朝日のあたる家 

悲しき鉄道員  ショッキング・ブルー 

 

 

 

 

 

 

そしてテレビの凄い勢いの普及。カラーテレビが登場しました。

かつて、お茶の間には大きなテレビが鎮座していた。家族全員が集い、食事をしながら、団らんしながら眺めて居たのはテレビだった。プロ野球、プロレス、キックボクシング、ワイドショー、特撮、アニメ、ドラマなどなどを映し出す家具調のテレビジョンセット。

 

 

 

photo

 

そして1970年代も後半になると、テレビが一人1台の時代の時代がやって来ました。小型のポータブルテレビの登場でした。。。

 

watch more tv. #3 - カラーテレビ 昭和 ストックフォトと画像

 

 

 

 

 

 

'77-80 家電CM集 vol.5 テレビ1 

 

映像へのこだわり50年 「テレビを変えた日立の技術」 - 日立 

 

クスリの効用で眠くて、うたた寝して居る私です.......。

 

 

 

 

日本特撮・アニメ・TVの歴史 vol.1 1954~1965 

日本特撮・アニメ・TVの歴史 vol.2 1965~1966 

昭和50年(1975)夏のCM集 おまけつき The study of Japanese TV commercial history: Fair Use 広告文化の歴史的変遷研究:フェアユース 

昭和40年代懐かしの街角画像! 

 

 

 

1970年代辺りまでは、若者の街、若者文化の流行の発信地といえば、新宿だった。しかし、1973年に渋谷でPARCOの開店があり日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」と移り変わって行く。

 

1980年代より女子大生がもてはやされ、時代が下がるにつれ女子高生、女子中学生に焦点があてられていくなど、情報発信側が、活発で感受性の強い彼女らの動向から時代の方向を見出そうとする活動もみられた。1990年代後半より普及したインターネットにより、消費者消費者から直接的に情報を収集するなどと言う活動も見られる。

 

1960年代(昭和35年)頃は喫茶店は個人経営の店が主流となり、店主のこだわりが店の個性として色濃く反映された喫茶店が人気を獲得した。特に「音楽系喫茶」と呼ばれる喫茶店は、美輪明宏や金子由香里などを輩出した「銀巴里」に代表されるシャンソン喫茶、「ACB」「メグ」「灯」のようなジャズやロックの音楽演奏がサービスの主となったジャズ喫茶、歌声喫茶、そして1970年代になると当時の流行の音楽で有る。ロック喫茶、ブルース喫茶。が出来た。また後年のディスコやクラブなどに多大な影響を与えたロカビリー喫茶、ゴーゴー喫茶など多数の業態の店が誕生している。LPレコードなど金銭的にも個人レベルでは入手が困難であった時代であり、喫茶店にはこうした音楽鑑賞を趣味とした庶民たちへの場所貸しといった要素が強く出ていた。そのため、住宅環境の改善や音楽配信媒体の低価格化が進むにつれ、こうした業態の喫茶店の需要は無くなって行った。

 

 

 

 
コーヒー専門店として1970年(昭和45年)に開業した「珈琲館」

1970年(昭和45年)頃、名古屋で漫画喫茶と言う業態の喫茶店が誕生する。雑誌やコミックを多数取り揃え自由に読ませる形式が広く受け入れられ、ブームを巻き起こした。当初、漫画喫茶はフルサービスの店が主流で入退店時刻を店側が管理し規定時間を超えた場合はもう1品注文して貰うと言った方式が一般的であった。さらに1990年(平成7年)以降のインターネットの普及に伴い、こうした店は漫画の他、インターネットのサービスも提供するようになる。全国にチェーン展開されるとパーソナル化が進行し、現在に見られる簡易な間仕切りが施されたセルフサービスタイプの店舗が一般化した。

 

 

 

 
セルフカフェ文化の先駆けとなったドトールコーヒー。

1970年(昭和45年)代以降は、コーヒーを飲むと言う行為がより大勢の人に浸透し、「珈琲館」や「カフェ・ド・コロラド」と言った珈琲専門店も登場した。やがて時代の流れが速くなり、「喫茶店でのんびり」と言った行為が見られなくなると、細切れに空いた時間を活用したいと言う客のニーズに合わせた、従来の喫茶店に変わるセルフサービスのカフェが主流となった。そうしたカフェの文化概念を日本で確立し定着させたのは、鳥羽博道が1962年(昭和37年)に設立した「ドトールコーヒー」である。セルフカフェが定着していた日本に1996年(平成8年)に進出してきた「スターバックス」は、カフェ ラテに代表される「ミルク系コーヒー」いわゆる「シアトル系コーヒー」をもたらした 。スターバックスのメニューや提案は、特に女性に支持された。スターバックスは、日本に上陸して僅か10年で業界最大手であったドトールコーヒーの売り上げを上回り、一躍業界最大手に躍り出たことでも知られる。続いて日本に進出して来た「タリーズコーヒー」「シアトルズベスト」と合わせて、「シアトル御三家」とも呼ばれて居る。

 

以上、話して来て、私が若いと思いますか?恐らく、ロックをジャズをブルースをちゃんと聴いた事が無い人は、これらの音楽は若者の特権であり。歳を取ったものが血眼になるのは可笑しいと言う偏見なんですよ。音楽をちゃんと聴いて居る人は、61歳の私がロックが好きで聴いて居ても。ブルースが好きでもジャズを聞こうとも、可笑しいとは思いません。音楽はどの世代にも平等に開けて居るんですよ。歳は関係ないですよ。( ◠‿◠ )。それからクラシックに付いて言いたい事があります。クラシックを演奏して居る人たちは知って居て解って居ますが。例えば、モーツァルトの曲でその内容の深さや豊かさ、充実度、構成力などについては質が高くないとされる曲もあり、結果としてクラシックを完全な音楽だと錯覚して居る音楽ファンに不評が出て驚く事もある。特にオペラの小曲で汚い歌詞の曲もあるのですよ。クラシックが好きで聴いてる人でクラシックしか聴かない人は、盲目ですね。例えばブルースは魂の叫びとよく言われるけど。ブルースには猥褻な歌も。結構ありますよ。天才的なブルースマンでギタリストだった。ロバート・ジョンソンは酒場で酔っぱらった客相手に酷い曲を歌って居たら。奥さんに「何て酷い曲を歌って居るのさ、畜生!!」とピストルで撃たれて死んだそうです。

 

ブルースは生活の歌なんですよ。決してカッコイイものではありません。皆さんはエリック・クラプトンが歌って居ると。皆、ブルースはカッコイイと思うのですね。それは歌詞の意味が解らないからです。ブルースは自分の悲しみ。どうにもならない怒り。などを演奏で表現して居ます。それが人に感銘を与えるんですよ。まるでイイ映画の様に。演歌を聴いて。嫌だと思うでしょう?もっと洗礼された曲の方が好きだと思うでしょう?。ブルースもそう言われます。だからブルースよりロックが好まれます。そして。ブルースよりもジャズの方がいいよと言うのですよね。でもビリー・ホリディーはどうですか?ニーナ・シモンは?歌詞を解って聴いて居ないでしょう。ロックでもルーリードとかよく聴いて下さい。フランク・ザッパはどうでしょうか・・・・。ビートルズの「オーダーリン」はどうですか?日本人は英語の歌詞を知らないで聴いて居ますよね。なんでも洗礼されたものがお洒落で良くて、薄汚れた曲は嫌いだと言わないで良く、聴いて見て下さい。それが魂の歌なんですから。私の好きな人で悪いですが、、山本耀司はこう言って居ます。「安全は醜いと思うのです。人間の作るものには。何処かに傷。失敗。崩れ。歪み。そう言ったものが感じられる人の作品が好きなんです。パーファクションと言うのは秩序でしょう。全体の調和とか・・・・。それは誰かが押し付けるものです。自由な人間はそう言うものを望まない。ものを作る人と言うのは無頼なんですよ。よく言えばアウトローでしょうか」彼は流石です。此処まで読んでくれて有難う。話は此処までにします。

 

 モーツァルトの変な曲 

Robert Johnson - Love In Vain Blues (Takes 1&2) (1937) 

エリッククラプトン E Clapton Stomy Monday 

The Beatles - Oh! Darling (2019 Mix / Audio) 

 

 

 

頑張って生きて来て、、62歳です。。。

 

 

 

私の演奏するブルースです。(18歳の頃)また再度挙げておきます。。。

 

ストーミーマンディー (リードギターです)。

 

 

気まぐれハーモニカ。ヘタですが・・・・。

 

 

 

 

〜〜「懐かし映画館」〜〜

 

 

『拳銃のバラード』

 

この作品が初めてと言うアルフィオ・カルタビアーノが脚本・監督したイタリア製西部劇。撮影はグリエルモ・マンコーニ、音楽はマルチェロ・ジョンビーノが担当している。出演はユーゴの俳優アントニーギドラ、新人のアンジェロ・インファンティ、アル・ノートンなど。フェラニアカラー、ウルトラスコープ。

 

1967年製作/イタリア原題:Ballata per un Pistolero

 

 

 

 

 

 

西部の町マリンタンは暴虐な男エル・ベドジャ(A・ノートン)とその弟キンキたちによって支配されていた。ベドジャに父を殺され、自分もベドジャの偽証により十五年間牢獄につながれたクッド(A・ギドラ)が復讐のため町にきた時も、ベドジャたちは悪業のかぎりをつくしていた。同じ頃、ベドジャの首にかかっている賞金をわがものにしようと、ニグロス(A・インファンティ)という若いガンマンも町にやって来た。町の酒場でカードの勝負のことから危うく殺されかけたクッドを、ニグロスが救ったことから、二人は知り合い、自分たちの目的が同一であることを知った。はじめ二人はどちらがベドジャを倒すかでもめたが、結局ニグロスは賞金だけを自分のものにし、クッドはベドジャと決闘する権利をもつ、という協定を結んだ。こうして二人は手を組み、ベドジャ一味をたおすことになった。銀行を襲って逃げたベドジャ一味を、古い鉱山に追いつめた二人は、得意のガンさばきで一味を倒していった。しかし、肝心のベドジャは弟のキンキと共に盗んだ金を持って逃亡していた。再び追跡を開始し、二人はついにベドジャ兄弟と対決の時をむかえた。ニグロスの絶妙なガンが、まず弟のキンキを射ち殺した。次いでクッドが宿敵ベドジャのガンを射ちとばした。しかし、クッドは殺すことができなかった。自分を守る以外に人を殺してはいけない、と、言った父の言葉が彼の手を止めたのだった。ベドジャを保安官に引き渡したクッドはピストル型の黄金のペンダントをニグロスに見せて父の話をした。その同じペンダントをニグロスもまたもっていた。二人は兄弟だったのである。今は弟であることがわかったニグロスに、腕前におぼれるな、との言葉を残して、クッドは、再び放浪の旅に出るのだった。

 

Ballata per un Pistolero / Ballad for a Gunfighter / 拳銃のバラード (by Ryuki) 

 

 

この映画を見たのは1970年代に淀川長治の「日曜洋画劇場」で初めて見た記憶がある。私が中学1年生ぐらいの頃だ。名の知れた役者は一人も出て来ない。ただ、アントニー・ギドラと言う、変わった名前の役者が主人公の一人だったので、暫くその役者を覚えて居た。映画の中で歌われる挿入歌がカッコ良かった。「ハ〜レルヤ。ハ〜レルヤ。」と決闘シーンを煽って居た。その後、ビデオにはならず。レーザーディスクにも成らなかった。再度見たのは、最近の2008年ぐらいに成って。マカロニDVDBOXが発売されてからだ。

 

ベドージャ(アル・ノートン=アルフィオ・カルタビアーノ)とチンチー(アントニー・フリーマン)兄弟に率いられた強盗団が、マリンタウンへ向かう駅馬車を奪って、町での銀行強盗を計画する。ちょうどその頃、ベドージャを追って、2人の男が町へ向っていた。一人は、ベドージャの偽証によって服役して復讐をしようとしているクッド(アントニー・ギドラ)、もう一人は、賞金稼ぎのニグロス(アンジェロ・インファンティ)。目的は違うものの、目指す獲物が同じ2人は、微妙な距離を保って協力し…。

俳優でもあるアルフィオ・カルタビアーノの初監督のマカロニ・ウエスタン小品。マカロニ作品ながら、スペインではなく、ユーゴスラヴィアで撮影された珍しい作品だ。日本劇場公開時に、仲代達矢が主題歌を歌う日本版レコードが発売された事も有名。

結局の処、マカロニ・ウエスタンは、実質的にそのジャンルの祖であるセルジオ・レオーネ作品の呪縛から逃れられないのかも知れない。一部の作品を除けば、同ジャンルは、レオーネ作品(プロット、スタイル)の変奏、縮小再生産的作品が殆んど。本作の基本プロットも、世代の違う2人の賞金稼ぎ(この2人の関係の設定に若干工夫があるものの)が、同じ男を追う―と言う『夕陽のガンマン』のそれに倣って居ると言う具合で、オリジナリティは全くない。マカロニ作品の「聖典」とも言うべきレオーネ作品の真似をしようとするのは、剽窃と言う事ではなく、あくまで、彼の作品に少しでも近づきたいと言う、一方的な恋心にも似た思いからなのかもしれない。少なくとも、本作には、レオーネ作品の剽窃と言う悪質さは感じられない。

もちろん、リー・ヴァン・クリーフ、クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ボロンテと言う本家の重量級キャスティングの貫録にはとうてい敵わないし、また、キャラクターたちの肉付け、膨らませ方も足りない…など大雑把で、深みのない点も多いのだが、それでも、三者の運命が絡まるドラマを緊密にまとめたマカロニ作品にはなって居る。ギドラの復讐を胸に秘めた寡黙な男(常に平静で、表情を変えない)、インファンティの自分の銃の腕を過信して居る若造、カルタビアーノの人間的良心など微塵も持たない冷酷非道な悪党(片手でライフルを撃ちまくる凶暴さ!)、三者三様の演技も、ちょっと類型的ながら、きちんと立ちあがって居る。

カルタビアーノ監督の語り口は、どこかぎくしゃくとし、お世辞にも流麗とは言えないゴツゴツとした無骨な肌触りだが、それが、本作の乾いた作風になり、味になって居る。多彩で奇抜なアクションとトリッキーなガンプレイも楽しいし(『夕陽のガンマン』のモーティマーとモンコが帽子を撃ち合う様に、灯りのロウソクを消して行くクッドとニグロスの早撃ち対決など定石ながらいい)、世界の果てのような広漠とした景観(廃坑なども)を視覚的に生かして居て、初監督としては上々の演出ぶりと言えるのでは無いだろうか。カルタビアーノ監督の思惑通りとは言えず、レオーネ作品にははるか遠く及ばないものの、マカロニの小品としては十分楽しめる一編だ。

 

 

===『名作漫画デビルマンの紹介』===

 

BSマンガ夜話 「デビルマン」永井豪(1999年) 

 

本作は漫画だけでなく、さまざまな媒体で発表されて居ますが、なかでも代表的なのはアニメ版の『デビルマン』ではないでしょうか。

 

 

Débilman No Uta (Full) - Devilman Crybaby OST 2018 

 

 

アニメ版では、事故により死亡した主人公・不動明と合体したアモンという悪魔が、牧村美樹を愛するようになり、美樹ひいては人間を守るべく地球の先住人類「デーモン」と敵対すると言う話で、オーソドックスなヒーローものに近い作品でした。

 

 

不朽の名作を完全アニメ化!『DEVILMAN crybaby』予告編 

「DEVILMAN crybaby」ダイジェスト映像 

 

 

しかし、原作漫画は違います。合体する際アモンの精神にに打ち勝ちデビルマンとなった明が、己の意思で人間を守るためにデーモンたちと戦うのですが、デーモンたちは様々な手段で明を追い詰めます。居候先の牧村家を襲撃して殺そうとしたり、殺した人間を使って明に精神的なダメージを与えたり……。極めつけは大量のデーモンが復活した際、デビルマンと同じように人間と合体し、核戦争を起こし、人間たちが自発的に滅びの道へと歩むように策略するなど、ありとあらゆる手で人間を絶滅させようとして居ます。漫画『デビルマン』の根底には、当時の流行だった「終末論」があるためか、暗く、人間の業と言うものをこれでもかと詰め込んだ怪作と言えるでしょう。

新装版 デビルマン(1) (講談社漫画文庫 な 2-37)

新装版 デビルマン(1) (講談社漫画文庫 な 2-37)

作者 永井 豪 ダイナミックプロ
出版社 講談社
出版日 2009年11月11日

 

主人公の不動明は、居候先の娘、牧村美樹と共に名門学院に通う普通の高校生です。ある日、不良に絡まれていた2人を、明の親友の飛鳥了が助ける場面から物語ははじまります。

明は了に屋敷の地下へと招かれ、悪魔の模造品を見せられ、さらにそれにまつわる「デーモンの復活」の話、そして自らデーモンと合体しようとした了の父親の末路について聞かされます。 

了はデーモンの魔の手から人類を守りたいと言うのですが、自分ひとりでは抱えきれないため、親友の明も一緒に戦ってほしいと懇願しました。明もまた、親友と人類のために立ち上がることを決意します。そして「デーモンに対抗するためのデーモンの力」を手に入れるべく、サバト(悪魔を呼ぶ儀式)を開き、了と共にデーモンを呼び寄せるのでした。

 

新装版 デビルマン(2) (講談社漫画文庫)

新装版 デビルマン(2) (講談社漫画文庫)

作者 永井 豪, ダイナミックプロ
出版社 講談社
出版日 2009年11月11日

 

 

 

サバトにより、明と了はデーモンの召喚に成功します。しかし何故か了には取り憑かず、明にだけ襲い掛かりました。人間とデーモンの合体は互いの理性のせめぎ合いで、負けた方は勝った方に意識を奪われてしまいます。明は、自分に乗り移ろうとしたアモンというデーモンになんとか打ち勝ち、デーモンの力と人間の心を併せ持つ「デビルマン」となる事が出来ました。

デビルマンとなった明は了の指示のもと、次々によみがえるデーモンたちと死闘をくり広げて行きます。デーモンは残虐で非道、そして特殊な力を持っており、時にはデーモン同士で合体したり、殺した人間を取り込んだりする事が出来ます。やがてデーモンはデビルマンの存在そのものに目をつけはじめ、大量のデーモンが人間たちと合体し、人間社会を狂わせはじめるなど、狡猾にデビルマンを追い詰めはじめました。人間になりすましたデーモンたちは、国の中枢人物となり、戦争まで起こして行くのです。人間たちもまた、誤った考えや情報をもとにデーモン狩りをはじめ、人間同士で争い、殺し合いをはじめて仕舞います。これらすべては了が最初から危惧して居た事で、その通りに人間世界は破滅への道を歩みはじめてしいました。浮き彫りになった人間の闇と、数々の愚行を目の当たりにした明は「人間は本当に守る価値があるのか」と悩みはじめて仕舞います。しかし、人間に守る価値がなくとも、明には大切な美樹がいるのです。美樹さえ居るのなら守る価値はあるのだと明は確信し、再び人類を守るべくデーモンと戦う決意を固めたのでした。

 

 

第1話から、読者は目を疑うでしょう。「おぬし」「拙者」などといった妙に時代錯誤な言葉を使うヒロインに、改造した猟銃を持ち歩いている親友など、ぶっとんだ人物ばかりが出てくるのです。唯一普通なのは、弱気で頼りない性格の主人公の明くらいと言えます。 不良たちに絡まれていた明と美樹を了が助けるシーンでも、改造された猟銃を不良に向けて脅すだけのかと思えば、容赦なく彼らに向かってぶっ放して居ます。どう見ても危険人物です。そんな了に連れられるまま訪れた屋敷では、亡き父の残したという遺産だという、悪魔を模した像のようなものを見せられ、先住人類である「デーモン」の話まで聞かされますが、当然明は信じません。了のために、病院に電話してあげようかと考えるほどに常軌を逸して居ました。しかし明は、了の父が残したデーモンの記録を映した遺産により、血と暴力の権化であるデーモンの歴史を目の当たりにします。やっとデーモンが「存在して居た」ことを信じた明は、デーモンが滅んでよかったと、息をつきました。ところが了はそれを否定します。「滅んで居るのなら、悪魔の存在を人間が知って居るはずがない」と言うのです。続けて、彼らは氷河期に長い眠りについたのだとも指摘します。どうにかしてデーモンから人間を守らなくてはと使命感にかられる了と明。しかし、すでに蘇ったデーモンたちが2人を抹殺しようと狙って来て、ジェットコースターの様に凄まじいスピードで物語が展開して行きます。

 

 

新装版 デビルマン(3) (講談社漫画文庫)

新装版 デビルマン(3) (講談社漫画文庫)

作者 永井 豪, ダイナミックプロ
出版社 講談社
出版日 2009年12月11日

 

 

デーモンたちはより強い身体を得るために、別の生物を取り込み続ける生命体です。そのせいで彼らの姿は色々なものが混じりあい、物凄く醜い!人間の胴体から蛇が出て居るものや、タコのようなデーモン……こんなビジュアルは序の口です。腹にデカい口がある女のデーモンや、両胸に顔がある女、極めつけは、殺した人間の泣き顔や悲鳴をそのまま顔に写し取った「ジンメン」。このジンメンは読者にとってトラウマもので、甲羅の拮抗模様がすべて人の顔で出来ており、中央には殺して取り込んだ幼い少女が居るなど、非常に卑劣なデーモンでした。他にも、テレパシーを操る「サイコジェニー」は、人間のような胴体に不自然なほど巨大な顔がついて居る姿をして居ます。顔は不気味なほど見開いた大きな目が特徴的で、見ていて不安になるような異形のデーモンです。しかし、デーモンたちの親玉である「大魔神サタン」は、神に反逆した元神という立場からか、唯一神々しい姿をしています。両性具有で天使のような姿をして居たサタンは、明らかに今までのデーモンとは一線を画して居ました。

 

ヤバさ3:明の戦う目的が終盤に絶望に変わる

 

新装版 デビルマン(4) (講談社漫画文庫)

新装版 デビルマン(4) (講談社漫画文庫)

作者 永井 豪, ダイナミックプロ
出版社 講談社
出版日 2009年12月11日

 

 

 

終盤に差し掛かると、人間社会はどんどん崩壊の一途をたどって行きます。デーモンが各国の首脳陣を乗っ取って核戦争を起こしたり、誤った情報からデーモンに乗っ取られた人間狩りを始めたりと、もはやその様子は地獄そのものです。さらには親友の了までもが裏切り、明が悪魔だとテレビで公表されて四面楚歌に。明の味方はもはや、自分を信じてくれる美樹だけでした。

明が了に、なぜ人類を裏切ったのかと問い詰めますが、彼は「初めから裏切ってなど居なかった」と言います。なんと、了の正体は大魔神サタンという、デーモンの親玉だったのです。明をデビルマンにしたのも人類を助けるためではなく、ただ、親友の明を殺したくない一心での行動でした。しかし、それでも明は人間のために戦うことを決め、了とは決別します。親友の裏切りにも挫けず、人間を守るために必死に戦ってきた明でしたが、人間が人間を拷問にかける様を見せられたことで、ついには「人間はケダモノ以下だ」と考える様になって仕舞います。

もはやデーモンが手を下すまでもなく人間は滅びるだろうと確信し、人間を守る意味があるのかと悩む明でしたが、彼はたったひとり、美樹という守るべき愛する存在を思い出します。

そして決意を新たに固め、美樹の元へと走って行くのでした……。

 

 

デビルマン(5) (講談社漫画文庫)

デビルマン(5) (講談社漫画文庫)

作者 永井 豪, ダイナミックプロ
出版社 講談社
出版日 1997年06月04日

 

 

明が最後の希望を見出してたどり着いた、牧村家。そこで待っていたのは、殺された美樹の生首でした……。牧村家の人間はすべて殺され、美樹たちを殺した人間たちは、彼女らの首を槍などに突き刺して掲げ、狂乱騒ぎの真っただ中だったのです。 ついに絶望した明は、牧村家を襲った人間たちを皆殺しにしました。もはや彼には希望も幸福も、生きる意味さえも残されて居ないのです。しかし、此処で明は決意します。人間を守るためではなく、デーモンをすべて殺し、デビルマンが地球に生き残る為に戦うのだと憎悪に燃えます。そして20年後、地球に残ったデーモンたちを率いる大魔神サタンと、デーモンと合体しながらも人間の心を失わなかった多くのデビルマンたちを率いる明の、一大決戦がくり広げられる事になったのです。地は崩壊し、空は荒れ、世界が亡びるような戦いの末に勝ったのは……?

 

 

今回は此処までです。次回、更新出来たら、また、お逢いしましょう、、

 

 

 

 

 

 

 

私が好きな青木志貴ちゃんです。声優、舞台俳優、歌手です。。。

 

 

我が家の王、ゆん様が、9歳のお誕生日を迎えられた。 

 

 

 

最近ではアニメ映画「この世界の片隅に」で少し言及することがあったので知って居る人も居るかと思いますが。1920年代の大正末期から昭和期に流行った「モボ」「モガ」をご存知でしょうか。これは「モダン・ボーイ」や「モダン・ガール」の略語で、西洋文化の影響を受けた、いわゆる当時の先端をゆく戦前の日本の若者文化から生まれたファッションの事を言います。和服が主流だった中、だんだんとモダンな洋服が出て来ました。しかし当時はこう言った服は皆自分で作ったそうですね。売っても居たけど、少数で、当時は自分で服は作るのが当たり前見たいな処が有ったそうです。これは70歳以上の女性の方はわかると思います。

 

和装から洋装へ。モダンガールの登場

 

 

Kagayama_mogas

 

どうでしょうか?大正時代の写真ですよ。知らない人はびっくりしたでしょう。私もこないだのblogで日本は戦後民主化されたと言いましたが。それは戦後の復興期の事で。昔から日本は民主的な国だったんですよ。戦争が始まるまでは。若い人は知らないからね。。。。

 

 

【大正~昭和初期】今見ても素敵!モダンガールのファッションのまとめ

 

「モボ モガ」とは、「モダンボーイ」と「モダンガール」の略。大正末期から昭和初期にかけて台頭した、西洋のライフスタイルを楽しむ若い男性・女性のことを指します。彼ら・彼女らは、生活スタイルだけではなく、職業や価値観の変化を象徴する存在でした。

 

ファッション

モボ
山高帽・ロイド眼鏡・セーラーパンツ・細身のステッキなどが当時の広告などから見て取れる。また、ボードビリアン・二村定一や喜劇俳優・榎本健一の歌『洒落男』の訳詞(詞:酒井遥)にも「俺は村中で一番モボだといわれた男(中略)そもそもその時のスタイル/青シャツに真赤なネクタイ/山高シャッポロイド眼鏡/ダブダブなセーラーのズボン(後略)」とある。
モガ
服装は原則として洋服で、スカート丈はひざ下、ミディアム〜ロング(当時はこれでも十分短かった。)。アッパッパなどが有名。その他、クロッシェ(釣鐘型の帽子)・ショートカット(「結い髪でなく断髪」の意。いまで言うボブカットである。)・引眉・ルージュや頬紅などが特徴的(当時、まだ化粧の習慣は一般的ではなかった。)。パーマネント・マニキュアなどは昭和に入ってからの流行となる。断髪の髪型は「毛断(モダン)」と呼ばれたりした。その他、フランソア・コティの香水も好んで使われた。
海外女優のコリーン・ムーア、ノーマ・シエラー、ジョーン・クロフォード、クララ・ボウ、ルイーズ・ブルックスなどの影響を受けたファッションである。

 

「戦後」

 

戦後、ルーズベルトは日本がアジア民族の為に戦ったと世界中に思わせない様にした。私は戦後生まれだ。だから事の真相はよく解りはしない。しかし。インド人たちは日本に大変感謝して居る。チャンドラ・ポーズと言う人がインドには居ます。第二次世界大戦が始まると、ボースはイギリスと敵対関係にある国と協力していくことでインドの独立を勝ち取ろうと動き始めます。そこで、彼が注目したのがドイツ、次いで「日本」だった。

初めドイツ・ベルリンに渡るものの交渉成立を上手く果たせなかったしボースは、ドイツ海軍と日本海軍の潜水艦、そして飛行機を使い、1943年に遂に日本に渡ります。当時の首相東条英機氏は、ボースの要求から1ヶ月後にやっと面会を果たしますが、人目会ってボースの頭脳明晰さ・人柄に感動し、インド独立への協力と共にイギリスと戦っていく姿勢を示していくのです。
 

インド独立の英雄チャンドラ・ボース─学校が教えてくれない戦争の真実 

 

 

そしてボースは、アジアの開放を旗印にしていた日本の全面協力を得、インド国民軍や自由インド仮政府を率いてインドに侵攻します(インパール作戦)。この作戦は失敗に終わるものの、ボースはインド独立を目指すことをあきらめることなく活動し続けていくのです。しかし私は日本が他のアジアの国々に対してインドと同じ様な態度を取ったとはどうしても思い難いのですよ。ただ。こう言う話を私は中国人の老婆が話して居た事を覚えて居ます。「私たちは戦争中。日本兵が来て、怖がりました。でも彼らは、子供と遊んで呉れました。そして、兵隊さんの食料を私の粗末な古屋の様な家の窓際に置いてくれました。自分もひもじかっただろうに・・・・。確かに悪い日本人の兵隊も居ました。でも大概は優しかった。」ただ言える事は、日本人は何時の世になっても武士道精神は消えないのだと思います。

 

何故、世界で今、日本が経済大国三位に落ちぶれて、目立った産業も無いのに世界の人は日本を好いて居てくれるのか。それは今から10数年前に知り合いのアメリカ人からこう言われた事がありました。「日本人が私たち欧州人から好かれるのは。あなたたちの過去の行いがあるからなのよ」と。私が「どう言う事なの?」と訊いたら戦前アメリカに移民で渡った日本人たち、要するに日系人たちですね。彼らはアメリカが大不況に陥った時に。自分のレストランやら雑貨屋やら酒場でアメリカ人たち、白人。黒人。問わずに、食料品やら日用雑貨を無料で配ったそうです。そう言う事から。日本人は誠実だと信用されたらしい。特に黒人たちを肌の色で差別しなかったのが日本人だったと言います。

 

 

すずさんのありがとう

 

 

In This Corner Of The World - Clip 8: The Food Rations (HD) 

 

 

のん&岩井七世、公開アフレコ&インタビュー映像解禁!『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 

 

 

アメリカはマッカーサーによるGHQの民主的傾向の復活占領を早く終わらせるために、満州事変以降政界から引退していた幣原喜樹郎を総理大臣に擁立し、幣原内閣(1945年(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日)を発足させる。ポツダム宣言の「民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除されるべきこと。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。」の条項に従い、占領軍の指示を待たずに大正デモクラシー時代の幣原の盟友達を集めたと言います。アメリカは日本が軍国主義になる前の民主的な大正デモクラシー時代をまた復活させようとしたのですよ。結果、日本は不死鳥の如く復活しました。しかし....。最近は日本人らしさ、要するに武士道精神ですね。こう言うと「おめえが長髪で〜。なあ〜にが武士道だ!!」と言われるでしょうけど。格好は関係ないですよ。

 

私が思う武士道とは、自分を律し。己を精進で磨いて生きる事だと思って居ます。ドイツの哲学者。マルクス・ガブリエルは言います「間違って居るものには勇気を持ってノーと言おう」と。私もそう思います。最近はこの武士道精神が希薄です。皆んなアメリカナイズされて居る。アメリカは米国と書きます。米の国。だから恵みの国です。私はアメリカの音楽に惹かれます。ブルース。ジャズ。アメリカの音楽も。人々もいい人が多いですよ。でも、日本人は、形だけしか真似しない。今私は、Miyavi(雅)と言う日本人のロック・ギタリストを応援して居ます。彼のチョッパーズ・ギターのスタイルは独特で素晴らしいの一言です。彼がこうインタビューで言って居ました。「BBキング、マジックサム。ジミー・ペイジ。ジミ・ヘンドリックス。彼らは皆んな武士道精神を持ったサムライだ!!」私もそう思います。武士道は考え方です。スピリッツだと思います。

 

 

日本人の精神を支える倫理的な礎【武士道】 

 

 

 

今、禅が世界中で流行って居ます。禅は古代中国から日本に伝わって独自に進化したものです。例えは悪いけど。餃子に似て居ますね。餃子は中国の食べ物で元々は蒸し餃子しかなかった。それを日本人は焼き餃子に作り替えたのです。ただこう言った。日本人の他からの思想をうまく取り入れて作り替えて自分のものにする思想と言うものの反論もあります。 丸山眞男は日本思想の基底には執拗にくりかえされるひとつの音型があって、その音型は外来思想が日本に入ってくるとき、外来思想にまざりあい日本的なものに変容させる働きをすると述べている 。それは「原型」 「古層」「執拗低音」とさまざまに名づけられる。歴史を通じて変化しない思想の原初形態といった実体的なものではなく、ひとつの音型と表現されているようにまじりあって同じような変容、修正をもたらす思考のパターンなのである。「古層」は、われわれの意識の基底にありつづけ、われわれの思考様式に影響を与えてきたと丸山は考えました。

 

また、「芸術は爆発だ!!」で有名な岡本太郎は、戦後の一時期に留学して居たパリのモンマルナスで10年間をパリで過ごしました。その中で「何のために絵を描くのか」と言う事を追求し、パリ大学では芸術家としては無関係の民俗学も学びます。既成の「芸術」と言う分野の枠にとらわれない、岡本太郎らしい選択です。しかしそれが裏目に出ます、彼は考えました。果たして外来思想で凝り固まった日本人に。本来あるべき元の思想はあるのかと。そして彼は縄文土器に行き当たりました。彼はこれこそ日本人の思想だと言いました。私は、今の世の中に対して、大其れた事を言うつもりはありません。ただ、もうそろそろ。日本人としての誇りを取り戻して、平和に、そして世界中の人たちと手を取り合って、軍国主義では無い処の真の武士道スピリッツを持って生きていこうではありませんか。またおかしい奴の戯言ですが。此処まで訊いてくれてありがとう。

 

 

MIYAVI - WHAT'S MY NAME?

 

 

 

『刑事』

一昨日病院の帰りに東秀ラーメンに寄った。そこで、冷やし中華と餃子を頼んだが。何故かウエイトレスは冷やし中華しか持って来なかった。私は変だなと思って食べて居たら。「こんな時に食べに来て、すぐに帰るだろ」と言う声が聞こえて来た。私は私がもうこの辺で精神障害者として知れ渡って仕舞ったので。また、差別かと思って居た。そして呼び鈴を押して「餃子もだよ」と言ったら。「大変失礼しました」と言う。なんか言葉が少しおかしい。よく見たら中国人だった。そうしたらゴツい感じの。如何にも刑事だと言う男が隣のまた隣に座った。宙を見てスマホを弄る振りをして居るが。明らかに刑事なのだ。私は首を捻った。おそらくは私を監視して居るらしかった。暫くすると、今時、アロハシャツを着た若い男と女の子が遠くの席に座った。そして少し大きめな声で、「殺すか・・・。」と言った。私はとっさに思った。これは刑事の犯罪者に対する威嚇だと。私が動揺するか見て居るのだ。そして、その如何にも刑事と言う成りの男の隣に、また今度は暴力団か飯場で働く様な身なりの男が二人して座った。そして何故か「あの野郎ぶちのめしてやろうか」と言うのだ。

 

なんだこれはと私は食事を済ますとレジのそばの二人の恋人連れの顔を見て、そして、その刑事まる出しの警官を横目で見て帰って来た。私だって刑事ぐらいは分かるんですよ。これまで刑事映画。特にフィルム・ノワールや、警官の犯人逮捕の瞬間やら、尾行のテレビでの番組は見て居る。それぐらいは見当が付く。だから訪問看護婦とヘルパーは当分お休みにしてくれと主治医に言ったのだ。それなのに看護師が来てくれた。そして調子はどうだ悪いのかと訊いて呉れた。此処で言って於くが何で私が、犯人扱いされて居るかは知らないし如何かかも分からない。前にもあった。今から10年前だ。赤羽署の刑事だった。私の実家に来て。当時は私は認知症になり掛かって居た母と二人暮らしで暮らして居た。そこに来て。私に色々と聞き出した。何でも実家の駅の側にあったミスタードーナツに顔をナイフを待った男に滅多斬りにされた女の子が助けを求めて入って来たそうだ。

 

私はその刑事に言った。それはその子にはかわいそうだけどなと思ったが「痴情のもつれでは無いのですか?」と言うと「それがね。害者は何も言わんのですよ。」そう言ったらもう一人の若い警官が、「なんか不審な事がありましたか?」と言うので「別に無いですよ」と言って居たら。老練な歳を取った刑事が、「奥さん、本当の事を言って下さい!!。本当の事を言って下さい!!」と言うので私は怒って、「私を疑って居るのか!!」と言ったら、それでも母に詰め寄る。母親は認知症で何も分からずに居る。そうしたらその二人は玄関から外に出かけて身長は167センチぐらいから170センチ。とメモして居るので。私が「犯人は何センチなんだ!!」と怒って怒鳴ったら。要約「182センチだ」と言うのですよ。だから「背丈が全然違うだろ!!」と怒鳴ったら、二人してすみませんとも言わずに玄関から走る様に外に出て行った。

 

だから、今度もそうなのだと思う。私は主治医に言ったすると主治医は「何もやましい事がなければそのうち居なくなるだろう」と言って居た。私は幻覚も現れた、男の姿が半分チラリと見えたのです。そんな事が2回続いた。それも主治医に行った。今は安静にして居ないとまた。病院に入院になる。それは嫌だ。どんな事があっても嫌だ。主治医はそれは本当の事だろうと言って居た。私は幻聴だったが、子供と女の人がやめて呉れと泣いて居る声が聞こえた。私は言った。「女子供に手をあげるな!!」そして、それも幻聴だった様だ。近所の人には大迷惑を掛けて仕舞った。

 

私はまた。あいつはおかしいと言われるだろう。処で、この間だが、神経が休まらないので、YouTubeで歌謡曲やらブルースなどの曲を歌って見た。酷い話だがほぼ1年ぶりの事だ。私はカラオケには行かない。歌う歌も馴染みはあるが殆んど歌った事は無い歌だ。しかし歌って見た。結構、上手くは無いが、それなりに音程は外さなかった様だ。まあ、自己満足です。私はバンド時代歌った事は無い。ボーカルが居たからね。久々気持ちが良かったが。誰かが、言った。「毎回、毎回うるせえんだよ!!音楽聴かせたり下手な唄歌いやがってバカヤロー!!」。まあ、窓は閉めては居るが聞こえるのだろう。ただ近所の人に言いたい。1日2時間半は我慢して下さい。ドヘタなハーモニカの音色だとか、此間みたいに下手な唄歌うかも知れないけど。私はそれしか興味がないものでして。すみません。私はこれでもミュージシャンの端くれなんですよ。ヘタですけどね。。。。。。

 

 

 

今日の夕食です。。。

 

 

 

 

 

 

『名著紹介「形而上哲学小説「死霊 」』

 

埴谷雄高氏は戦後の闇の作家とも言えると思う。戦前は、殆んどの政治活動家が非合法の政治活動に参加するのは当たり前みたいな感覚があった様だ。彼はマルクス・レーニン主義にかぶれた。マルクス・レーニン主義は今の時代に力は無い。ベルリンの壁の崩壊。ソ連邦の解体。この際レーニン像は引き摺り下ろされた。それ以降。共産主義は最早人気は無い。彼は若き日、子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えて日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりの為。1932年に逮捕された。彼は幼少の頃、軍人だった父親が台湾人を刀で斬り殺す場面を見せられて、それ以来、アイデンティティーの崩壊を起こして仕舞ったそうだ。

 

だから彼の著作「死霊」では「自同律の不快」と言う観念を戦後打ち出して居る。検挙後埴谷は未決囚として田名刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された...。獄中では、カント。ドストエフスキー。またヘーゲル、ショーペン・ハウエルなどを熟読し、若い頃はマックス・ステェルナーの「唯一者と所有」がそれまでの彼のアナキズムを形作って居たと言う。評価としては三島由紀夫は「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」として埴谷の文学を絶賛してるし。また吉本隆明は、埴谷の文学作品と政治理論の双方を非常に高く評価し、「死霊」第五章を、「死というものを瞬間的にでなく、段階的・思索的にとらえた日本近代文学史上はじめての作品」とし、またその政治理論についても「革命家は行動を起こさなければ行けないと言う観念論ではなく、未来のビジョンを示せば良い言う事を示したコペルニクス的回転である」とした。

 

埴谷雄高、形而上哲学小説「死霊」

 

 

 

 

 

=彼の唯一の形而上長編小説について=

 

形而上学哲学小説「死霊」は 全十二章を構想し、戦後の約半世紀を費やして執筆されたが、第九章まで書き進められたところで未完のまま終わっている。当初の構想では、釈迦と大雄(ヴァルダマーナ、ジャイナ教の創始者)の議論までが書かれるはずであった。なお、巻頭のエピグラム「悪意と深淵の間に彷徨いつつ/宇宙のごとく/私語する死霊達」は『不合理ゆえに吾信ず』からの自己引用であり、『死靈』は文字通り埴谷の文学的探求の根源から存在する問題意識を小説・物語の形を借りた議論によって形象化しようとした壮大なものであった。

『死靈』は、『近代文学』誌上に1946年1月号から49年11月号にかけて第四章までが連載され、ここで筆者が腸結線を病んだ事情もあって中絶した。長いブランクを経て第五章が、1975年に『群像』で発表され、以後は『群像』誌上で続編が掲載されていった。1976年、日本文学大賞を『定本 死靈』で受賞。以後の単行本は、講談社から順次刊行され、1998年2月から刊行開始された『埴谷雄高全集』第1回配本の第3巻に、『死靈』全編及び第九章未定稿が収められて居る。埴谷自身、文庫判は1世紀以上経っている作品のみとすべきとの考えから、生前は自らの作品を決して文庫に入れようとはしなかったが、2003年に講談社文芸文庫で刊行された。

自身は、第九章脱稿時に、全九章及び第九章未定稿をもって『死霊』を完結としたが、友人本多秋五らの説得によって第九章未定稿部分を撤回し、『死霊』は未完という形で終わらせた。なお、第九章の完結後、「『死靈』断章(一)~(五)」として続稿、ないし遺漏稿と思われるアフォリズム的小文は、『群像』1996年8月・9月・11月・12月号、翌'97年4月号に掲載された。これらの断章は『埴谷雄高全集 11巻』にすべて収められた。

1995年1月9日~13日の5夜に渡り、NHK教育テレビが、『 ETV8特集、埴谷雄高・独白「死霊」の世界』を放送。また放送分を書籍化し、NHK出版から同名の著作が、1997年に出版されている(白川正芳責任編集)。また、DVDは出て居ないがビデオテープはNHKソフトから以前発売されて居た。私は前はそのビデオを購入して観て居たが、今はDVDにダビングして焼いて所有して居て繰り返し見て居る。ビデオテープもまだ持って居ます。

2007年10月2日、埴谷雄高の遺品などの寄贈を受けていた神奈川近代文学館は、埴谷の残した膨大な資料の中から(埴谷はどんな些細なメモも捨てることはなかったと言われる)作品の構想過程が分かる詳細なメモを発見。1930年代の物と思われるそのメモは『死靈』が文字通り埴谷の生涯を賭した作品であることを明確に示して居る。なお、これらの資料は『群像』2007年11月号に転載され、研究者の鹿島撤などが解説を加えて居る。

本作は、ドフトエフスキーの作品に多大な影響を受けて居る。共産主義思想の活動家たちの地下活動と、その中で交される議論を主たる題材とした小説であるが、その議論の中では、「無限大」、「存在」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」、「のっぺらぼう」、「過誤の宇宙史」―等々独自の意味づけを与えられた命題に関して、身辺や感覚を発端として深遠かつ壮大な形而上学的思索が繰り広げられ、極めて難解な思弁的物語、いや主題に似つかわしく物語の「非在」とも言うべき議論の応酬となって居る。

ーあらすじー

昭和10年代の東京市と思われる街を舞台とするこの小説に於いて、議論の中心となるのは、「虚體」の思想を持ち「自同律」に懐疑を抱く主人公・三輪與志、結核に罹患し瀕死の床に伏す元党地下活動家の三輪高志、「首ったけ」こと自称革命家の首猛夫、「黙狂」と呼ばれる思索者・矢場徹吾ら4人の異母兄弟である。そこに與志の婚約者の津田安壽子、與志と徹吾の高等学校時代の親友の黒川建吉、徹吾が入院する精神病院の医師の岸杉夫、安壽子の父で元警視総監の津田康造とその妻、高志の恋人でありながら高志の同志と心中した姉を持つ尾木恒子、「神様」と呼ばれる少女とその姉「ねんね」、印刷工場主で革命運動にも関わる李奉洋……。

こうした群像が存在の秘密や宇宙や無限をめぐって、異様な観念的議論をたたかわせる。何十ページにもわたる独白を中心とした饒舌な文体によって進められる、非常に緩慢な時間進行の中での対話劇に、永久運動の時計台、《死者の電話箱》・《存在の電話箱》の実験、《窮極の秘密を打ち明ける夢魔》との対話、《愁いの王》の悲劇、「暗黒速」「念速」などの概念、人間そのもの・イエス・キリスト・釈迦・さらに上位的存在への弾劾、ある種象徴的な黒服・青服による「虚体」「虚在」「ない」の三者の観念的峻別についての示唆なども挿入され、一種神秘的・超常的な雰囲気さえただよう。

その一方で、議論の合間にしばしば「あっは」「ぷふい」と差し挟まれるユーモラスな間投詞や、ボートに乗った一行が肥満した安壽子の母の体重により(これまた非常に緩慢に)ひっくり返る場面、「喰った者が喰われた者に弾劾される」と言う、ある種アニミズム的な場面などと言った、スラップスティックな表現もある。なお、「あっは」「ぷふい」はともにドイツ語で、Achは驚きをあらわす言葉で英語のOhにあたり、Pfuiは「ちぇっ!」のように不快、嫌悪をあらわす。そして、ちなみに『死靈』の異母四兄弟は、それぞれスウィンバーンのフランソワ・ビヨンによせた詩"ballad of francois villon prince ob All  Bllad-Makas" の一節、"Villon,our sad bad glad mad brother's name!"におけるsad,bad,glad,madに、三輪与志、三輪高志、首猛夫、矢場徹吾がそれぞれ対応されて居る。

 

 

埴谷雄高の新資料

埴谷雄高・吉本隆明の世界/斎藤慎爾編

 

 

 

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今回はブルースギタリストでブルース・シンガーでもある「オーティス・ラッシュ」の紹介。。。

 

 

 

左利きながら、右利き用に弦を張ったギターを逆向きに持って弾くユニークなスタイルを持つ。同様のスタイルには、有名な処ではアルバートキングが居る。通常の弦の配列に比べて、より高音弦でのチョーキングがしやすいと言われて居る。

オーティス・ラッシュは素晴らしいブルース・シンガーでブルース・ギタリストだった。私は彼のコブラ盤など彼の名演奏を収めたレコードなどを所有して居ます。彼のギターの特徴はアール・フッカーやらロバート・ナイトホークのスライド・ギターのトーンやフレーズを指で再現しようとしてその試みが彼のダイナミックでアーシーな独自のプレイと成って居た。1970年代高校生だった頃に、当時のロックミュージックの月刊誌「ミュージック・ライフ」にオーティス・ラッシュの事を教えてくれとハガキを出した処、採用されてオーティス・ラッシュのミニ記事が掲載された事があった。

コブラレーベルに残した初期の録音、"All Your Love"や"Double Trouble"などは彼の代表曲となって居る。ロックのギタリストを中心に、影響を受けたミュージシャンは多い。エリック・クラプトンも大きな影響を受けた一人で、ジョンメイオール&ブレイカーズ時代に"All Your Love"を、またソロになってから"Double Trouble"、"Groaning The Blues"をカヴァーして居る。ステイーブ・レンボーンは、バンド名をオーティスの曲名から「Double Trouble」と名付けて居る。意外な所ではエアロスミスが"All Your Love"をカバーして居る。

ギターのチョーキングとビブラートが特徴的。彼はレコーディングの機会に恵まれて居たとは言い難く、実力のわりには作品は少ない。2004の脳梗塞で倒れ、以来リハビリを行って居たが、2018年9月に公式サイトを通じて死が発表された。日本人の妻を持ち日本でも人気が高い

50年代のシカゴにおいてバディガイ、マジックサムらとともに、リード・ギターを前面に打ち出した、新たなシカゴ・ブルースのサウンドを切り開いた。その斬新なサウンドは、当時ウェスト・サイド・サウンドと称された。
 
 
 
 
 Otis Rush : So Many Roads
 
 
Otis Rush - Gambler's Blues
 
 
Otis Rush - Double Trouble (original version)
 
 
Otis Rush - Homework (1994)
 
 
All Your Love - Otis Rush - live - 1983
 
 
 

〜〜〜ロックバンドがコピーしたオーティシュ・ラッシュ〜〜〜

 
All Your Love --- John Mayall's Bluesbreakers
 
 
Gary Moore All Your Love I Miss Loving montreux 1990
 
 
Stevie Ray Vaughan - All Your Love I Miss Loving
 
 
 
 
 
所有して居る本。。。。
 
 
 
 
 
 
 
最近、買入した書籍です。「GACKT]君と「ローランド」君の本です。後、「原田芳雄」さんの本です。
 
 
 
 
また、以前にも挙げましたが。私が吹いたハーモニカの音源です。生意気にも曲名なぞ付けて書いて見ました。ヘタですが再び聴いて下さいね。。。。
 

「悲しみ」

 
「一人ぼっちのメロディー」
 
 

さて、5日振りの更新です。今日は訪問看護婦さんが来ました。丁度、Bluesharpのケースを開けて居た処でした。それを見て、「凄いですね。同じハーモニカを、何本持って居るのですか?」と言って居ましたが、、多分、12本、Bluesharpが入って居た所為でしょう。まあ、知らない人が見たら、同じharpが、12本もあるので、不思議に見えるのでしょうけど・・・Bluesharpは1本ずつ、keyに寄って別れて居ます。1本ずつがひとつの音階に成って居ます。12本で要約、全ての音階で吹ける事に成ります。

この事は、Bluesharpを知らない人は解らないはずです。全部のkeyを1本で吹けるharmonicaもあります。そのharmonicaの事を、chromatic・harmonicaと言います。chromaticはBluesharpよりも大きいです。そして、Bluesharp見たいには吹けません。まあ、Bluesharp がBlues、Rock専用とすると、chromatic・harmonicaは何方かと言うとJazzとかClassical music専用です。私はこのharmonicaも吹きます。以前、写真を挙げて居るので、このblogで見た人も居るかと思いますが、また挙げて置きます。

 

クロマチックとは、「半音階」を意味します。 クロマチック・ハーモニカの横にレバーがあり、このレバーを押すことで半音上の音が出ます。 クロマチック・ハーモニカは一本だけで全ての音階を演奏出来るのです。 ... どんな曲でもクロマチック・ハーモニカが1本あれば、演奏出来てしまうのです。

ブルースハープとは、HOHNER(ホーナー)社の商品名で、10個の穴がある事から、一般的にはテンホールズ(10 Holes)と呼ばれます。ポケットの中に入れて持ち運びが出来るくらい小さく、安いものでは1本1,000円位からあり、人気モデルの価格帯は3,000円台と、比較的購入しやすい手ごろなハーモニカです。ブルースを演奏するのであれば、ベンディングなどのテクニックもありますが、その単純な構造の為、楽器としての差はそれほど無く、プレイヤーのセンスによって演奏が大きく変わる奥の深い楽器とも言えます。

山下 伶 / リベルタンゴ 

ハーモニカ教則『ブルース・ハープ完全攻略』平松悟 Digest (演奏の後に吹き方を教えています。)

 

購入したばかりのiMacと最近、壊れ掛けているBOOMBOX(ラジカセ)

 
 
今回は此処までです。此処まで読んでくれて有難う御座いました。また更新出来たらお逢いしましょうね。それでは、また・・・・・・・。