本書は心の問題を、主として哲学の視点から多角的にとらえた、最新の論文集だ。関連する分野は広く、哲学以外では心理学、脳科学、認知科学、ロボット工学などの自然科学系がからんでいる。
自然科学系では突飛(とっぴ)な仮説が実験で証明されると、それまでの前提や論理が崩れるため論理の脆弱(ぜいじゃく)性が身に染みている。したがって、言語と論理のみに頼る哲学とは必ずしも肌が合うわけではない。
たとえば「[2]ロボット篇(へん)」で名古屋大学教授の戸田山和久は哲学者たちの議論のやり方を嘆き、「哲学者が行うべきことは他にもある」と断じてい
る。しかしながら、「心」の研究は哲学が先行しており、その概念の多くが自然科学系に取り込まれてきたのも歴史的事実だ。
かつて、心は身体とは
独立に存在すると考えられていた(哲学者デカルトの物心二元論)。最近では脳内活動がすべてとする唯物論者が多くなった。たとえば我々の感覚(色や音や痛
みなど)の質感を「クオリア」と呼ぶが、当初この概念は唯物論では説明できないはずだと、物心二元論者が呈示した。それがいまや唯物論者に取り込まれ、脳
科学者が真剣に取り組むテーマになった。物心二元論者の旗色はすこぶる悪い。
本書では唯物論の視点から、脳内現象と心的な出来事の関係を詳細に議論し、さらに心は外部の道具、社会制度、集団の合意事項などと深くかかわり、個人では閉じていないと説く「外在主義」を紹介している。
欲をいえば、より広い自然科学系を視野に入れると、心の問題
はさらに掘り下げられるだろう。たとえば「外在主義」に関連して、人間の無意識
は全人類につな
がっているとする、深層心理学者
ユングの「集合的無意識」の仮説がある。また量子力学によれば、確率的な波として拡(ひろ)がっている素粒子を人間が観測
すると粒子が出現する。これはかつて哲学者
ホワイトヘッドが提唱し、仏教の唯識が説く「唯心論」復活の可能性を示唆しており、とても面白いのだが……。
心の問題は奥が深い。秋の夜長にぴったりの、噛(か)みごたえのある三冊だ。