おでんくんのブログ

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おでんおいしいよね

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・名称
「おでん」は元々、田楽を意味する女房言葉である。田楽は室町時代に出現した料理で、種を串刺しにして焼いた「焼き田楽」のほか、種を茹でた「煮込み田楽」があった。
現在、「おでん」は「煮込み田楽」を指すようになり、「田楽」は「焼き田楽」を指すようになった。
関西では「関東炊き/煮」と呼ばれ(後述)、濃い色合いのものを関東煮、薄い色合いのものをおでんと呼び分ける場合もある。

・歴史
屋台のおでん鍋。種類は豊富である
江戸時代、江戸では、近郊の銚子や野田で濃口醤油の醸造が盛んになったため、かつおだしに醤油や砂糖、みりんを入れた甘辛く色の濃い汁で煮込んだ「おでん」が作られるようになった。外食産業が盛んであった江戸では、「おでん かんざけ」と書いたのれんを掲げたおでんの振売が流行した。
上方では種を昆布だしの中で温めて甘味噌をつけて食べる「焼かない田楽」しか存在しておらず、田楽が江戸で発達し「汁で煮込むようになったおでん」(煮込み田楽)が上方にも伝わった際に、それと区別するために「関東炊き/関東煮」(かんとだき)と呼んだ。その後の関東煮は、昆布・クジラ・牛すじなどでダシをとったり、薄口醤油を用いたりと、関西風のアレンジが加えられていった。これを「関西炊」と呼ぶ人もいる。関東煮の語源については「かんとうふ煮」説や中国の煮込み料理に由来する「広東煮」説もあるが定かではない。関東煮の名称は昭和40年頃まで使われた。
関東大震災(1923年)の時、関西から関東へ職人の行き来があり、関東煮が関東に逆輸入された。江戸時代の味を受け継ぐ店は震災によりほとんどが失われていたため、一時期、関西風の味付けをするおでんが東京を席捲した。そのため、現在の東京の老舗おでん店のなかには、昆布と薄口醤油を使用している店もある。
あらかじめ煮込んでおけば提供できる関東のおでんは、屋台・居酒屋・駄菓子屋で親しまれ、家庭の定番メニューとなっていった。

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