9月から今に至るまでの報告。 | wandering blue

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不定期更新中☆ブログの無断転載禁止。

久しぶりです、janisです。

まずは、更新が止まった事で、連絡出来なかったブログを通してお知り合いになれた人たちへの謝罪、連絡も更新も出来なくてすみませんでした。

そして、ブログを読んでくださっている人達への謝罪、更新出来ずにいてすみませんでした。


ここ数カ月の近況から報告したいです。


結構、Heavyな内容になるので、暗い話は聞きたくない人は以下、読まれないほうが良いと思う。





















私の近況を、全てではありませんが、やるべく長くなりすぎないように気をつけて(爆)、書いてみます。





今回、(も?)長いよ(笑)。




…前回のブログで、更年期や他のホルモン異常、卵巣腫瘍の再発っぽい感じがして、体調がすぐれない事は書いた。


9月に入った途端、激しい腰痛、左側背部痛、両側肋骨痛、左股関節痛、左下腹部痛が起こるようになった。
卵巣腫瘍のせいだと思っていた。食欲も異常に減退した。

後で詳細を記述するが、高校生の頃もほぼ同じ股関節痛を起こした事があるので、初めての痛みではなかった。
でも、痛みが毎日(眠っている時以外ずっと)続き、座っているのも辛くなり、ほぼ寝たきりに近い状態になった。

ホルモン異常に関する内科の再検査は行くに行けず…いまだに放置中(爆)。

総合病院に受診するには紹介状がないと厳しいため、予約なしで受けられる婦人科へ母に付き添ってもらってタクシーで行く。
…もの凄いおじいちゃん医師のクリニックに受診した。
「筋腫ができているが、卵巣腫瘍はないよ」と診断されるが…イマイチ信用出来なかったので、どうにか総合病院宛ての紹介状を頼んだ。

数日後、総合病院の婦人科に受診。
そこでも
「筋腫…と思われる。でも3㎝くらいなので背部痛を起こすほどではないはず…。卵巣腫瘍はないです。婦人科領域ではないのでは?」
と、そこでを診察を打ち切りにされそうになった。
MRIも受けるの無理か?尋ねると「混んでるから一か月後くらい」。
では整形外科へ回してもらえるか?尋ねると
「整形、ご存じの通り混んでますよ、近くの整形にかかられたほうが早いのでは?」と、言われる。
しかも紹介状は書くつもりもないらしいし、痛みが強い=炎症=CRP(血液検査)等もしてくれなかった。
元気な時だったら、自分からガンガンにゴリ押しして検査してもらうところだが、話をするのも嫌になり、診察は終わった。

そのまま近くに、簡単な手術が可能な有床(入院が出来る)の整形外科の病院があるので、そこに受診した。


私の背骨の一部、腰椎は、生まれつき曲がっている。

先天性側弯症と言う疾患に近い。

「近い」と言うのは、良くある側弯症は、思春期の女子が多く、進行性であったりするのだが、私の場合は生まれつきであり、進行はしてないケースなので、幼少期は「先天性側弯症」と言われたらしいが、今回受診した整形外科の医師の診断は「先天性の腰椎の奇形であって側弯症には含まれないと思う。」だったので。

背骨の下のほう…一番下の肋骨のある辺りの背骨がおしりのくぼみ辺りまでがS字に曲がっている。生まれつきのため骨は固まっているので手術は出来ない。
(進行性ではないため、手術で治す方法も確立していない)

(面倒くさいので、分からなかったら、側弯症で検索して写真でも調べてくれ~)

腰痛は、持病。そして、背筋が中学の頃に新体操部にいて筋トレして鍛えていても一般女子の平均よりかなり下回る。骨盤の位置が左右でズレがある。足の長さも右の方が1㎝短い。

簡単に言うと、アスリート不向きな身体(爆)。

小学生の頃から体操選手に憧れていて、週一で器械体操を習った事があったが、どうしてもバック転が出来なかった。
じーっと、みんなを観察して、自分の体の構造によるものらしい事を小学生の頃には理解していた。

同じ体勢でいると、腰痛が出る事もあった。


高校生の時、歩くと左の股関節が関節内で「カクンカクン」言う音が骨伝導で聴こえた。

次第に激しい吐き気が出て歩けなくなる痛みが月に1~2回くらい襲うようになった。

心配で総合病院の整形外科に受診したが、不明の上「背骨も曲がっているから、成長期だからそう言うこともあるかもしれない」と言われた。

しかし、身長は殆ど伸びてない上に、一度痛みの発作が起きると市販の鎮痛剤を内服してただ横になるしかなかった。
痛みは長い時で半日くらい、短くても3時間くらい。
部活も幽霊部員になった。


近所の徒歩で行ける場所の整骨院に行ってみたら、と母に薦められて行ってみた。

そこの医師から
「腰椎からくる痛み。基本的には治らない。これが効くと言う治療も特にはない。部活は無理。激しい運動は控える。背筋が弱い為将来は車椅子かもしれない。出産も帝王切開だと思う。」と、高校生の私に説明をした。小学生の頃から冷静な私は、「ああ、そうなのか」と静かに診断を聞いた。
そこでは、一応、牽引と、電気刺激によるリハビリ治療を受けた…が、効かない。
3ヶ月程は通院しただろうか?…通っても痛みの発作がおきるので無駄に思い受診するのを止めた。


小学生の時にぼんやりと分析した「私の身体では体操選手にはなれない」と言う挫折感を味わってから、また16歳の私は挫折した。
挫折と言うより、絶望かな?

「こんな身体で、社会に出れるのだろうか?」
「将来、車椅子になった時…その頃はもう母も存命していないだろう。もし結婚していても旦那も先に逝っていたら?子供の世話になるのか?いや、そもそも腰椎が曲がっている内側の体内で妊娠して無事で健康な子供は生まれるものなのか?」

と、まあ、ネットがない時代だったので、ひたすら家にあった「家庭の医学」を読み漁った。

私が高校生の頃にROCKにのめり込んでいったのは、そういった背景も影響していたのだと、今は思う。

母には、将来を不安に思う気持ちや部活でもう踊る事が出来ない悲しさを話す事はしなかった。

何故ならば、その整骨院での診断を母に(淡々と)伝えた時に、一瞬泣きそうな顔で母が「あなたのせいじゃないから。そんな体に生んだのはお母さんのせいだから」と言われた。

私は初めから、誰のせいでもないと思っていたので、母を責める気持ちなど微塵もなかった。

ただ、母が気にしてしまうならば、この事に関する話はしない事にした。

独りで悩んだ。

クラスの友達、親友にも「生まれつき背骨が悪くて、それが悪化して腰痛が出る。激しいスポーツは医師から止めるように言われた」とだけ伝えた。

痛みの発作が起きると、何時間痛みが持続するのか分からないので、痛みそうな感覚が来たらすぐに保健室に行ってから、早退した。
(保健室に行かずに病気早退は出来ない為)


今でも覚えている日がある。


人通りが滅多にない通学路を痛み始めた足を引きずりながら、不安感と絶望感でいっぱいになり、泣きながら歩いた。


この世に、沢山の人がいるのに、とても「孤独」を感じたのを覚えている。


親も、医師も、大人でさえもどうにも出来ない事があるのを、小学生の時にも感じてはいたが、こんなにはっきり自覚したのはその時が初めてだと思う。



…。


私は、将来を決められず、短大ではなくて大学進学を目指していたが、本気で勉強してなかったので大学受験は諦めた。
(それどころではなかったとも言う・爆)
…かと言って、一年浪人する気分にもなれず、音楽に関する業界の仕事に就けたらいいな…くらいの気持ちでそちら系の専門学校へ進学した。

急に徒歩で通えた高校から、都内への通学になった。
親は心配していたが、卒業してから、痛みの発作はぴたっと止まった。

卒業して夏休みになる前だったか、高校のクラスメートと高校に顔を出しに行くことになった。(当時何かよく分からないがそういう風習があった)

私は保健室の先生にお世話になったので、そこにも顔を出した。
保健室の先生は私がとても明るくなったと言い、痛みが出なくなったと伝えると、「学校生活自体が、ストレスになっていたのかもね。ストレスでも痛みとかって出るのよ」と言われた。その先生には話した事がなかったが、私が高校生の時、真ん中の姉が不良していて色々…家庭内で嵐が…そんな事もあって母親には反抗期に反抗しようとも思わなかった。
これ以上母親に心配かけたくなかった。
(だから独りで悩んだのだった)
はっきり言って…家は安心してくつろげる場所ではない状態の時があった。


…なんか、話がズレてる?(爆)。


そんな風に、腰椎が痛くて、将来真っ暗だった高校生時代があるのだ、と言いたかった(笑)。


で、今、それが再来しちゃったのだ。


近くの整形外科病院で、CRPの検査をしてもらい異常がない事から単なる椎間板ヘルニア(その気は少し出ているらしいが)ではない。

最終診断は
「これだけ腰椎が曲がっていて、骨と骨の間の隙間が開いている部分と骨と骨が近い部分があるよね。これだけ曲がってたら(神経痛)痛みが出る。」
「背中も下腹部も肋骨も全て腰椎のせい。」
「(高校卒業後腰痛はあってもこんなに痛くなかったことはなかったと伝えたが)本来はいつ痛みが起きてもおかしくなかった。年を取るとどうしても体が消耗してくるから」
(それって、老化…爆)

私が将来車椅子かもと整骨院の医師に言われてた事も伝えると、「そんな事言う先生いるのぉ?…」と、非難する口調で言った…が、「そうはならない」とは言わなかった。「医師」と名のつく人と普段から接している仕事をしていたので、その医師も「そうはならない」とは言えなかったことが分かってしまった。



とりあえず、かなり強いのと中の上の強さの成分の違う鎮痛剤を2種類内服し、違う成分の湿布を貼って過ごす日々が続いた。


鎮痛剤を飲んでも、完全に痛みが感じない時間があるようになったのは、12月になってから…。

鎮痛剤も2種類はそのままで、投与量をMAXから少し減らし、湿布はかぶれたので止めた(爆)。

9月と11月は殆ど、外出もしなかった。


出来なかったというよりも、精神的に滅入っていた。
(今も、かなり落ちてるとも言うね・爆)。

今も、2週間に1回くらいしか外出していない。
バスの中で揺れに耐えて立っていると10分もしないうちに腰椎が痛くなる。
病院帰りにお店に寄ったりして3時間もすると徐々に足と腰椎が痛くなる。
ブログを読む書くためまたは他の目的でPCの作業で椅子に座っても2時間くらいで徐々に腰椎が痛む。
家事も今は洗濯物を入れたり(入れる作業も背をそらす事が出来なかった)、お皿を洗ったりくらいは少しづつやっているが…やると、直後または最中に腰椎と背部が痛む。
実家で完全にパラサイトしてる…独身、無職、座り事務作業でさえこの先出来るのか不明の上年齢制限が…(爆)。


流石に、落ち込む(爆)。

…あ、仕事はとっくに辞めました(笑)。


さて、医療の知識がない方は、そんな状態なら「身体障害者」になるのでは?と思われたかもしれない。

私の場合「歩けない」のは足の機能不全ではなくて「痛くて歩けない、立っていられない」つまり「痛い」だけなので、対象外(爆)。

背骨は身体障害では「体幹」にあたるが、私の場合は、生まれつきの背骨が腰部のため「痛み」以外は殆ど内臓への影響はないため、あっても、障害にはあたらないため、一番下の障害認定も不可。

…将来のことを考えて、このまま仕事に就かなかったらと思って、障害者雇用枠で何とか働けないか?調べたのだが…無理っぽい…。


と、9月から今日までこんな感じになっていて、12月に入ってからは今は将来の事は考えないで、少しづつ動けるようになるまでまず体がよくなることだけ目標にしている。


9月から、現実逃避も、ばっちりしてるけどね(笑)。

ブログはPCでやりたいが、座って出来ないので、放置していた。
TVも観たい気持ちがない。
好きな本すら、読めない日も続いた。
新聞すら読まない日もあった。

しかし…kenkenさんのファンになってから始めた(7月から開始)Twitterにハマる(爆)。

Twitterを始めるまで「暇つぶし」「暇な人がやるもの」だと思ってました…。

訂正はしません!!!

横になったままでも出来て、暇つぶしMAXでやってますから(爆)。

あれは「暇つぶし」にうってつけだと思う(爆)。


音楽情報やROCK名言や美術が好きなので綺麗な写真をひたすらRTして、時々母の前で言えない心の痛みをツイートして、自分の雑誌みたいな感覚で綺麗に並べる作業にハマっていた。


kenkenさんのファンとは殆ど交流がない…多分変な人だと思われてる(笑)。


少人数の方とはツイートのやり取りもたまにしてるが、私が体が悪い事も知っているし(ツイートしているので)、人見知りとツイートもしているので、リプがないと絡みがないとすぐブロックするような人とは絡んでいない(笑)。


交流は、元気な時だったらね、いいけれど、リプしてもらってもすぐ返せないし、フォロワーさんのツイートを頻繁にリプる気力もないから、少数でいい…ブログと同じスタンスだ(爆)。


でも、ブログとはキャラ変えている。

Twitterでは毒舌封印してるから!!!(爆)。

Twitterのツイートって、(特に男性)言葉使いが文字制限のせいもあって、汚い言葉やネットスラングも多いのがイヤで、「デスマス体」で書いてる…。


ブログは丁寧語すら使っていないが、いいのだろうか?…もうキャラ定着してるから無理っす(笑)。



そんなわけで、ブログ放置してました。


更新されていないかな?とたまに覗きにいらした人、読者登録されてないが、どうやらお気に入りに入れてくれていらっしゃた読者さんも含めて、今まで更新出来ずにいてごめんなさい。


ブログを止めるか続けるか、正直言って分かりません。


実を言うと、痛みがMAXだった9月は、工事の音、ドアの開け閉めの音等も、骨に響いて不愉快な痛みが続き音楽も聴けない日々もあった。

あと、気持ちの問題で音楽すら聞きたくない日々もあった。

その反対に、kenkenさんの交友関係で知ったミュージシャンで、素晴らしい歌を歌う人もいらして、最近は殆ど聴いてなかったEDMの音楽なども聴くようになった。


…ブログは、INPUTとOUTPUTのバランスが難しいと私は思っている。


特に私の場合、昔話をOUTPUTしていたので、元々INPUTされていた情報(思い出)を出すだけだった。

それが、ネタが尽き始めてから、エイトに出合って、また色んな音楽も聞きだして、INPUTとOUTPUTが上手くいっていた。


今は、INPUTは多いが、まだOUTPUT出来るまでにいってない感じ。

自分の中で消化していない。

そして、気分的に、ブログを書きたい気持ちになかなかなれない。


…最終的に、このブログをどうするか?は、今は決断しないです。


アップしたい事があって、それが書けるようであれば、アップするかも知れません。
いや、ブログネタにしたいものは幾つかあることはあるが、まとまってない…。

ってか、kenkenさんのLIG(LIFE IS GROOVE)のアルバムツアーの東京ブルーノート公演に行かれなかったよ…。

「俺パル(オレパルーザ)*ロラパルーザのパロディの名前をつけたが若者は全然通じてないらしい・笑*」…kenkenさんのお誕生日フェス(この人、自分の誕生日に自分が全部ベース弾くフェス開くのだよ・笑)も、立って観ていられないので諦めた。
超ストライクな出演者ばかりでもうないかもしれないメンツなのだけどね、金子ファミリー出るんだけどね。

…くどいか?諦めて気分は振り切っているのだが、DVD化もするかわからないインディーズ所属の人なので…。
…諦めてはいるが、セトリだけでもツイートしてくれないかな?
意外とkenkenさんがメインでファンって少ないのである。

ベーシストだからか??


エイトはどうしたの?って言われそうで、心苦しいのだが…基本的に何かにハマっていると、違うものへの関心が薄れる。

…薄れてました、すみません(爆)。


TVも観る気がなかったから、殆ど観てない…。



でも、この前、ヒナが、無言で(若干恐る恐る?)私に手を差し伸べる…と言う微妙にロマンチックな夢を見ました。
その後、私は手を握ったのか??は、目を覚めてしまい分かりません、ああー勿体ない(笑)。


そんな日があると、ヒナの顔が観たくなって(爆)、溜まっていた関ジャムを少し見ました。安定してる笑顔に癒されました(浮気者・爆)。

で、通院の日、エイトを久しぶりにウォークマンで聴いてみると…懐かしかったです(笑)。

心地よかったです。


一回好きになった音楽は、嫌いにはならないので、関心がある時と無関心の時と、凄く差が出てしまうけれど…。


そして、恐ろしいことに、今までベース音ばかり追っていたので、エイトの曲も反射的に歌よりベースラインが気になるように(爆)。




…人生、何が起こるか本当にわからないね(爆)。


…と、ここまで、長い私の療養生活の話を読んでくださった読者の人達、本当にありがとうございました。


とりあえず、生きてます(爆)、音楽も好きです(爆)。


*今年は、恒例の「DO THEY KNOW IT’S CHRISTMAS」の記事、「クリスマスの日くらい、世界に関心向けようよ、世界に少しも目を向けないと言うことは、目の前の人にも無関心なのと本当は同じ事なんだよ」と言う意味で書いていたネタ(初めて書いたな、あの記事の主旨)限定記事は書けないと思うので、曲だけ貼ります。


janis