BSで「私を救ったショパンのバラード」と言う番組がやっていた。
ショパンの「バラード第一番ト短調作品23」と言う曲がテーマ。
最近、この曲を演奏するyoutube動画が多いそうだ。
ショパンのト短調23番…聴いた事があったっけ?と思いながら観た。
*ショパンが祖国ポーランドを離れて、パリで作曲した曲らしい。
この曲にまつわるスコットランドの青年と日本の少女の異なるエピソードが綴られていた。途中にピアニストや指揮者の方々がこの曲に関しての感想や説明の語りが入る。
*↑イモージョン・クーパー、ステーヴン・ハフ、朗朗、ウラディーミル・アシュケナージ
ラストは、丸々1曲、この曲が流れる。
ショパンと言うと自分の知っている曲が、情熱的だったりロマンチックな曲だけだったが、この曲は超絶技巧、難易度高い(多分…)上に、エンディングは聴く者を置き去りにしたような終わり方で、重く苦しく耳に残った。
スコットランドの青年は、初めてこの曲を聴いて、すぐにこの曲のとりこになったそうだ。
青年は、普通にスポーツが好きな中学生だった頃に、教室にあったピアノに惹かれて昼休み等に独学で度々弾いていたら、学校の音楽の先生から親に誰に指導されているのか?と連絡が入ったくらいの才能があった。
独学だが、無事に大学へ進学した。
しかし、入学して一か月したくらいから、頭痛がするようになり、あまりにもひどいために、病院へ行った。
脳腫瘍だった。
数が月に何回かの手術したが、記憶障害(記憶喪失)、目が見えない、身体は麻痺が残った。
父親は、この青年が繰り返し何度も聴いていた「23番」をiPodに入れてやり青年に渡してやった。青年はこの「23」を何度も聴いた。
青年は、この23番の特定の箇所、メロディになると、何かが心に引っ掛かり、学校を思い出し、ピアノを思い出し、自分が何者であるかを思い出した。
この一曲で、記憶を取り戻し、脳の機能が正常に戻り、それとともに身体もよくなっていった。
大学へも戻ることが出来た。
しかし、ある日右半身が麻痺を起した。
色んな検査をした結果、多発性硬化症と診断された。
麻痺した右手はもう動かない。
しかし、彼は左手でこの曲を弾けるように編曲をして、身内を集めたコンサートを行った。
この曲が、自分を救ったのだと言う。
宮城県の中学生の少女は、この曲が大好きだと言う。
4歳からピアノを始めたが、15歳になった今は、技巧にとらわれがちな曲を作曲者の気持ちを考えるようになったと言う。
卒業式の準備をしていた。震災が起きた。津波警報が出て学校の3階にみんなで避難した。
学校の友達のお父さんがなくなった。家族ぐるみで仲良かった…。
震災前は自分は何で生きているのだろうと思う事もあったが、震災後亡くなった人達の分まで自分は生きなければと思ったと言う。
浅田真央選手が、当時のエキシビジョンでこの曲を使っていた。
震災復興チャリティのイベントでもこの曲で滑った。
震災から一か月くらいしてから、少女はこの映像を観たそうだ。
震災前では味わえなかった感動と勇気をもらった。
震災後に聴いて、この曲にタイトルがあるならば「魂の叫び」だと思うと言う。
魂がとびまわっていて、亡くなった人達が助けてとメッセージを送っているような感じがしますと言う。
…番組を観て思い出した。
そうだった、真央ちゃんのエキシで観た時の曲だった。
でもフルで聴いた事がなかったので、今回の番組を観て、この曲を聴いて、「感動」と言うよりも、その不協和音とfffの強さ、答えなきエンディング、一人の人間が一つの楽器でこのような曲を作り出したと言う事が衝撃的に感じた。