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「貴様、何をした!?」
幼い少女を抱きかかえたバハムートが叫んだ。目を閉じた少女の額には赤いアザのようなものがある。
「大したことはしていない……ただ、闇の種を植えさせてもらっただけだ」
バハムートの問いに答えているのは、長い黒髪を微風に揺らし、表情というものがない目で相手をにらみつける女─ヘキナだ。
「種……だと?」
「その娘の成長に合わせて種も育ち、闇の力が増幅していく。いずれは世界を闇で覆うほどの存在になるだろうな」
「まさか貴様が『闇の氾濫』を起こすのか!?何故そんなことを!?」
バハムートの問いに、ヘキナは初めて口角を上げた。
「思い知らせてやりたいだけだ……私と同じ思いを……大切なものを無慈悲に取り上げられる絶望を……」
バハムートの目が見開かれる。
「まさか……」
「やっと気づいたか。私の幸せを奪い取っておいて……」
「違う!父上のお考えは……」
「言い訳など聞きたくないわ!種を刈り取る方法だけなら教えてやる。今その娘の命を奪えば種も一緒に枯れるぞ。出来ればの話だがな」
「何……だと……?」
「決めるのは、お前だ」
そう言い捨てると、ヘキナは音もなく姿を消した。一振りの黒い短剣を残して。
バハムートは少女を抱いたまま長い間その場に座りこんでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「済まない……お前に罪はないのは分かってるんだ……だが……」
左手で短剣を取り上げる。双眸から涙が流れていた。
「こうするしか……ないんだ……!」
短剣を少女の胸に突きつけたとき、あたりがまばゆいばかりの光で覆われた。
「……何も見てない?そんなわけないだろう!」
椅子に腰かけたジョーが苛立った声をあげた。
「本当にそうなんだから仕方ないだろ」
久々のノーチラスの自室。ベッドから上半身を起こしたユウがこめかみを押しながら答えた。今回は頭の両側を串刺しにされたような頭痛がする。
昨夜、ダルグ大陸でノーチラスに乗り換えたあと鎮静効果のある薬草を飲み、ジョーにスリプルの魔法をかけてもらい、万全の体制で眠ることが出来たのだが、寝覚めは最悪だ。
(あんな夢を見るとは思わなかった)
バハムートに抱かれていた少女は間違いなくメグだろう。結局命を絶たれずには済んだわけだが……どうやって?
(それに……闇の種)
ユウはいつか、メグの額に赤い模様が浮いて見えたことを思い出した。あの女の言う通りなら、メグは……。
(考えたくもない!)
ユウは頭を振って必死に否定したが、ジョーは怪しんでいるようだ。
「その割りには昨夜随分うなされていたけど?」
「そうか?じゃ忘れたんだろ。それより大声を出さないでくれ、クラクラする」
「そうやってまた誤魔化そうとして……」
ジョーがまた何か言いかけたとき、扉が開いてメグが入ってきた。手には湯気の立つ鉢とカップが乗ったお盆を抱えている。
「ユウ、具合はどう?食べられる?」
「ああ、いただくよ」
メグはサイドテーブルにお盆を置いた。
「ねえ、さっきの話聞こえていたけど、全然覚えてないの?」
ユウが少しためらいうなずくと、メグはジョーに向き直った。
「しつこく聞くのは良くないわよ。ぐっすり眠って起きた途端に夢を忘れることって珍しくないみたいだし……ジョーの魔法と薬が効き過ぎたのかもしれない」
ジョーは仏頂面で立ち上がり、「どいつもこいつも……」と言い残して出て行く。
「あ、ジョーの分もあるからちゃんと食べておいてね」
返事はなかったが、ジョーの中で食事を取らない選択肢はないだろう。ドアが閉じるとユウはお盆を取り上げ、メグは今までジョーが使っていた椅子に座った。
「本当に大丈夫なの?顔色悪いけど……」
「心配するな、寝過ぎがたたっただけだ。食べたらすぐ出よう」
ノーチラスはドーガの館の前に停めてある。雪は降っていないが強風なのは相変わらずだ。
ユウが匙を取り上げ、鉢の粥をゆっくり口に流し込んだ途端、隣室の食堂から「あちっ!」という声が聞こえてきてメグが吹きだした。
「もう、落ち着いて食べれば良いのに……」
口を手で隠して笑い続けるメグの首には、石がなくなった首飾りがかけられている。
「なあ……変なこと言うけど、おまえ変わったよな」
「えっ、急に何?」
「前は何かに怯えているとか、他人に遠慮しているとかそういうところがあったからさ」
「そ、そう?じゃわたし、少しは強くなれたのかな……?」
メグの大きく尖った耳がピコンと動いたのは感情の表れだろうか。ユウはそんなことを考えながら鉢を空にする。いつの間にか、闇の種のことは頭から消し飛んでいた。








