過去を振り返ってみると

自分の持っていないものを

持っていることへの憧れや、

ドキドキを感じることを

「人を好きになること」って

定義していたなと思う。

 

いわゆる表面的なところ。

ポジティブに偏っている感情。

 

ポジティブに偏っているのは

自然な状態ではないから

必ず次はネガティブな方向に傾く。

 

 

相手のネガティブな側面を見たとき

裏切られたような気持ちになって

「この人こんな人だったのかな?」って

がっかりしたり幻滅してみたり。

 

本当は自分が勝手に

夢を見て期待をしただけで

その人は両方の性質を持っていて

その時々でポジティブな面が出たり

ネガティブな面が出ていただけ。

 

ネガティブな側面を隠して

ポジティブだけで

人と関われるのは

距離感がある関係どまりのとき。

自分にとっても相手にとっても

お互いに特別な存在ではないとき。

 

 

いまでは相手のネガティブなところも

腹が立つけれど理解してみようと思えるのは

自分のネガティブでドス黒い感情を

なかったことにしたり

ポジティブにすり替えたりすることをやめて

「ほんま、それ。わかるわ」って

寄り添うことができるようになったから。

 

どうしようもない自分に

寄り添えていなければ

目の前の「大切な人」のダークサイドに

寄り添えるわけがない。

だから結局は自分。

人と向き合うのが苦手なのは

自分自身と向き合えていない証拠。

 

って思ったんだなクローバー

マンツーマンのストレッチに通っているのだけれど、いつもトレーナーの人に右肩と左肩の可動域が同じくらい広いことに驚かれる。

 

わたしは右利きだが
普通、右利きだと右肩の可動域は広いが、左肩は狭くなるのが一般的なようだ。

 

確かに、瓶の蓋は必ず左手で開ける、ピッチャーでドリンクを注ぐときも必ず左手で持ちあげたりしている。

 

関係あるかどうかわからないけれど、スノーボードもいわゆるグーフィーってやつだ。

 

考えられるのは、子供の頃にお転婆すぎて、戦隊ごっこでマンションの2階から飛び降りて右手首を骨折して、何ヶ月も左手ですべてのことをやっていたこと。

 

おかげさまで、この年齢なっても四十肩・五十肩とは無縁で、左右両方とも肩関節がスムーズにくるくると動いてくれている。

 

「使わないと衰える」これは自然の摂理。

これからもできるだけ両手、両腕をまんべんなく使って、いつまでも柔軟性のある体でいたいな。

気がつけばブログを書かなくなって約2年が経っていた。

 

なぜ書かなくなってしまったかというと、書く目的が「ただ書きたい」だったのに、いつからか「人のためになることを発信しなければならない」という強迫観念に変化していったから。

 

それでも、いつも自分の中に文章で表現したいっていう衝動があって、自分だけが見るノートに書いてごまかしていたけれど、もうこれ以上「書きたい」という欲望を抑制していることに耐えられなくなってしまった。

 

わたしの「ただ書きたい」が結果的に誰かの生きるヒントになったり、役に立てばそれはとてもうれしいこと。

でもそれはあくまで結果論であって、目的ではない。

 

過去記事は全部削除をして再出発。

娯楽として読んでいただけるようなブログになるといいな。