過去を振り返ってみると
自分の持っていないものを
持っていることへの憧れや、
ドキドキを感じることを
「人を好きになること」って
定義していたなと思う。
いわゆる表面的なところ。
ポジティブに偏っている感情。
ポジティブに偏っているのは
自然な状態ではないから
必ず次はネガティブな方向に傾く。
相手のネガティブな側面を見たとき
裏切られたような気持ちになって
「この人こんな人だったのかな?」って
がっかりしたり幻滅してみたり。
本当は自分が勝手に
夢を見て期待をしただけで
その人は両方の性質を持っていて
その時々でポジティブな面が出たり
ネガティブな面が出ていただけ。
ネガティブな側面を隠して
ポジティブだけで
人と関われるのは
距離感がある関係どまりのとき。
自分にとっても相手にとっても
お互いに特別な存在ではないとき。
いまでは相手のネガティブなところも
腹が立つけれど理解してみようと思えるのは
自分のネガティブでドス黒い感情を
なかったことにしたり
ポジティブにすり替えたりすることをやめて
「ほんま、それ。わかるわ」って
寄り添うことができるようになったから。
どうしようもない自分に
寄り添えていなければ
目の前の「大切な人」のダークサイドに
寄り添えるわけがない。
だから結局は自分。
人と向き合うのが苦手なのは
自分自身と向き合えていない証拠。
って思ったんだな