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 昨日、映画『ノルウェイの森』を観た。

素晴らしい出来映えであった。

映画と小説とは表現する媒体が違うわけだから、細部にまで小説に忠実であることが良い映画の条件ではない。

小説を典拠として脚本を起こし、映画としての価値を吹き込むという作業が必須である。

そういう意味でトラン・アン・ユンが読み解いた『ノルウェイの森』ということだ。

彼独特のアングルやカメラワーク、精神の反映としての事物や風景の描写、彼の作品を見たことがある人なら、彼らしさがこの作品でも如実に現れていることがよくわかるであろう。

原作の『ノルウェイの森』にはほとんど風景の描写などなかった気がする。

しかし映画ではとても多くの風景が映されていた。

精神の反映としての風景が。

かけがえのない時間が反映したあまりに美しい風景。

逃げたくても逃げられない生が伴う熱病、夢魔にとりつかれた夢幻的な風景。

絶望の淵で打ち拉がれた風景。



例えば愛してやまない人が死んだときに世界はどのように見えるのだろう。

例えば宝くじで1等が当たったときに世界はどのように見えるのだろう。

同じ風景を見たときに同じように見えるだろうか。

「もの」をどのように解釈するのも主体としての精神があるからであって、「もの」自体に普遍的な内在的価値など存在しない。

だから風景とは精神の裏返しであるし、実は精神自体を描いているということだ。

とても内省的な原作をどのように映画化するのかと思っていたが、このように原作の抽象性を表現するトラン・アン・ユンは現存屈指の映画監督であると改めて感心した。

本当に素晴らしい作品である。

音楽も素晴らしかった。

ジョニー・グリーンウッドというギターリストが担当しているそうだが、トラン・アン・ユンの他の映画の音楽もとてもハイセンスだ。

しかしキャスティングには少し無理があった。

菊地凛子はどう見ても21歳には見えない。難しい役なので他に「ナオコ」を演じられる女優が少ないのかもしれないが、主人公ワタナベが勃起する根拠がない。

それに引き替え水原希子という女優はとてもいいものを持っている。

原作のミドリは水原ほど挑発的な女性ではないが、水原演じるミドリの方が余程良い。

時代考証もよく煮詰められていて良かった。

少し綺麗すぎるが、40年代のファッションもサイケデリックに表現されていて素敵だった。

本作に限らずトラン・アン・ユンの作品は「雨」のシーンが頻出するが、本作でも「雨」がとても美しく効果的に使われていた。

原作『ノルウェイの森』の一番深いテーマとは決して「愛」ではなく、「理性」と「誠実」についてなのだが、そういう部分を実に巧くストーリーの中に溶かし込んでいるところに非常に感心した。

ナオコが言う。

「あなたの存在がわたしを苦しめるのよ」




またミドリが言う。

「今、わたしが何をしたいと思っているかここで言ってみて」

ワタナベが答える。

「場所をわきまえてくれよ」

「あなたからそんな答えが返ってくるとは思ってもみなかったわ」ミドリが言う。


ワタナベが抱える理性や誠実さが愛という感情を翻弄させる。

そしてワタナベ自身をも翻弄してしまう。


とてもデリケートで内省的なテーマを本当に巧く表現している。


きっとこの作品は全ての人を満たしはしない。

否、人を満たすために作られた作品ではないかもしれない。

ありきたりなカタルシスに慣れ親しんでいる人々に対する挑戦とも言える作品であるように俺には思える。

人間の生とは万難を排してハッピーエンドだけではないし、そんな単純なものではない。

「今、どこにいるの?」

というミドリの言葉で映画は終わるが、その問いは理性と誠実さが人をどこに運んでいくのか、混沌たる時代と生について見つめ続ける村上春樹の永遠のテーマと結びついているのだ。
■東洋大が往路3連覇、柏原力走…箱根駅伝5区
(読売新聞 - 01月02日 12:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1457001&media_id=20


 独房でやることもなく完全休養。

余程疲労が蓄積していたようで、とても長い時間眠った。

テレビもないのでネットニュースで東洋大・柏原の三度の力走を知った。

箱根駅伝もプロ野球のように大学の広告塔、ブランドイメージとしての役割が強く、早稲田などはインターハイでの記録保持者を大量買付けをしている。

きっと東洋大の推薦入学者のための予算は早稲田よりも少ないであろうし、金にものを言わすことができないのであればチープで優秀な素材をスカウトが発掘するほかない。

そういう意味でスカウトの眼力によって予算をかけずにゲットしたのが柏原であって、アンチ巨人であり金にものを言わせるのが嫌いな俺にしてみれば柏原の激走は痛快以外の何物でもない。

スポーツの世界はまだ個人の天才的な力量で全体の勝利に結びつくということがあり得るので面白い。

ダルビッシュが1点も取られなければチームは負けない。

しかしビジネスや世界全般のことに目を向ければ、個人技で立ち回れるような時代ではなくなってしまった。

元来一匹狼で集団行動が嫌いな俺としてはそういう時代が気に食わない。

「個と自由」V・S「集団と全体」という対決ではほぼ勝ち目の無い世の中になってしまったけれど、家族を養っていけるなら集団になど所属したくないものだ。



この世で最も美しい音楽、文学、美食、最も高尚な思想、もしも俺がそれらを知っていたとしてもそれを語るべき相手がいなければそれはゼロに等しい。

持つべきものとは「語るべき相手」だ。

依然今年も不毛の只中にいる。

「諦めなくて良かった」と柏原は言っていたが、俺は俺なりのカタルシスを得ることができるのだろうか。


おっと!お宝発見!

『意味』
作詞 斉藤由貴  作曲 崎谷健次郎

俺がレビューでも書かなきゃ存在すら知られぬままお蔵入り間違いなしの作品。

しかし実にクォリティが高い。

斉藤由貴の現役最晩年の作品。自作の詞であることもあって当人の思い入れも強い。

俺は別に斉藤由貴マニアではないが、この作曲家が好きだった。
この曲は元々崎谷健次郎の曲であって斎藤由貴が詞を提供したのだ。それをレクサスと同じく逆輸入してレパートリーに困った斉藤由貴が歌っているのだ。

ノスタルジックなチャイナスケールがなんとも懐かしい!

隠れた名曲です。
ジョンイルお薦め!!