よく、自分探しとか言うじゃないの。
自分を見失うな、とか
いやいや、自分、探す必要なんかないですって話。
正直、物質的な感覚でいればいいんです。
肉体がそこにあれば、
意識も当然、そこにある。
そう考えるとシンプルで
わざわざ外の世界に探しに行く必要はない。
外の世界に探しに行くのは外の世界の物事たちについてで
自分はいつも自分とともにある。
そうは言っても、この僕も
かつては迷いに迷うアオハルの只中
ただただ自分を見つけたくて
自分を探そうとしたことがありました。
当時の僕はライナー・マリア・リルケを読んでいたため
外ではなく内面へ探査機を送り込んでみて
早い段階で探し当てた感があったので
それ以上のことはしなくとも、総てわかった(気がした)。
しかし、生まれながらの流浪の癖もあり、
結果的に旅好きな人間に仕上がりました。
見知らぬ土地、見知らぬもの、見知らぬ人々を知るのが面白くて
旅を続けました。
それは、自分探しというのとは全然違って
ただ、好奇心のままに突き進むというだけの旅。
それが結果的に自分を知ることになったということ。
人や物事と関わる度に、自分を知るわけですね。
ある若者の誕生会で
たまたま初対面の主賓の隣の席になり
言うに事欠いて
誕生日おめでとうございます。
最近、どう?
という、質問をしたところ
自分、消えたいです。
と初対面の僕にいきなりの返答。
僕はすかさず
なら、最果ての地に行ってみな。
と話したことを覚えている。
この若者は
自分探しの真っ最中で懊悩しているのが手に取るようにわかり、
初対面の、もう二度と会うことなどない
行きずりの大人にだからぶちまけられる気安さで
苦しい胸の内を吐き出したのだと思ふ。
それが僕には痛いほどわかったから
自分の知る範囲での最果ての地に行くがいい
(行ったところで、
自分からは絶対に逃れられない真実にぶち当たり、
もっと悩み苦しみ自分なりの答えを出せ)
ということを意図してそう言ったのだった。
若者は
わかったようなわからんような微妙な反応をしていたが
後々に風の噂で
どこぞの地で根を下ろして
地方創生のために活躍しているとのこと
その噂を聞いたとき
うむ、僕のおかげさと
人知れずほくそ笑んだ。
真意のほどは、知る由もないが
僕は最果ての地でも
どこまでも引っ付いてくる自分にほとほとうんざりして
自分に降参して
今いる場所に還ってきた経緯があり
一旦は外の世界に飛び出してみるのもよしとしている。
それは、心身共の準備運動みたいなもので
エネルギーを持て余しているときは、役に立つかも。
自分探しって、言葉自体、なんだかなぁ。
本当の自分は
外の世界ではなく
ただ、ある。
ああ、自分なんだと思い知るだけのこと。
わざわざ、外に出かけなくても
内観で感じられればそれでいいのだと
今はそう思ふのだ。
自分はいつも自分とともにある。
大丈夫。
それでいいのだ。
と今の僕は
過去の僕に言いたい。