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フラチなスピリチュアル三昧のブログ

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前回のブログでは、あるいきさつから自分の過去世について知ることとなった事情をお話ししました。


しかしながらその人の過去世がどうであったかというようなことを知ることは、本当のことを言ってしまえば実はあまりその人の人生にとって意味が有るという訳ではありません。


ニューエイジ系のあるヒーラーの人達の中には前世療法や過去世療法というヒーリングをしてみえる方達がいます。


有名なところでは精神科医の越智啓子先生という方が彼女のクリニックで過去世療法を取り入れています。


彼女は精神科医でありながら霊能者であるという別の顔が有り、少し大きな書店へ行けば、定期的に本を出されているのでたいてい彼女の著書は置いてありますし、図書館の心理分析の科目の隣にあるスピリチュアル系の書籍に混じって置いてあったりもしますので機会があれば一度読んでみてください。


精神世界については良く解らないけれども最近そういったことに興味を持ち始めたという初心者の方には、文体が平明で読みやすく、沢山の著書も出ていますのでどの本もお勧め出来ます。


彼女は東京で精神科医をしていましたが、過労で倒れたり離婚経験をしたりするという人生の苦難を乗り越えたのち、彼女にとっての魂の約束の地である沖縄に導かれてメンタルクリニックを開いたという経歴の持ち主で、今は講演会やセミナーを中心にして活動をしてみえます。


クリニックでの診療も受けることが出来るようですが、完全予約制で早めに埋まってしまうのでご興味のある方はホームページで一度調べてみてください。


実は自分の友人に彼女のクリニックで診療を受けた人が居ます。


その友人には吃音の悩みが有り、その原因を知りたいと思ってクリニックの門をたたいたそうです。


越智先生は霊能者でもあるので、霊視によって彼女の過去世を探ることにより吃音の原因を特定することができたそうです。


しかしながらそれが特定できたからと言って彼女のトラウマが直ぐに解消されたという訳ではなく、焦ったりすると時々吃音になるようです。


結局その人の過去世を知ったり、過去のトラウマの原因を知りうることがたとえ出来たとしても、そのことにかかわりそれを解消することができるのはその人自身に他なりません。


それはその人の魂に刻まれたものであるからです。


そしてそれらの事を、その人の本質であり潜在意識に隠された高位の自分自身は全て知っています。


その過去世を現世で知ろうが知るまいが、既にそのことはその魂に記録されたアカシックレコードとしてそれはつぶさに刻まれています。


何度も言いますが潜在意識、高次元の自分自身は既にそのことを知っていますし、人の本来の姿、霊体に戻ればその人の魂の本質が全て露見しますので知るとか知らないという次元ではなくなる訳です。


ですから私たち人間は、その過去世を知っていようとも、知らなくても、現世に現れたトラウマの原因や何かを忌避するという性格に作用している葛藤がたとえ何であっても、それを解消できるのはその人自身の想いであり、今この瞬間でしかない訳です。


それは気付きと同じように、その人がその葛藤に対して腑に堕ちる、葛藤を手放すという想いが確信的に湧きあがってこそそれらのくびきからやっと解放されるのです。


私たちはある意味そのことを経験するために今この瞬間を生きているのだということもできます。


そしてそれらの過去での経験やトラウマは決定的に今この瞬間に影響し、作用していますが、潜在意識や顕在意識にたとえそれが現れたとしてもなにも恐れることは有りません。


過去世を知ろうと知るまいと貴方は今この瞬間を確かに生きているという事実があるからです。


前回お話しした通り、今世と言うものはただ単に長い魂の道程の一部分なのであって、実は連綿と繋がっているのであり、過去世がどうであったかというようなことやトラウマやカルマは、今この瞬間と向き合い彼の肉体と魂で体現することによってのみそれらの呪縛からやっと解放されるのです。


ですから逆説的な見方をすると、カルマから解放されるという作業が、或る人にとっては実は新たなカルマを生み出しているということになるのかもしれない訳です。


人の人生には留年、落第という失敗は有りますが、魂の学校には決して退学というものはありません。


しかし転生というその人なりの学校のレベルに於いて、実に多くの人たちがまた新たな葛藤を作り出し、留年し、同じような人生を何度も繰り返しています。


人は何度も同じような人生を繰り返して、散々しつこく同じことを体験しながら、やっとのことでもう十分だと悟り、納得して次の新たな学びのステップに進むという道のりを歩むようです。


昨日久しぶりに、人生の葛藤を手放すということがどういうことなのかという事をやっと実践出来るようになったという魂の友人に会ってきましたが、彼女のモットーは一生懸命ではなく一瞬懸命なのだそうです。


ひたすら今を生きる、なんと素晴らしい言葉でしょうか。


それは今回のお話と完全に一致する言葉なのではないでしょうか。