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記紀以前の日本史を探す

古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

九鬼文書について簡単な考察


九鬼文書の研究は、6600円する高い買い物ではありますが、

以前からすごく気になっていました。


本には、九鬼家の歴史が書いていますが、

注目したのが、系図や系譜です。


最初の方に、九鬼家の系図が載っていますが、

「高御産霊神」→「天津兒屋根命」→「天押雲根命」→「天種子命」

と繋がっています。


「天押雲根命」の名の横に、「神武天皇元年」の記事があります。


そもそも、「神武天皇」と言う名は、大宝元年、つまり、701年以降に

淡海三船と言う人物が、名を付けたので、この時点では、

当たり前ですが、「神武天皇」ではなく「神日本磐余彥天皇元年」

と日本書紀を参考にするなら、当時としては正解だと思います。


ですが、ここはそこまで大事ではありません。


「天押雲根命」や「天種子命」が本当に、「神日本磐余彥天皇」もしくは、

「神倭伊波禮毘古命」の時代に、存在したのなら、時代が確定できます。


「天押雲根命」も「神武天皇(仮)」の時代に生きていたなら、

親である「天津兒屋根命」は、必然的に1世代前になるので、

問題がありますが、「是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」や

「彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊」の時代となります。


その1世代前は「高御産霊神」なので、「彥火火出見尊」や

「天津日高日子穗穗手見命」の時代となりそうです。


これによって、記紀の時代と比較すると、だいぶ後の「高御産霊神」から、

生まれたのが、後の「九鬼家」となります。


注意して欲しいのが、「高御産霊神、天津兒屋根命、天押雲根命」の

3世代は、音で考えるなら、他にもたくさんの表記があります。


でも、時代が異なるので、当然、別人となります。


特に、「天津兒屋根命」は「天兒屋命」や「天兒屋根命」と、

混同している人が多いと思います。


本の中でも、区別が付かないとしていますが、

自分は古代史を考えるのに、表記違いは別人として考えます。


親や兄弟姉妹、親戚の存在や時代背景が同じなのか?で後々、

同じと判断したら、その様に書くようにしようと思っています。


そもそも、表記違いが起きる背景として、先祖の音を取りたいが、

表記が同じだと、判別が付かないなどがあると思います。


なので、基本、表記が異なれば別人なのだと思います。


だから「天押雲根命」を「天押雲命」と混同するのだと思います。


一度、表記が異なるもの同士で、系図なり繋げて書いてみてください。


以外に表記が同じでも、時代背景が異なったりする事があります。


歴史の考え方


先程も書きましたが、表記違いと言うのは、神社の表記を見れば、

たくさんあることが分かります。


また、神社によっては、現在と過去で異なる祭神を祀っていたりします。


以前のブログにも、少し書きましたが、

歴史と言うのは、一方向の目線で成り立っていません。


だから、阿波風土記が過去に回収されたら、

それが日本の歴史の真実なんだと考えるわけです。


しかし、それは、阿波地方の風土記であって、

日本各地を網羅している訳ではないです。


他にも、動画のサムネイルで、

「古事記が全否定された」なんて書く人がいますが、

そもそも、古事記というのは、「阿麻(あま)の皇」の領有した、

「葦原中國」や「豐葦原水穗國」について書かれた歴史書です。


だから、その地域以外の場所については、関係が無ければ、

記事に書かれていなくて当然なのです。


そこを、「天皇」という目線でしか見ていないから、

他の情報を、嘘なんだとか思ってしまうのかも知れません。


特に「偽書」と言われる書物は、弾かれてしまった情報源として、

すごく重要な本だと思っています。


「偽書」の中でも、「和田文書」には「東日流六郡誌」と言う、

東北地方の歴史が載っていて、非常に参考になります。


この文書には、「耶馬台國」と言う名も登場し、

こちらこそ「やまたいこく」と読めることになります。


今回の、「九鬼家の系図」については、時間軸から考えて、

今後公開する、古事記第三章の範囲よりも、だいぶ後になるので、

たぶん、来年とかになりそうです。