自分にとって大事なもの、がんばってがんばってやっとみつけたものは
人にぱくられたくないものなのかな?
私はがんばってがんばって手に入れて、人に分け与えたいと思う。
きれいごとを言ってるようにしか見えない感はあるけど
人に分け与えることが生きる意味であって。
自分にとっての、自分の人生を強く良く生きることの本質はまだ
よくわからないけど
やっぱり「惜しみなく与える人であること」だと思うよ。
優しさって何かね、と考えることをこそテーマにしたい。

優しいって何かね?
人に与えることだけが優しいことではないけど
与えないのは優しいから、でありたい。
聖人になりたいわけではない…
優しさが聖人のすべてではないしできないこともやりたくないこともたくさんある。
「きちんとした人」にはなれないしなる意味も見いだせないし
常に人に対して誠実かというとそうでもないと思う。おいしいとこを持っていきたいと
思う。
自分は損したくないと思う。
それでも、人に対して優しくあることは一番に置いておきたくて
それと両立できないことに関しては自分の中で筋が通るまで考えるべきだと思う。

人を愛することは、自分を愛することとは必ずしも両立しないことではないから

とはいえ、もしかしたら人に分け与えたいと思うのは
私が本当に好きなものとか、本当に本当に努力してやっと手に入れたものが
実はないからなのかもしれない。

その意味でも、人の気持ちを受け止める努力をする自分であることが
この場合の「優しい」に当たると思ってる…

変わらなければならない。
自分を強く律することができなければと思う。
好きなものに対して素直でありたい。

自分とは正反対の人に憧れる。
自分のビジョンを明確に持って、自分の正しさを貫いて、
好きなものは譲らず、誰にも色目を使わないような。

それでも、優しくないと魅力的じゃないから。

逃げない。受け止める。
受け止めて、両手でただ包んであげたい。
次は、私の気持ちで、包んであげたい。
今の私はまだ、ただの器だから、次は、ふかふかのクッションと、
おいしいコーヒーを用意してあげられるように。
ひとの気持ちなんて絶対わからない。
顔からでも、状況からでも、性格からでも、推測はできるし、当たることもけっこう多いと思うけど
わかるわけない。
でもそれに甘えたらいみない。
わからなくてもわかるように必死に考えないといけないよ。
それが愛情だよ。。
自分のことが大事なのは当たり前で、表面だけのプライドみたいなので固められてて、
脊髄反射的に反論したり相手を傷つけたりすることもあるけど
それ減らしていかないと。
本当に守りたいものは特にないのに、表のポーズだけがちがちになってると
いつまでたっても中身は変わらない。
ひとに触れられることでしか変わらない。
自分の力だけではなんにも起こらない。
変わらないといけない。なぜならひとりでは幸せになれないから。
なんかループしてるけど、いいのだ

心をおーぷんに…とか激しく困難だけど
いままでヒントはたくさんもらってる、できることから始めるにしても、すでにできることが多すぎて追いつかないくらいだ

ひといきためて考える
いうべきことをきちんという
できるだけのものを見せる
見せてくれたらちゃんとみる
隠さない、なかったことにしない、ことばを抱きしめる


いま本当に人を愛しいと思った。
愛しむことの幸せよ。
感謝することの高揚感。
だからいつでも必死だわたしたちは。