夢にも種類があるのだと、半世紀が過ぎ、夢の多い暮らしを続けて発見できたかもしれない。

それはそうだと言う声が聞こえてきそうだが、私が言っているのは空を飛んだり、落下したり、そういった種類ではない。

 

一つは、浅い眠りで起こる記憶や感度をごちゃ混ぜにした、目覚めても残るのは内容ではなく、夢に振り回された頭の重さだけのもの。

 

二つ目は、一つ目よりは長尺であり、ストーリー性豊かであっても目覚めたあとは一つ目と変わらないもの。

 

三つ目は深い、睡眠のメカニズムからズレている、それとは別と思われる深さで見る物語。

目覚めたあとも記憶にあり、モノによってはかなり鮮明に長く記憶に残るもの。

 

四つ目は三つ目の深さと同じ場所なのか、別の深さなのか判明しないが他人が存在する夢になる。

自分だけの視点で世界を廻る夢の一、二、三とは異なり別の意思の存在を感じるもの。

三と四は場合によって混じるときがある。

私の場合混じった時ほど記憶に染みていると思う。

他人の意思が夢に影響を与えるのなら、夢は人間の超能力の可能性かもしれない。

意図してなのか無意識での事なのかそれを判別できる程、まだこの四つ目に遭遇した数が私には少ない。

長尺な物語であり、夢に目的のようなものを感じながらそのストーリーは進行していく。

序盤からの場合もあれば最後になってという事もある。

自分以外の登場人物の参加。輪郭があるもう一人の人物、眠りを越えて届く声、こう言って伝わるだろうか。

 

夢はその存在を認識できない古代から様々な学者や医師によって研究されている。

その不明瞭さは今でも結論がないまま。

 

夢を見ている時は、夢を認識できないまま起きて夢だったと気づくのが通常の夢というものだとある。

けれど、私は夢と認識していない夢をいくつ見たか、思い出せないほど数が少ないと思う。

夢と認識してみる夢は「明晰夢」と言うらしい。

だが明晰夢は夢を自由にコントロールできると言うが私はそんなことができた事はない。

どんなに拒否したいストーリーでもそのまま見るしかなかった。

 

夢が何かのお告げだという基盤があった時代、神学者トマス・アフィナスは夢の原因に精神的、肉体的、外界の影響、神の啓示を上げたという。先の三つはその時代から、又、多くの専門家が研究し考える原因と変わらないが「神の啓示」これも消えきれていない気がする。

対象は神かわからないが「こうである」と断定出来ない夢というものには不確かで現実的でないものが今も残っている。

私が上げた四つの種類、一と二はトマス博士の考える精神的、肉体的、外界の影響が原因と思う。

ただ、三と四の原因はそれとはズレている、異う、と思う。

本気で夢について研究している学者や医師の方々からすれば簡単で説明がつくものかもしれないけれど、断然面白いモノを求めている私としてはその見解を受けつけずに自身の見解を導きたいと思う。

 

自分の記憶にない遥か昔から謎とされる夢、それは我々人間だけでなく他生物も、そして植物も見るのではと聞く。

この惑星にある植物を眺めて過ごしてきた身とすれば彼らに意思があったと判っても驚きはしない。

 

彼女はその意思がこの惑星、地球にあるのだと信じていると言った。

大地に水に風に、そして植物たちに。

我々生物たちとは別の次元に生きるような植物。ある植物学者は人に気にも留められない雑草の一つ一つにも生き抜くための知恵があり、生き抜くために自分を変貌させてきたと言っていた。

彼らは彼らでこの地球と生きているのだろう。

植物が地球自身なのか、生物と同じようにそこに生まれたものなのかはわからない。

けれど私は彼女の意見を信じている。

何故なら、彼女が願う未来は美しいだろうと思うからだ。

植物に魅せられて生きてきた。専門家として生きるのではなくただ彼らを見ていたかった。

かった、か、これは哀しいな。だが、まだだ。

彼女が託してくれた樹があり、私は彼女の意見に賛同し地元を離れたのだ。

その美しい地球の、この惑星の意思を是非ともこの記憶に残し、彼女と共に、あの魅せられた姿よりも更なる姿を見届けたい。

 

妄想、非現実、良いじゃないか。

断然、その方が面白い。

 

 

2020年11月 山中玄