uihinaのブログ

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ただいま、大宮ファン
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無職になってから色々あり。

 

この時期に辞めた理由など考えたこともなかった。

 

単純に辞めさせて貰えなかった。

なんせ辞めさせてくださいと上司に伝えたのは、今年の1月だったと記憶している(実際、辞めたのは10月)

 

それから決算月までに(6月ね)問題を解決してみるが、そんなに簡単なことではないのは承知してもらいたいと言われる。

そりゃそうだ、「私が辞めるか、あちら様が辞めるか」と脅したのだから。

 

我ながら酷いことを言ったと思う。

 

でも悪者にもなりたくない、自分が辞めると言い訳のように逃げ道を作る。

ハッキリ逃げますと宣言。

なんてセコい人間なんだ、でも実際そうなんだと開き直ったのも事実。

だってそれであちら様が辞めたら、逆恨みされそうだ(あぁ、コワい。。。)

 

建前ももちろんある。

自分には仕事の荷が重すぎるので、やっていけない。

人を使う立場はやはり自分には向かない。

自分が動いて仕事をするほうが楽。

中間管理職は、嫌われてナンボだ。と思うのに上司は好かれてナンボだと要求。

コミュニケーションは苦手だが出来なくはない。が、その相反する要求に応えられるほど完璧な人間ではない。

 

 

最悪なことに人の心の機微に聡い。

普通だと思っていた感覚が、少々厄介なことにこの年になって気づく。

 

相手の感情を勝手に想像しているだけだが、それが自分にブレーキをかける。

そうなるとどうなるか、あちら様に風見鶏と言われる。

まぁ、言われて初めて気づいたよ、確かにそうだ。

 

だからと言って生まれてこのかた付き合ってきた性格は簡単には直らない。

知っているだろうか、会話している最中に自分から出た言葉が、

相手にどう聞こえて、どういう感情になるか、常にその一瞬で先読みしているのを。

 

気づいてやっと理解した。

仕事も無理だが、あちら様の子守りはもっと無理。

 

この性格が直らない限り、どこに行っても同じことの繰り返し。

だが、辞めることで今からは逃げられる。

そう思う事で自分を正当化。

 

だからあちらにざまーみろと言われるのか今も分からないが、今日現在では言ってやる。

 

就職出来たよ。

1か月の試験採用中だけど、年明けからもよろしくお願いしたいと言われた。

全然、分野も違うけどハッキリ言って社会的にはお堅い職業だけど会社という点ではあちら様よりまともだと思われる。

 

この時期に辞めたのにも意味があった。

 

職安に行ったその日に公開になった求人だった。

辞めて1か月ぐらいはのんびりしようと思ったのに父親が脳梗塞で倒れた。

辞めてたからこそ実家に帰れたし、不安な家族を支えれたと思う。

姉弟で両親の終活が出来た、良い機会に恵まれた。

まだまだ元気でいて欲しいが、終活できたことは姉弟では良かったと受けとめている。

そんなこんなで就職が決まった。

 

意味があったんだ、この時期に辞めたことに。

ある意味感謝だ、慰留してくれと言われたことに。

10か月も延ばしてくれたこと。

 

今じゃなかったらとか、タイミングとか、なんて後付けでどうにでもなる。

 

今を思うのは今だけ。

1秒先には死んでるかも。

だったら今だけが、本当。

 

過去は変えられない。でも今この瞬間に思う過去は前に思う過去とは異なる。

だったら過去は、変わって見えているはず。

だから過去は変わっている。

未来は変えられる。でも今を動かないなら未来も変わらない。

だから動け。働け。向かうのは終活。

 

今現在の気持ち。
今日この日は、解放感と不安。
逃げたよ、自分。
逃げ切れたのか、持ち越しただけなのか。
今の私には、不明。
 
ただただ、今を思う。
 
激動の2019年だ。
 

 

 

 

 

 

 

2019/10/10、机の整理完了。
2019/10/15、最後の出勤予定。

何年後かにこの選択で良かったと思える日がくるのか。

選択理論ならぬ、自身がした選択は正しかったのか。

それともあちらにざまーみろと言われるのか。

もしかしたら、ここを覗いている暇もないぐらい底辺で働いているのか。

このメモを書いてる今現在の私と、未来の私は、2019/10/10の気持ちと言う情報の過去をどう解釈するのか。

今現在の気持ち。
今日この日は、解放感と不安。
逃げたよ、自分。
逃げ切れたのか、持ち越しただけなのか。
今の私には、不明。

 

 

自分の気持ちを整理したいから、この1週間の自分の思いをメモしたいだけ。

訪れる日の悲しみに自分があの時、こうやって向き合ったんだと確認したいだけ。

ただの独り言。

 

 

 

 

別れはいつか訪れると常々思ってる。

それは、自分がいなくなる別れと自分以外の人との別れの2つしかないと考えてる。

 

人生で初めて人との別れを認識したのは中一の時。

 

田舎の学校で、たった18人の友達と小学6年間を過ごし、中一の冬に大切な友達と

の別れを経験。人生で初めて大切な仲間を失った瞬間。

 

 

 

高1の時、生まれてくるはずだった妹弟を失った。

 

忘れたくても忘れることが出来ない、自分が死ぬまで後悔し続ける出来事。

あの時、私は何も出来なかった。

その後悔が今も心のどこかに引っかかってる。

苦しくて気持ちを吐き出しても、誰かに慰めてもらっても、あなたに責任はない、

と言われてもこの後悔は消えることはない。

後悔を背負っていくこと。

それが私にできる唯一の事。

 

 

 

30歳の時、親戚の妹のように可愛がっていた子を失った。

 

今でもあの光景が、忘れることが出来ない。

隣の家に行けても持病の発作で倒れ、最後を迎えたであろうあの部屋には

近づくことすら出来ない。

 

何度、別れを重ねようが残される者の悲しみは一生消えることはないと自分は

知ってる。

時間は解決してくれない。

時間が与えてくれるものは、日常にその悲しみが沈んで見えなくなる。それだけ。

何かあるたびに沈んだはずの悲しみが表面に浮き上がってくる。

 

 

でも、

アラフォーの人生の中、祖父母との別れは違う。

天寿を全うし、別れを覚悟した別れには、悲しみよりもありがとう、ご苦労様で

した。とそう思えてる。

 

 

 

これから訪れるだろう、2020年12月31日に向けての別れは、後悔しない為の時間

だと思うことにしてる。

悲しい別れではなく、彼らは永遠にあの5人。

 

ありがとう・ご苦労様でした。

ゆっくり休んでね。

って言いたい。

 

何かあったら、誰か一人にピンチが訪れたら、きっと集まってくれる。

そう思いたい。

 

突然の別れにならないよう彼らなりの思いだと受けとめる。

 

残された者が、変わらない愛情を持ち続けることが出来たら少しは

別れをしなくちゃならなかった人たちは嬉しいかな?

 

私は、そんな自分を好きになれるかな?

 

初めて自分を許せるかな?

 

その時がきたら、

いつか笑ってまた再会 そう絶対。

って言いたい。

 

 

最後まで笑っていよう。