裁判官「これまでのお話しで、半分くらいは理解できました。残り半分は保留として、当法廷では、犯人が肉であれ心であれ、それを裁くことはできると思うのですが、それを霊魂といわれると、手の出しようがありません。
ぜひとも納得のゆく説明で、霊魂犯人説を論証してください」
心「論証はできませんが、なぜという説明はできるだけしてみたいと思います」.
心「人間が生きるということは、欲望を燃焼することで、その欲望の中に不倫も入っています。そのことに、霊魂論的には善悪はありません。なぜ燃焼しなければいけないのかというと、燃焼することは苦を経験することになるからです。人は苦を経験して初めて、一つ階段を上ることができます」
裁判官「人は苦しむために生きているってことのようですが、承服しかねます」
心「私が言うと、説得力はありませんが、お釈迦様の悟りの始まりは、人生が四苦八苦(一切皆苦)だってところからです。生きるとは苦しむこと也というのは、仏教思想の根本にあることです。
算命学の偉大なところは^^苦しみを辛いとか嫌なこととしないところなのです。
仏教のように、煩悩を断てば苦しみも消えるという悟りではなく、苦しみが生きる意味だってことを説いているのです」
心「生きることがなぜ苦しみなのか、これがその理由です。『人間に与えられた本質』そこにたどり着くためです。幸不幸を感じるのは、本質に合っているかいないかってことを知る目安ってことです」
『自己の本質として、商人あるいは実業家の質を有し、人間の交流の中に喜びを感じる人がいて、その人が何等かの環境なり他の力によって、孤独な研究や学問探求を強いられれば、その状態の中では不運を感じることになるわけです』
自分の本質(与えられた役割)と違う方向を歩んでいると、人は四苦八苦することになります。そして、ほとんどの人がそうであるということは、人は生きてみないと自分の本質が何であるのかわからないということでもあります。
単に知ればいいのであれば、算命学の占い師にお願いしてみてもらえばいいわけです。あなたの本質も役割も教えてくれるでしょう。
裁判官はおそらく、それがあなたの適職です! といわれると思います。
でも、それではダメなんですよね。そこにたどり着くために今、この裁判で苦労しているのかもしれません^^」
裁判官「わかりませんね。適職(本質)を生きているなら、不運を感じることなく生きられるってことじゃないのですか? それは算命学があてにならないってことですか?」
心『とんでもない。そのことに間違いはありません。問題は本質のほうなんです。
天に与えられた役割を職業として生きることで完遂するなら、それでいいのですが、ここでこれまで論じてきた霊魂たちが登場することになります』
心「つまり、人間の人生が一切皆苦になるのは、ここに(誕生した時の本質)たどり着くためにはそれが必要ってことです。
”誕生の時の本質” とは、算命学のいう「宿命」なのですが、それだけなら、算命学万歳なのですが、そこにこれまで語ってきた霊魂(宿核)が絡むことによって、算命理論通りには行かない部分が出てきます。
自分の本質は、誕生日にあることは確かなのですが、、、、
その本質には、生きてみないとたどり着けないところに問題があります。
それでも算命学の占いはその手助けをしてくれますが、それプラス、そこに向かって苦労を経験する必要があるってことです」
裁判官「コンコンコン・・・いいたいことはわかってきましたが、納得したら、人生は苦しむことになってしまいますよね。
そうなると、「苦」とは何かという、また新たな疑問が生じてきます。
だって、人生には楽しいことだっていっぱいあるじゃないですか!
次回公判では、人生の「苦」について説明してください。」
*『 』内、「本+画像の言葉」は、すべて「原典算命学大系」からの引用です。
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