「なみだふるはな」石牟礼道子、藤原新也
原発問題と水俣病って似てるよねっていう、そういう対談。
どういう点か。
(1) 国にとって非常に大切なことが行われている
(2) 国は起こったことをすぐに認めない
(3) 実際の被害を受けたのは国民の一部
(4) でも、すぐに止めることもできない。だって国民全員の生活の豊かさを支えるものだから。
石牟礼さんは水俣病をそばで見ていた人。
「あのときはね。。。」って実際に見ていた人が語るのを読むのは新鮮だった。
ボクは「過去の事故(公害)」として、社会の教科書に載っているにしか知らないから。
ちょっと驚いたのは「水俣病のときのように被害にあった人が差別されてほしくない」という発言。
例えば、放射能を大量に浴びた人がそばにいてもオレは別に気にしないと思うけどな。
しょうがないよねって思うだけ。
でも水俣病に罹った方と対面して何も違和感を感じずに接することができるかというと、
ボクにはそれはできないと思う。ごめんなさい
やっぱり歴史の教科書で見た写真が衝撃的でそのイメージがある。
今後、放射能を浴びた人に差別的な態度がとられる可能性ってあるんだろうか。
そう考えるとヤダね。怖いね。
『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』 高橋源一郎
エッセイ。考えさせられる。
ボクが何か書いてもヤボいので、ちょこちょこ引用します。
引用
ひとたび、何かが起こるまで、知らないことはたくさんある。この世界には、おそらく、数えきれぬほどの「問題」があって、ぼくたちは、そのすべてを知るはずもない。だからこそ、安寧に暮らせるのかもしれない。[中略]そして、2011年3月11日がやって来た。その日がなければ、考えることもなかったことを考える日々が始まったのである。
引用
いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を熱く語ります。それは確かに「正しい」のです。
引用
「正しい」という理由だけで、なにかをするべきではありません。「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。
あと、いいなと思ったのはこの紹介。
鉢呂前経産省が、原発事故の後、住民が避難して無人となった町の様子を見て「死の町という形だった」といって批判され、たちまち辞任に追い込まれた事件に対して。
引用
この「言葉狩り」としかいいようがない事件の後、東京新聞は社説でこう訴えた。
「自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか」
東京新聞の社説アツいぜって ボクは思った。
ふつうに仕事してても、こういうこと考えないからね。
時にこういう本を読むのもいいかと。
でも、あまり深刻になりすぎてもよくないかと。