怒涛の日々とはこんなことを言うのか…
今年はそう思わずにはいられない一年だったように思います。
10月以降は特に信じられないほどの用事が重なり、入浴中はもちろん、食事をしながら寝てしまうといったことも多々ありました。
そんなこんなで気がつけば冬至を過ぎ、年末になっているではありませんか…
伯父が長年住んでいた家を引き払うことになり、
その手伝い(と言うより家の中にある物みんな持ってけ、てなことで遠慮なくいただいただけなのですが笑)をしたり、
ここ数年放置していた千葉の家の掃除をしたりと秋以降は片付けに明け暮れる日々といった具合でしたが、そんな中で痛切に思ったことがあります。
それは日々、人はこんなにも「扱いきれない物と埃に囲まれて」暮らしているのか、ということ。
私自身、窓のサン、電気の傘、テレビの裏のケーブルやカーテンレールの上など、
普段からかなり細かく掃除をする方だと自負していましたが、
見渡してみればあれやこれや発見してしまう有様で、
天井の隅や壁、壁にかけた時計や額の裏など、ただでさえ少なかった睡眠時間を削り片っ端から払う、掃く、拭く、に明け暮れる数ヶ月と相成った訳ですが…
人は「物」に疲弊する。
これは本当ですね。
ハンドルしきれない物たちとそこに積もった埃は、精神にも身体にも決していいものではありません。
物や埃を溜めない。
それはとても簡単なこと。
日々のほんの小さな行動があればいいのです。
潔く、清く。
手入れの行き届いた物や家を慈しみながらシンプルな暮らしをしたいと改めて思ったこの数ヶ月でした。
とは言え、伯父の家から調達した物が我が家、そして千葉の家にだいぶ増えました(笑)
どれも気に入っており暮らしに新鮮さとわくわく感を与えてくれていますが、
その中でも、カリモクのオットマンとカゴ編みのゴミ箱は、他の物とは違う特別な感覚を覚えます。
と言うのも、伯父の家での思い出を辿った時に真っ先に思い浮かぶ物がこの二つだったからなのですが…
子どもの頃、私はなぜかその椅子とゴミ箱にある不思議な感覚を抱いていました。
それはどのように言葉にしていいのかわからないようなものなのですが、
あえて言えば、気づくとなぜか眺めている、そんな感覚だったように思います。
椅子は他にもあるのに、そのオットマンに誰かが座っていたり足を乗せていたりするとガッカリとしてしまって、
ゴミ箱はゴミ箱で、ゴミを捨てる訳ではないのに行くと必ず探し、見つけると安心していたのです。
そんな感覚を持っていたことはすっかり忘れていたし、
今回伯父の家でこの二つを見つけた時も特に何かを思った訳ではなかったのですが、
今、手元にあるその二つの物を見て、あの頃の感覚を思い出し、ただただ、不思議な気持ちになっているのです。
もしかすると遠い昔、「私たちはいつかあなたの所へ行くよ」
そんなビームを私に出していたのかも知れないな、なんて思ってみたりして。
大切にするよ。
年の瀬に、Sinatraの『That’s life
伯父の家に、捧ぐ。
Life cannot be neatly organized all at once.
Still ,what you cherish can be tenderly cared for,day by day—
wherever your life may unfold.
よいお年を。

