先週、友人の引っ越しの手伝いをしました。
10年ほど前からの付き合いですが、仕事の関係で少し離れた街で新たな人生をスタートさせるべく、レンタカーの2tトラックに2人で家財道具を載せて2日で2往復、見事に2が揃いましたが…朝から夜中までかかりながらも無事に引っ越しは完了しました。
袖振り合うも他生の縁と言いますが、その友人と初めて会った時、何だか初めて会った気がしないなと思ったものです。
人間は何度も何度も生まれ変わっているので、それはきっと過去世からの縁なのでしょう。
この先の人生でも、お互いその縁があるならばまた会うだろうと思うと、寂しい思いにはなりませんね。
それよりも、新たなチャレンジが成功する事を祈りながら、固く握手をして別れました。
春は別れの季節であり、また出会いの季節でもあります。
一生の間で出会う人の中で、親友と呼べる人、恋人や伴侶になる人、人生の師となる人など、その存在によって人生が大きく影響を受ける出会いというものは誰しもあるはずです。
そう言った人との出会いは、そんなに大勢ではないでしょう。
だからこそ、与えられた縁を大切にしていきたいと思うのです。
僕自身もこれまでに沢山の出会いを経験しながら、自分にとって特別な存在となる人との出会いに恵まれたお陰でここまで歩んで来る事が出来ました。
タイでムエタイの練習をしていた19歳の時、現地のジムでお世話になった日本人のM氏とは、その4年後、人生に迷ってアジアをふらついていた時に再びタイで出会い、人生の道標となって僕に生きる指針を示してくれました。
彼とは途中音信が途絶えた時期もありましたが、昨年、18年振りに日本で再会を果たしました。
そのタイに行く資金を稼ぐためにアルバイトをしていた頃、M氏と出会う半年前にアルバイト先で出会ったM君とは、お互い若く尖っていた事もあり、初めて交わされた会話は、
『テメやんのかコォルゥァ!』
『あ゛ーーつ??』
でした。
憎悪で幕を開けた縁はやがて深い友情へと昇華し、親友となった僕達は共にキックボクシングのジムで汗を流し、遠く離れて暮らしている現在でも無二の親友であり続けています。
また、僕がステージで愛用しているベースギターは、15年程前に彼がプレゼントしてくれたものでした。
本当に縁のある人とは、老若男女問わず、どんなに離れていようとも必ず出会い、生涯の友やパートナーになるようになっている。そう思います。
引き寄せの法則というものもありますし、僕も興味関心のある分野で、日々そのような法則によって物事が展開されているのは疑う余地がありません。
しかし、特別な出会い、家族や生涯の友や伴侶などとの出会いは、その法則をも超えたところの力が働いていると僕は信じています。
それは引き寄せたのではなく、人生にどうしても必要な存在として与えられたと思うのです。
だから、大切なんです。
もちろん、僕も不完全な、道の途上にある人間ですから、このようないい関係ばかりではなく、沢山の人を傷つけたし、傷つきもしたし、人を憎んだり憎まれたりもしてきました。
好きな人もいれば嫌いな人もあり、僕を好きな人も嫌いな人もあり、合う人合わない人、当然います。
基本的には好き嫌いに関係なく、人それぞれの個性や考えを尊重したいと考えていますが、人はロボットではないので【1+1=2】とはなかなかいかない事も多く、あらぬ誤解や感情のもつれを招いてしまうケースも幾度となくありました。
それで疎遠になってしまった人も何人もいます。
自分の至らなさが原因ならば申し訳ないと思います。ただ、それもまた縁がなかったという事なのだと解釈するようにしています。
“本物の縁”ならば、切っても切れない強い絆がそうさせないと考えているからです。
そういう意味では、人や世間におもねってまで生きようとはさらさら思わないし、自分はありのままの自分として生きて、そしてそんな自分を受け入れて愛することが、また他者への愛に結びついていくものだと信じています。
犬が猫にはなれないように、自分は自分でしかないので、その自分をどこまで高めて成長させて、どれだけ世界に貢献できるかが、この世に生を受けた者の使命でもあると思っています。
偏屈かも知れませんが、それでも変わらず好意を示してくれ、理解をしてくれ、力をくれる人達が存在する。
感謝せずにはいられません。
M氏やM君だけでなく、親友のようであり良き理解者、また相談相手でもある妹。
しょっちゅう電話をしてきては、『疲れたから癒してよ』というので、下ネタの波状攻撃を一時間ほど浴びせ、『どうだ、癒されただろう』と言うと、『ほんとに馬鹿ねえ』と呆れながらも、また懲りずに電話を掛けてくるS嬢。
お前のベースじゃなきゃ駄目なんだと言ってくれるバンドのメンバー。
僕をこの世に送り出してくれた両親…。
こう言った人達によって生かされているのが僕であり、もし僕が世界に一人だけの住人だったなら、たとえ衣食住に困らないとしても、おそらく一年も生きられないでしょう。
人間は物理的条件だけで生きられるものではなく、自分自身の存在価値を見出し、夢や希望を持ち、愛を発揮することで生きる情熱が湧いてくる、とても精神的な生き物だと思います。
それには他者の存在なくして生きる意欲も何もあったものではない。だからこそ、僕もまた少しでも誰かにとっての喜びとなるような人間でありたいと、そんなふうに思っています。
引っ越し作業を業者ではなく僕に依頼してくれた友人Fのお陰で、改めて人との縁について振り返り、感謝する機会を与えてもらいました。
さて、これからまたどんな素晴らしい出会いがあるでしょう。とてもわくわくしながら毎日を過ごしています。
