昨年の12月、ちょうど1年前に諏訪大社四社巡りをしました。

 

 

諏訪湖の御神渡りは、話しには聞いたことがありましたが、湖そのものを見るのは初めてです。空の青と、それを反射する湖、街のあちこちから出ている白い煙がとても美しく感じました。

 

諏訪大社下社秋宮

諏訪大社下社春宮

諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社本宮

 

の順で参拝しました。

 

 

 

諏訪と言えば、古事記の国譲りのシーン。本宮の祭神はタケミナカタの神様(建御名方神)。 タケミナカタの神は、果敢にも武御雷神(たけみかづちのかみ)に力比べを挑み、両腕をもぎ取られてしまい、諏訪の地に退いたとされています。

 

 

諸説ありますが、その後も生かされていたとは到底思えず、自分の考えでは、タケミナカタは殺されてしまったのだと思います。大国主(オオクニヌシ)も、出雲の大社と引き換え(交換条件)に、命を奪われ葬られたのだと考えています。

 

 

さて、7年に一度、行われる御柱祭では、宝殿の造り替え、御柱を選び、境内に建てる御神事が行われます。御柱となるのは樹齢150年、17メートルを超える16本のモミの大木。それをひき出し、7年毎、諏訪大社の社殿の四隅に建てるそうです。

 

 

最初に参拝した下社秋宮では、法被(はっぴ)とヘルメットを着用した氏子(うじこ)の青年団の方々が、境内にあるまっすぐなモミの巨木を選んで何やら計測しており、御柱祭で男性たちが猛々しく跨り、山の斜面から滑り降りる御柱祭で使用される柱になるのかな、などと考えていました。

 

 

 

モミを切り落とす作業を考えると、ついつい、「モミ=切断されたタケミナカタの両手」とリンクしてしまいます。切り倒された御柱には、本当にそういう意味合いがあるのかもしれません。各社殿の四隅に建てられた御柱は、本当にすごい存在感とパワーで、4つの柱で境内にぐるりと結界が張られていることは明らかに分かります。

 

 

他にも、春宮の「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」には、ものすごいパワーを感じました。岡本太郎氏が絶賛したのがうなずける独特なデザインの石造ですが、2メートルもある石造の前に立った時、軽いめまいがしました。自分にとって、めまいが起こるのは、宇宙由来のパワーのことが多いのです。姿形からして、これ、地球外のエネルギーじゃないの?と感じてしまいました。

 

 

四社の最後に訪れた上社本宮。夕方4時を過ぎていたと記憶していますが、日が暮れかかっており、ひんやり張り詰めたような御神気が際立っていました。社殿の屋根に生えたコケが歴史を感じさせます。

 

社務所でお土産として購入した鈴。デスクの鍵にくくり付けていますが、カバンから取り出すと、鈴の音が空間に響き渡り、高波動で空間全体を浄化してくれているようでいつも助かっています。

 

 

日々、寒さが厳しくなるにつれ、諏訪湖や諏訪四社巡りが恋しくなる今日この頃です。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。