ニッポン放送、毎週20:30~21:00に放送されているラジオマガジン「登龍門」。
司会は、HANSUKE(半沢龍之介)さんと、前島花音さん。

そこにゲスト出演したMay J.さんが、自らのこれまでの軌跡について語る。


幼い頃からディズニー好きだったMay J.さん。当時は、VHSだったがそのテープが擦切れるほど何百回と観ていたらしい。・・って、知ってますが。(笑)

その中で、May J.さんに特に影響を与えたのが、最後に流れてくるエンドソング。

「セリーヌ・ディオン」などが歌っているバージョンが好きで、ずっと聴いていたらしい。

それが、「Let It Go」の「エンドソング(主題歌)」を歌うことに繋がったわけですね。(^_-)-☆

そのMay J.さんに、ディズニーのプリンセスで、自分が「一番成り切りたいのは?」と質問するHANSUKEさん。

「プリンセスには、あんまり憧れていなかった」というMay J.さんだが、強いてあげるとすると、ディズニー映画『アラジン』の「ジャスミン」なのだとか。

それというのも、May J.さんのお母さんは、イランの人なので、同じ中東を扱った、この『アラジン』に親近感を感じて居たことがあるらしい。

それに、「ジャスミン」は、「芯の強い女性」でしたからね。(^^♪
それに憧れていたのも納得です。(^_-)-☆

May J.さんが、歌うことを勉強したのは、8歳の時。

これもよく話してくれることですが、「当時、アニーが好きで観に行っていた」May J.さん。

子役の子達が出す、通った歌声に、自分もあんな風に歌いたいと思ったらしい。

そして、「(子役達が)みんなオペラを学んでいた」ということを知り、自分も、オペラを習い始めたんでしたね。(^_-)-☆

HANSUKEさんによると、『アニー』のオーディションには、1000人くらいの申し込み者がいるらしい。

May J.さんに刺激を与えるには、それくらいでないとね。(^_-)-☆

刺激を受けて、May J.さんが8歳で始めたオペラ。

「父が一番応援してくれた」とMay Jさん。

「先生を見つけてくれたり、送り迎えをしてくれたり」したのだとか。

因みに、お父さん。May J.さんのために、さり気なく「宇多田ヒカル」さんのCDを置いて、自然と聞くようにするなど、いろいろ考えていらっしゃいましたね。(^_-)-☆

May J.さんやHANSUKEさんの話を聴いて、前島さん。「夢を叶えるためには、周りを巻き込む熱も大事」だと言ってましたが、これは大切なことですね。(^^♪

プロの歌手になるために、どういうステップを踏んでいたのか、質問されたMay J.さん。

そのことについて、「当時は、こうやりたい、こうなりたいを声に出して」いたことを、話してくれましたね。(^_-)-☆

「言霊の力」じゃないですが、「言い切った時に、支援しやすい」とHANSUKEさん。

声に出したことで、周りもそれに対し、支援しやすくなるとも。

その通りですね。(^^♪)

声を上げることで、周りも期待してくる。

そうなれば、ピグマリオン効果も生み出しやすい。

自己暗示にもなりますね。

自分は、歌手になるってね。(^_-)-☆

May J.さんは、歌手になるために、「オーディション」を受けてますが、これも、お父さんが探してくれたんでしたね。(^_-)-☆

「オーディションテープも撮ってくれて」、それをレコード会社に送ってくれたりと一切をやってくれたらしい。(^^♪

それがきっかけで、デビューが決まったのが14歳。

とは言え、当時の学校では、活動が禁止だったため、結局、アメリカンスクールに通うことに。

そのために、「猛勉強!!」したらしい。

この話も、May J.さんがよく話してくれることですが、「母が外国人で、英語の先生」なので、小さい頃から、「家に帰ると、そのクラスに自分もお邪魔していた」らしい。(^^♪

ということで、「日常会話」は出来たものの、「専門的な知識」に関するものは、日常会話程度では間に合わない。

真面目なMay J.さんのこと、真剣に勉強したんだろうな。(^_-)-☆

こうして、「教育環境が抜群」だったMay J.さんも、実際にデビューをしてから、大変な苦労を味わうことになる。

当時のMay J.さんにとっては、「デビューがゴール」だった。

つまり、デビューさえすれば、CDが売れてオリコンのトップテンに入り、ライブも盛り上がると思っていたらしい。(笑)

もっとも、May J.さんの実力を以てすれば、そう思うのも無理からぬ事。(^^ゞ

でも、デビューして、すぐに、現実とのギャップを、思い知らされることになる。

この話も、良く話してくれますね。(^^♪

デビューして直ぐの頃は、ライブの盛り上げ方も知らず、MCも出来無かったために、
「お客さんも、ぽかーん」という状態だったと。(^^;💦💦

以前、この話を最初に聴いた時、「May J.さんにも、こんな時があったんだ!!」とすっかりと驚いてしまった自分。😳

でも、それって、ぽかーんとしてたんじゃ無くて、凄い歌声に驚いて度肝を抜かれてたんじゃあ・・。😏(笑)

14歳当時の歌声を聴かせても貰ってますが、これは衝撃の歌声でした。(#^^#)(#^^#)(#^^#)

歌の上手い小学生や中学生などが、テレビで騒がれることがありますが、あなたは、あれとは別格です。次元が違う。(#^^#)(#^^#)(#^^#)

これが、14歳の歌声?
信じられない思いでしたよ。🤩💃💖🌹🌹🌹🌹🌹

その歌声で受けなかったとしたら、客層が違うんだろうと思います。

ノリノリ、アゲアゲで、わーわーやる、そんな場所だったんじゃ無いですか?

May J.さんの話を聴く度に、そんな風に思ってしまいますね。(^^ゞ

とは言え、当時のこと。本当は、どうだったのか、知るよしもありませんが。(^^;

ただ言えるのは、それはあなたの歌声の制では無いということですね。(^_-)-☆
それは、14歳のことの歌声を聴いているから、断言できますよ。(^_^)v

こうして、想像と違う現実の中で、苦労しながらも、May J.さんが夢を諦めなかった理由。それは、「一人でも、楽しみにしてるよ。応援してるよ。という人がいたから」だとか。

「頑張り続けていれば、誰かが観ていてくれる」とも。(^^♪)

HANSUKEさん。「今日放送を聴いているファンの方は、私のことかな?と思っているかも知れない」と話してましたが、よく分かりましたね。(笑)

それは、私の事かな?(笑)


そのMay J.さんの運命が大きく変わったきっかけは、2012年くらいに、カラオケの採点番組に出たことだった。

正直な話、「歌手として、採点されるのは嫌」だったが、、これしかないとカラオケに行って練習していたというMay J.さん。

この「仕分け」。最終的には、「26連勝」まで行きましたが、あの時のプレッシャーは相当な物だったでしょうね。

番組は、1ヶ月に2~3回放送され、その間に応援してくれる人も増えてきたころ、ディズニーの日本のスタッフの方が、この番組を観て、May J.さんの歌声に注目してくれたらしい。

それが、あの「Let It Go」のエンドソングを歌うことに繋がったのだから、世の中、何が幸いするか分からない。(^^♪

「Let It Go」を歌う人選を行っていた時、その条件として挙げられていたのは次の点だったのだとか。

1.日本語英語の両方で歌えること。
2,イディナメンゼルのように、パワフルな地声で歌える人。

そして、「この曲を聴いたときには、とんでもなく難しい曲」だと思ったとMay J.さんは笑って言う。

何をおっしゃるやら。その「Let It Go」にさらに連続する2つの地声張上のロングトーンを入れて歌ったのは誰だったっけ?(笑)

あの歌声を聴かせて貰う度に、ホント、溶けてましたよ。(^_-)-☆

この「Let It Go」で大ブレイクしたMay J.さんでしたが、映画が日本に上陸する前は、当然のことながら、誰もこの曲のことを知らない。

ディズニーのコアなファンが集まるイベントで、「英語版を歌って欲しい」と言われてうたったものの、映画自体が公開されていなかったので、当時、反応が分からなかったというMay J.さん。。

みんなポカンとしていたとか。(笑)

そんな経緯をたどりながらも、May J.さんが歌う「Let It Go」は、瞬く間に日本中を席捲することに!!

「『Let It Go』に、みんながどんなに力づけられたか」と前島さん。(^^♪
本当に頑張りましたよね。May J.さん。(^_-)-☆

あなたの頑張りは、人々に勇気を与えたはず!!(#^^#)(#^^#)(#^^#)

番組最後には、昨年末にリリースしたアルバム『Silver Lining』から「Psycho」が流されたが、その後のMCには驚きました。

な、何と。
この。「Psycho」が今月にシングルルとしてリリースされる!?
「ミュージックビデオ」も作られているのだとか。(#^^#)(#^^#)(#^^#)

全く、いきなりの爆弾発言でしたよ。May J.さん。(^_-)-☆❤️❤️