それから1999年6月頃までは一進一退のコンディションでした。
この年の6月にずっと恐れていたことが現実となって私の深いところに突きつけられました。
実家で一緒に暮らしていた猫が1年間の闘病の末死にました。
私はこの時大学生で、名古屋におりましたが、幸いにも看取ることができました。
小さい頃から家族とは自分が思ったり、感じたりしたことを話すことはありませんでしたし、話したとしても勉強や成績や習い事のことでしたので、その猫は、私にとって唯一安心できる居場所であり、また私の理解者でした。
離れていても私が人間らしく在ることを助けてくれるような大切な大切な存在だった。
お葬式の次の日にはまた名古屋に戻り、毎日猫の写真に花を手向けては泣いていました。
だけど、一方で猫が本当に死んだのか、いなくなったのかが今ひとつ実感が湧きにくく、お葬式のことを思い浮かべて、“もういないんだ”と必死に自分言い聞かせてました。
1週間くらいすると、涙が出なくなり、頭が重たくて、変にぼーっとしていました。
人とかかわるのも一層苦痛になり、「どうせ誰も分かっちゃくれない」と周囲を責めながら、ひとりで海に行って、ひとりで映画を観に 行くなどして過ごしてましたよ。
つづく。。
この年の6月にずっと恐れていたことが現実となって私の深いところに突きつけられました。
実家で一緒に暮らしていた猫が1年間の闘病の末死にました。
私はこの時大学生で、名古屋におりましたが、幸いにも看取ることができました。
小さい頃から家族とは自分が思ったり、感じたりしたことを話すことはありませんでしたし、話したとしても勉強や成績や習い事のことでしたので、その猫は、私にとって唯一安心できる居場所であり、また私の理解者でした。
離れていても私が人間らしく在ることを助けてくれるような大切な大切な存在だった。
お葬式の次の日にはまた名古屋に戻り、毎日猫の写真に花を手向けては泣いていました。
だけど、一方で猫が本当に死んだのか、いなくなったのかが今ひとつ実感が湧きにくく、お葬式のことを思い浮かべて、“もういないんだ”と必死に自分言い聞かせてました。
1週間くらいすると、涙が出なくなり、頭が重たくて、変にぼーっとしていました。
人とかかわるのも一層苦痛になり、「どうせ誰も分かっちゃくれない」と周囲を責めながら、ひとりで海に行って、ひとりで映画を観に 行くなどして過ごしてましたよ。
つづく。。