清けき天(そら)に その六 ~函館旅行記2017~ | 雪の上に照れる月夜に梅の花

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雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

春と共に戦がやってきました。
 

四月九日

ついに新政府軍が江差の北側の乙部に上陸します。

 

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「北海道夜明けの地」か……。なんか複雑な気分だなぁ。

 

写真がイマイチで読みにくいですが。
この乙部の村民の協力が官軍の力になったとか。

 

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旧幕府軍は地元民に嫌われていたのかなぁ~。

まあ、好かれていたとも思わないけども。

 

新政府軍は江差を守っていた小隊と戦い敗走させると、二股口(函館→大野→二股→厚沢部の江差街道)、海岸線を通る松前の二部隊に分かれて進軍を開始します。

 

 

五稜郭では数日前に官軍到来の情報をキャッチしており、この日、既に土方さんは二股口に向かって出陣しました。

 

この日の夜、市渡村に宿陣、側近に語った言葉があります。(『函館戦記』より)

「我が兵は限りあるも、官軍は限りなし。一旦の勝ち有りといえども、その終には必ず敗れんこと、鄙夫(ひふ…身分の低い男の意)すらこれを知れり。然るに吾れ任せられて敗れなば則ち武夫の恥なり。身を以てこれに殉ずるのみ」

 

薄桜鬼の土方さん風に訳してみると……

 

「俺たちの兵は数が限られてるがあいつらは限りがねえ。いったん勝ったとしても最後にゃ必ず負けちまうことは莫迦も承知だ。だがな、俺に任されたからにゃ、負けるのは武士の恥。命懸けで戦うのみさ」

 

こんな感じ?

 

ということで、四月十三日、ついに第一次二股口戦の16時間に及ぶ激闘が開始されます。

 

 

さて二股口です。

現在の江差⇔函館を結ぶ227号線沿い、函館から江差に向かって2キロほど行ったところの右手側に「二股口古戦場」という小さな木の看板が立っています。

 

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舗装された小さなわき道みたいになっていて、小さな車だと途中まで入れる感じ。

 

でもこれ、四年前はこうだったんですよ。

 

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何故だろう。木の看板の下の方が腐ってきたからだろうか?

随分短くなってしまっています。

明らかに同じ看板を短くして埋めてますよね。

短くなったのと、隣にあった黄色い矢印が今は裏を向いてしまっているので、以前よりものすごくわかりにくくなりました。
特にここ、カーブなんです。
車の量はたいしたことはないのですが、みんなすごくスピード出してくるので流れに乗っていると見落としそうになります。

この前後200メートルくらいに、多分冬場にチェーンの脱着なんかをするための場所的な所があるので、そこに車を停められます。


そして、実はこの道の奥は、水道局の無人の施設みたいなのがあります。

多分、そのために道を舗装してきれいにしたんだと思う。

 

しかし……。

 

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ボロボロの看板。なんて書いてあるのかもう読めない。

これの四年前の姿がこちら。

 

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昔、大野町。今、新幹線が出来て合併して北斗市。

もうちょっとなんとかしてもらえないかな、この看板(´;ω;`)ウゥゥ

悲しすぎるよ。

 

 

本当はこの奥の山を登ると塹壕跡なんかも残っていて、上の方からは官軍の陣地跡が丸見えだったりするらしいのですが、そこに行くには山登りの恰好が望ましいのと、このあたりクマが出るので、素人だけでそこまで登るのは危険らしいので、注意です。

 

でも、ほんとにショック。

もう少しちゃんと残してほしい。悲しすぎるわ。

 

北斗市さん、お願いしますよ。

 

 

さて、官軍を退けた土方さん。

あの有名な、兵に一杯ずつお酒をふるまう話の場面もここですね~。


そして土方さんは一旦五稜郭に帰ると、市村鉄之助に刀二本と遺品を持たせて箱館を脱出させたのでした。

土方さんの「我が兵は限りあるも……」の言葉を知ると、土方さんが市村に遺品を持たせて落ち延びさせたのもなんだか納得です。

 

既に外国人にも避難勧告が出ていて、そして旧幕府軍についてきた数人の大名も内地の方に落ち延びさせています。

 

いかに負けるか。

ある意味、負ける準備をもし始めていた旧幕府軍だったのではないかと思います。

 

 

そして四月二十三日、第二次二股口戦が勃発。

 

今回も二股口は陥ちない。

約一週間にわたって死守するも、二十八日には海岸線側の木古内が破られ、新政府軍は矢不来まで迫った。

木古内の戦いでは伊庭八郎が胸を撃たれて重傷になります。

二十九日、榎本さんから土方さんに二股口撤収命令が出ました。

五稜郭と二股口が分断され、二股口軍が孤立してしまう恐れがあったからです。

 

 

土方さんが武士の誇りをかけて護った二股口。

ええ。護りきりましたよ。

地の利があったとはいえ、この二股口戦は旧式銃が実戦で新式銃に勝った唯一の戦いとしても知られているようです。

 

 

五月に月が替わると、ブリュネら榎本軍についてきたフランス人たちも自国の船に避難。

 

 

最後の「その時」は目の前に近づいていました。