探し物からひとつかみ!教授応援企画(9) カクトウギセッション
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教授、坂本龍一さん、誕生日おめでとうございます。
本日は教授のソロアルバム『12』の発売日でもあります。
自分はまだ『12』が手元に無いですが、入手したら、いずれまたBlog記事にしようと思っています。
前作『async』から6年も経つんですね。
でも、この期間、サントラとかの沢山の教授の新譜は発売されてますし、
Corneliusやデヴィッド・シルヴィアンが参加したトリビュート盤もありました。
昨年末は教授の配信、Ryuichi Sakamoto Playing Piano 2022もありました。
体力の事もあり一曲ずつの録画でした。
教授のお身体の具合はとても心配です。
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今回のBlog記事に関して、
幸宏さんが亡くなられたというニュースを知るよりもかなり前から準備していたものになります。
教授の誕生日の約6日前に幸宏さんが亡くなられて、個人的には、今、とても複雑な気持ちです。
教授応援企画の10曲を選ぶというのは、決めていたことですし、教授を応援する気持ちは変わらないので、ちゃんとやろうと思っています。
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探し物からひとつかみ!
教授応援企画(9)
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今回、選んだ曲を最初に聴いたのはTVのプロレス中継でした。
この曲が教授の曲だと認識したのは、この曲が収録されたセッションアルバムを聴いた時。
おそらく、プロレスで使われてた時期はアルバム発売よりも後なのではないかと思われます。
また、自分がこのアルバムを聴いたのはアルバム発売時ではないので、かなり後になります。
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1979年6月21日発売
アルバム収録曲、
「THEMA FOR KAKUTOUGI」
作曲・編曲:坂本龍一
時期としては、まさにフュージョンの時代といいますか、
YMOは結成されていたけど、まだ2ndアルバム『ソリッドステイトサヴァイバー』(79年9月25日発売)やシングル「テクノポリス」(79年10月25日発売)等が出る前であり、
一般的にテクノブームでブレイクするのは第2次ワールドツアー中、或いは、それ以後になるかなぁと。
渡辺香津美さん達のKYLINとも繋がっているアルバムという印象があります。
この曲で、
教授はフェンダーローズ、アコースティックピアノMini Moog、Poli Moog等のキーボード類を。
イントロとかのアナログシンセの音とフレーズが印象的です。
そして、
ハイハットの刻み、裏拍のオープン、バスドラのタイトさ、
ドラムは(高橋)幸宏さん、めちゃめちゃカッコイイ!
ベースは小原礼さん、出だしのイントロはピックっぽい感じに聴こえるけど、途中は指弾きの音、チョッパーも混ぜてます。
他の楽器のメロディとは、ぎゃにカウンターで動くベースラインがあって、教授のアレンジなのか小原さんのアイデアなのかわかりませんが、好きな部分です。
ギターは鈴木茂さん。
リズムギター、2つ聴こえるようなんだけど、どちらも茂さんかなぁ?
間奏の暑いギターソロは松原正樹さん。
パーカッションの浜口茂外也さんも隙間で目立ってます。
トロンボーンは新井英治さん・平内安夫さん・三田治美さん。
バストロンボーンは岡田澄雄さん・杉本勝行さん。
“Hot”なBackground Vocalsはイヴさん。
ストリングスは多グループ。
盛り上げ方が意図的に派手に強調されている感じはします。でもBメロというかサビというか、その部分は映画音楽的です。
とにかく、コーラスや全てのミュージシャンの演奏が上手いなぁと思います。
教授の全体のアレンジ・アンサンブル、ホットなんだけどクールで洗練されてますね!素晴らしい!
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高橋幸宏さん
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(以前blogに書いた事とダブってるかもしれません。また、記憶で書いてるので違っている部分もあると思われます)
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小学生だった、あの日、
近未来の音を聴いた!!!
たぶん、1980年の前後だったと思う。
正確に言えば自分の学年から考えて1979年〜1981年の間であることは確か。
あの日、というのは土日の校庭開放。
小学校は土日に校庭開放というのがあり、多くの小学生が遊んでいた。
日曜日は今と同じように休日だけど、
土曜日は学校の授業があったため、放課後に校庭開放になったと記憶している。
そこで指導員というか見守るバイトをしていたのが自分の家の近所の同級生Sくんのお兄さん、あだ名は“おんちゃん”、
その“おんちゃん”の友達のKくん、
高校生二人組だった。
あの日、
おんちゃんは、校庭にあった朝礼台の上にKくんの私物のラジカセを置いた。
近所の友達(同級生)数人が集まる。
おんちゃんは、
「ゲーセンで録ってきた」
と言って再生ボタンを押した。
フルボリュームのスピーカーから
ゲームの音が流れてきたのだ。
「すげー!」
自分も周りの小学生みんなも目を輝かせた!
後になって、それはゲーセンの録音ではなくイエローマジックオーケストラ「Computer Game」であったことを知るわけだが、その時は騙された。
校庭開放では主にドッチボールとかキックベースとかバスケをして遊んだ。
いつも常にKくんのラジカセからはYMOの曲がループされて校庭に鳴り響いていた。
自分は次第に刷り込みもあってか曲を覚え、好きになった。
最初に惹かれたのは未来の楽器シンセサイザーで作った音だった。
例えば「ファイヤークラッカー」の花火とか爆発音とか。
時期は前後するけど、
同級生Tくんとジャングルジムに座り、話していた時、
シンセサイザーの話を初めて聞いた。
「知ってる?「ライディーン」の馬の走る音ってシンセサイザーで作ってるんだって」
シンセサイザーは何の音でも作れるんだ!
衝撃だった。
シンセサイザーという言葉に未来を感じた。
自分の家には古い真空管アンプの大きな横長のステレオがあったけど、既に壊れていて、単なる物を上に置くだけのオブジェになっていた。
また、小学生だった自分にはレコード等を買えるお金は無かった。
だから、音楽を聴く手段はラジオかカセットテープだった。
校庭開放の高校生二人のうち、YMOを特に好きだったのはKくんだったと思う。
ある日、自分はKくんに、YMOの曲をテープにダビングしてほしい、と頼んだ。
Kくんは、たしか、日時を指定して(Kくんの住む)アパートの前で待つように言った。
こんなにドキドキした事も無かった。
これが生まれて初めて人にダビングを依頼した瞬間だった。
Kくんは高校生であり、同級生のSくんのお兄さんの友達という、非常に遠い繋がりなんだけど、自分も周りの同級生もKくんを呼び捨てに呼んでいた。
今から考えると何て失礼な事をしてたのかと。
そんな小学生に威圧感も与えず怒りもせず、優しい人だったなと思う。
その日、アパートの前、Kくんは校庭開放では見たことない学生服姿で帰宅して来た。
自分を見て気づいたのか、ちょっと待っててと言って部屋に入っていった。
自分は外で待っていた。
どのくらい待ったか、少しの時間だったような気もする。
Kくんが出てきた。
そしてカセットテープを渡された。
自分は走って帰った。
帰るなり、家にある中古のラジカセをテーブルに置いて、イジェクトボタンを押し、カセットテープを入れた。
ラジカセのスピーカーの数センチ前で正座し、再生ボタンを押し、目を閉じた・・・。
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高校時代、
同級生のHくんとDくん、他数人で同級生Nくんの家に行った。
リビングにあったピアノはNくんかDくんが弾いたと思う。
Hくんは持ってきたカシオトーンでリズムを鳴らし、
自分はアコギでシンセのアルペジオパート弾いた。
「BEHIND THE MASK」
本来はシーケンサーで演奏されているアルペジオをアコギで弾いて手が吊りそうになった。
けど、仲間とYMOを演奏するのは楽しかった。
やがてNくんとは疎遠になり、
自分とHくんとDくんと三人で三軒茶屋のスタジオを借りて「BEHIND〜」を演奏した。
自分はドラムとボーカル。
それまでドラムはやった事が無かった。
家で何度も「BEHIND〜」を聴いて、幸宏さんのバスドラとスネア、ハイハットのクローズとオープンの位置、シンバル、フィルイン等を覚え練習した。
紙に、自分だけが一目でわかるリズム譜を作ってフィルイン等の位置を確認した。
ただ、スタジオを借りて演奏する時はアルバム『ソリッド・ステイト・サバイバー』と『アフターサーヴィス』散開LIVEのバージョンの両方のドラムパターンのハイブリッドで全体のリズムを考えたような記憶がある。
「BEHIND〜」はその後もスタジオに行くたびに演奏した。
ドラムはその後、あまり叩く事も無いけど
間違えなく自分が叩くドラムは幸宏さんの影響下にある。だからドラムの師匠は幸宏さんだと勝手に思っている。
その後、Dくんとはカバー曲の候補で意見が合わなくなって、代わりにTくんが入った。
しかし、Tくんとも合わなくなって、
自分のいたクラスで音楽の話をしていたIくんをメンバーに入れた。
現在、音楽仲間として時々Blogに名前が登場するHくんとIくんはこの二人。
バンド名・ユニット名はしばらくして
“B-Float”
に決まった。
由来は、
ビートルズみたいにBをつけたい、
YMOの「キャスタリア」みたいに“〜リア”を入れたい、
という話がまず出て、
YMOの「MUSIC PLANS」の英語詞の中に、訳すと“バクテリアの海を渡る”というのがあったので“バクテリア”にしようと。
我々の音楽が世の中から浮いてるので、
じゃあ
バクテリア・フロート。
こうして
“B-Float”
に決まった。
YMOのコピーは主に『アフターサーヴィス』の曲をコピーしていた。
それはやはりLIVE盤だから演奏のお手本があったのも大きい。
しかし、演奏するには音が足りないので事前に演奏以外のパートをシーケンサーに打ち込み、シンセのマルチ音源で鳴らしたり、ミキサーでテープに落としたものをスタジオで流して、それに合わせて演奏したりした。
だから、例えば1曲目の「プロパガンダ」〜「東風」のメドレーでは「プロパガンダ」と「東風」を丸ごと打ち込み、様々な効果音もシンセで似たような音を作った。
スタジオではYMOのカバーやビートルズのカバー、他にもいくつか好きな音楽をカバーし、自作曲も演奏するようになった。
個人的には、
ギターはビートルズやサイモン&ガーファンクルのカバーから始まったけど、
キーボードやシンセ、打ち込みはYMOのコピーが始まり、
さらにいえば、譜面の読み方、コードの仕組み、リズム、音作り、エフェクト、ミックス、何もかもYMOをコピーすることから始まったといえる。
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高校の修学旅行。
お土産屋で売ってた電子音が鳴る全長数センチのキーボードのオモチャを買った。
Hくんも買って、バスの移動中、部屋の中、二人で「BEHIND〜」を演奏した。
黒鍵が無いので、奇妙な「BEHIND〜」になった。
修学旅行中にテレビから幸宏さんの「WEEKEND」を使ったCMが流れていた。
イントロとメロディをコピーして二人で演奏していた。
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2023年1月15日、
午前3時頃。
twitterのタイムラインに幸宏さんが亡くなられたというTweetが流れてきた。
自分は深夜まで仕事だったので、この時はじめてそれを知った。
実際には1月11日に亡くなられたとのこと。
幸宏さん、お身体の具合が相当悪いんだろうなぁと心配していたけれど、
本当に亡くなられたと知っても、
実感が無くて、
悲しいと涙が出るわけでもなかった。
急に空白になったというか、
でも、モヤモヤとしたものも心の中にあって、
なんかtwitterもやる気が無くなって、
あまり眠れなかった。
日曜日。
日常が変わらずあり、
達郎さんのサンソンも聴いたし、
深夜は細野さんのdaisyholidayも聴いた。
幸宏さんが亡くなったのに、
何も変わらない。
自分は一体何なんだろう、と思った。
その日曜日の仕事の途中とか、
また、外を歩いてるとき、
自然と頭の中で「今日の空」が流れていた。
この歌の歌詞の世界とは違うけれど、
グレーな空、
たまに雨がパラパラと降る。
濡れているアスファルトを歩いていて、
この曲に合ってると思った。
今日の空は少し悲しいね。
仕事が終わり、
日曜日の深夜、
twitterの幸宏さんの訃報に関するTweet、日本や世界の多くの方々の文章をずっと読んでいた。
教授がグレーの画像をSNSにあげていた。
日曜日のグレーな空を思い出した。
初めて自分の感情が動いた・・・
と同時に、みんなの幸宏さんに対する思いが流れ込んできた・・・。
山下達郎さんが大滝さんの亡くなられた後に追悼特集をやらなかった気持ちが特に理解できる。
以前、Blogで幸宏さんの10曲を選んだのは幸宏さんが退院された時だったと思う。
今はちょっと、そういう整理ができない・・・。
だから、この記事ではホントに個人的な記憶を書くだけにした。
幸宏さんの音楽はこれからも変わらず聴くし、
Blogでも変わらず紹介していこうと思っている。
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あの日、
ラジカセの数センチ前に正座し、
目をつぶった。
高校生Kくんにダビングしてもらったテープの一曲目、
16ビートの印象的なハイハットの刻み、
「ライディーン」
だった。
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今年の目標
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今、アメブロにアクセスしたら、
今日の運勢が1位になっていました。
心の中に大きな野心が生まれる。
とあります。
ならば、このタイミングで少し書かせていただこうと。
昨年は、Yoshiko YamaguchiさんのYouTubeで自分の作った曲(作曲・編曲)が初めて世に出た形になりました。
作詞はneeさん。
歌唱と動画はYoshiko Yamaguchiさん。
Blogにも書きましたが、
この曲はコラボレーションのおかげであり、自分の力だけでは世に出てなかったです。
その意味で、長年の夢ではあるのだけど、
今年は、自分の力だけで何とか曲を世に出したいなぁと。
音楽的な環境も含めて。
今は誰でも発信できる世の中であるわけだし。
ここで、あえて書きとめておこうと思います。
読んでいたたいてる方々には、どーでもいい話でしょうが、
自分自身に向けて書いておきます。
今は何もありませんが、
もし、発表できる時がきたとしたら、
一度だけでも聴いていただけたら嬉しいです。
今日はこのへんで。
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