どーしても苦手な人とかいて、その人主催のパーティとか集まりとかは、はっきり言って行きたくない
神さまに祈ってるとき、とても罪悪感を覚えるけど。
でも、嫌なことは記憶に残りやすくて、良いことはすぐ忘れてしまう。
幸せなことは大切に取っておこうとするけど、いつも、さらさらと手の平から落ちていってしまう。
苦手な人から言われたことや、された事、性格が合わない点や、苦手な理由なんて言い始めたら切りがない。
年齢に対して若すぎる服装の感性や、気の強さや、肌に合ってない紅の濃さ、不自然な二重や、人を管理するのが好きなとこなど。
「あの人が悪いわけじゃない。でも、性格が合わないんだもの。私もあの人も悪くないけど、でも、絶対に仲良くなんてなれない。距離を保つのはお互いのためよ」
そう自分に言い聞かせてた。
でも、神さまは「愛しなさい」と言われた。
隣人を愛しなさい、兄弟を愛しなさい。
私を救い出してくれた神様が望んだことだ。
だから、「愛そう」としたけれど、これ以上嫌いにならないようにするだけで精一杯。
とても神さまに対して申し訳なかった。
なのに、あの人を見るとイライラ菌が動き出してしまう。
「それでも、神さまは愛することを望んでいらっしゃる」
ある晩、彼女が原因でとてもイライラしていた。
次の日も、仕事中もずっと無口で黙々と案件を処理していた。
お昼に聖書を手にした。
会社のほとんど人の来ない一角。
この辺りが一望できて遠くの海まで見えた。
私の特等席だ。
その日は、ヤコブの手紙を読む日だった。
兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。
兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりするのは、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。
もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。
Don't speak evil against each other,dear brother and sisters.
If you criticize and judge each other, then you are criticizing and judging God's law.
But your job is to obey the law, not to judge whether it applies to you.
律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。
この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。
隣人を裁くあなたは、一体何者なのですか。
God alone,who gave the law,is the Judge.
He alone has the power to save or to destroy.
So what right do you have to judge your neighbor?
(ヤコブの手紙4章11-12節 新共同訳より)
私は、一体何者だったのだろう。
私になど、人を裁き、悪口を言うほどの、何があるというのだろう。
自分の行いを振り返ってみよう。
私は、人に全く悪口を言われないほどに善い行いを日々していただろうか?
人に裁かれないだけの、模範的な行いを、私はしていただろうか?
答えは、否。
神さまが、私に、行いを改める機会を与えてくださったことを感謝します
人を、裁くことがない日がきますように
イエス様の御名において祈ります