この時代珍しく、僕は書斎と呼べます自分の部屋がありまして。

いやホントにありがたいことですよ。そこに自分用のターンテイボー

とミキサー、スピーカーがあるのですよ。そこで空手着にアイロンかけな

がら買ってきたレコード聴くと言うのが至福の時なんですね、これが。

が、最近どうも音割れてるなーと思っていたら、JBLのスピーカーが

限界のようです。そろそろ書斎のオーディオを刷新する時期が来たよう

ですね。audio unionで中古の安いセットを揃えたいなと思っているのです

が。なんてこと嫁に何と説明したらよいのかわからないので、ここに大書

するのである。


自分の意思で音楽を聴き始めてもう23年を迎え、ずっと気になりつつ聴い

たことなかったPOP GROUPの"y"を買った。自分の部屋のオーディオが

ダメなので、今の本命機で。音いいなあ。

しかしこれ、78年でこのクオリティ。これ、革命的ね。ギンギン言うギター

最近うるさいなーと思って敬遠してたけど、これはいいね。これロックの

コーナーじゃなくて、ダブのコーナーにちゃんと並べておいてくれれば、

もっと早く聴いてたと思うけど、まあそれも縁が無かったと言うものか。


またもう一つの楽しみとして、当時の和訳ね。

70年代のパンク、ニューウェーブ系の日本版の和訳、これも革命的ね。

この"y"と言う原題、"最後の警告"ってなってるから。ファーストアルバム

ですけど。"奴にギターを持たせるな"とか、誤訳とかそういう次元ではない

そこに至る論理過程が全く推測不能な訳が多いのが、この時代の特徴

ですね。


またデニス・ボーヴェルもこの時代にこんなもん作るようなことしながら、

つい数ヶ月前に招聘されて、うちの近所のちっちゃなライブハウスに

いきなり出てきたり、もう天才すぎるだろ。

僕が小学生の頃の実家の習慣で、なぜか平日は毎日"トゥナイト2"を見る

ことになっていた。特に申し合わせるわけでもなく、時間になると、家族全員

が集まって、黙ってジーっとみるのだ。そして週末はこれまた民放だけど、

9時まで晩飯を食べ終えて、映画を見る。これはほぼ欠かすことなく行って

いたので、今でも週末の9時から映画を見ると、なんだか妙に安心するのだ。


そんな運びで今日トムクルーズ主演"宇宙戦争"を見た。


【ここから先は映画"宇宙戦争"をこれから楽しみにしている人は読まない事】


これは公開当社からクソ映画の誉れ高い一品であった為、見逃す手もなく

どっしりと鑑賞してしまった。設定の雑さはご愛嬌だけど、映像は結構作り

込まれているし、僕が高校三年生の時に見た宇宙人の地球侵略系映画、

"インディペンデンス・デイ"よりも冷徹で、このまま行ったら本当に地球侵略

されちゃうんじゃない?2時間で納まる?大丈夫?と思わせる風呂敷広がっ

てく感じ、結構好きだ。そこにキャーキャー言って全然逃げないで余計話を

ややこしくするブロンド少女の要素も加わり、パニック映画の要素揃ってき

た。いーじゃない。


で、これがなかなか反撃に転じないんだよ、地球人が。むしろ家族の絆って

何だろう的な展開に移りながら、どんどん地球人やられていっちゃって、最

後はその侵略してきた宇宙人側が勝手に突然自滅して、"なんとなく"家族

が再会して終わってしまうと言う意外性に富んだ顛末。


数々の伏線を未回収のまま終わると思いきや、ラスト30秒に宇宙人が自滅

してしまった理由がいきなり述べられる。「侵略者は地球外生命体だっ

たので、地球の微生物に対する耐性が無く、地球では生きる事が出来な

かった。人間の文明なんかより、地球と地球上の生物の進化の方が深遠で、

興味がつきないですね。ピース。」と言うことらしい。

その辺の若干電波系のメッセージは原作者およびトムクルーズについて調

べてもらえばわかるとして、まあそこにはそれ以外のちゃんとしたメッセージ

が込められているのかもしれないし、もっと細かい表現があったかもしれない。

でもそんなことより問題なのは、最後を見て、コレ前に見た事を思い出した。

全然記憶に残ってなかった。


しかし冷静に考えると、仮に宇宙人が地球を侵略してやろうと思った時に、

そんななんの下調べもせずに、攻め込むかね。あんな高度な文明を持って

いる奴らが、全部隊を投入して、途中で"あれ、なんか苦しい"と言いだして

いきなり全滅してしまうなんてないだろ。人間の文明の進み具合とか、予想

される反撃だけ想定する前に、そもそも侵略した後どうすんだっけとか考え

るでしょ、普通。信長の野望やってる小学生でも思いつくよ。


メル・ギブソンとかトム・クルーズとか、若くして脚光を浴びてしまうような天才

は、どうしても"宇宙"と言う問題にぶつかり、そこからいつか侵略されてしま

うだろうと言う前提を置き、でも俺ちゃんと信じてるから大丈夫だよーと結論

を導いてしまう生き物なんだろうか。そこが一番深遠。

子供の頃テレビで共通一次試験のニュースを見てなんだかわからな

かったが、自分が高校生時代には"センター試験"と言う名にかわって

いて、僕もそれに向かって勉強したものである。


僕が受けた年は当時の文部省により教育課程が大幅に見直された年

にあたり、新科目体系も大きく変った。浪人生は移行措置がとられ、旧

科目体系でも受けられるように配慮されていたが、僕ら現役生にはそ

んな配慮が無く、新しく設けられた科目体系(国語Ⅰ・Ⅱとか数学A・B

とか)に対応せねばならず、すごく緊張したのを覚えている。俺は東大

しか受けないと言っていたY君は東大受験に必要な国語Ⅰ・Ⅱではな

く、国語Ⅰを受験してしまいその日のうちに浪人確定していた。そんな

当人としてはとても笑えないようなミスが頻発した。どっかの試験会場

トイレで亡くなっていた人もいた記憶もある。


僕も大学受験によるストレスはかなり感じていた方で、浪人は出来な

いぞと家族からプレッシャーをかけられ、部活は高3まで続けていて、

それはもう参った。でも今考えたらそれって試験が年に一回じゃなくっ

て、せめて年に2回あればいいのになって思う。受験勉強はその後の

社会人人生の縮図であって、一回のチャンスをものに出来ないとダメ

何だと言う反論は確かにある。でも1年間、もしくはそれ以上準備して

しかもチャンスが一回と言う場面に遭遇する人って、結構少ないん

じゃないかとも思う。そう言う一流人材を育成する一流校は年に一回

の試験でもいいのかもしれないけど、大学経営が大変な昨今、その他

の大学は試験2回実施すればいいのに。