こんばんは~
先ほどバイトが終わったところです
今日でついに長いようで短かった
夏休みが終わりまーすww
ダラダラしてた日もありましたが、
なんだかんだ充実してました
笑
軽井沢、合宿、セミナー、
旅行、バイト、教習所などなど...
いろんなことがありました
いや~良い夏休みでした
みなさんはどんな夏でしたか??
さて、おととい自分は
生まれて初めて
被災地にボランティア活動をしに
宮城県南三陸町に行ってきました!
夜の0:45ごろ大学を出発し
朝方現地に到着。
仮設のセブンイレブンにバスを停め
そこで朝食を食べました。
そのあとは、
「防災対策庁舎」という
建物の前へ!
テレビの画面の中でしか
見たことがなかったので、
実際に肉眼で見て
とても印象深かったです。
知っている方も多いと思いますが
津波が到達してくる最後まで
遠藤未希さんという女性職員の人が
この建物の2階で
防災無線で
町民の人たちに津波からの避難を
呼びかけ続けたそうです。
彼女の声でかなりの人たちが
高台に避難し、津波から
逃れることができたそうです。
いろいろと調べてみると
「あの声がなかったら逃げていなかった」
という人がたくさんいたようです
しかし、遠藤さん自身は
残念ながら、
津波に巻き込まれてしまいました...。
ご遺体が沖合で見つかったそうです。
本当に残念です...
3階建ての建物は
赤色の骨組みと
アンテナだけが立っていて、
外階段の手すりや、
むき出しの鉄骨は大きく歪み、
出入り口の
「防災対策庁舎」
という文字だけがきれいに残っていて
そこだけが当時のままでした。。
そしてその前には、
たくさんの人たちが訪れ
供えたであろう
鮮やかな千羽鶴やお花などが
たくさんありました。
30人中、10人しか助からなかった
この建物の2階で、
遠藤未希さんは
最後まで職務を真っ当したんですね。
結婚もしたばかりで旦那さんもいて
6ヶ月あとに披露宴を開催する
予定だったらしいです
不思議な感覚になり、
なにも考えられなかったし
言葉にできませんでした。
信じられませんでした。。
そのあとは高台のほうにある
ベイサイドアリーナや
ボランティアセンターがある
場所に移動して
準備や着替えをしました。
また下に戻り
現地のボランティアスタッフさんの
説明を聞き、作業を開始しました。
偶然にも防災対策庁舎の付近でした。
住宅がたくさんあった場所らしく
家の土台だけが残っていて
基礎と土台を固定化する
アンカーボルトが
外側に曲がっていました。
何の部屋だったかわからないところで
土に埋れていたり出ている
天然石や陶器、ガラス、
アスファルト、壁、鉄、機材
いろんなものを分別しました。
既に分別された山を見ると
かなりの瓦礫があったんだなーと
唖然としました。
スタッフさんから話を聞くと
このあたりは町の中心地で
建物が密集していたそうです。
いまは、そんな面影はどこにもなく
ほんとに見渡す限り瓦礫だけでした。
唯一、丈夫な鉄筋コンクリートの
建物だけが残っている状態でした。
ボランティアは20名以上でやったので
ひとつのエリアを
1日で片付けました。
花を供えられるように
自分は瓦礫の処理だけでなく
玄関あたりの土台のまわりも
きれいにしたりしました。
ここに住んでいた人は
遠藤さんの声で助かったのかな
そうだったらほんとにいいなと
そんなことを思ったりしました。
いろんな想いにかられた
ボランティアでした。。
この町の復興は
いつになるんだろう?
また同じ場所で暮らせるのだろうか。
ここで再び暮らすことに
町の人はどう思っているのだろうか。
複雑な思いが重なりました。
活動が終わったあとは
ボランティアセンターや
さんさん商店街という所に行き
東北の商品を買いました。
現地の人はみんな明るかったです
みなさんも機会があれば
積極的にボランティアしてください。
ラジオやテレビの情報だけじゃなくて
実際に行って、
見て感じて知るべきだと思います。
応募すれば、一般の方も行けるので
是非、行ってみてください。
では!
先ほどバイトが終わったところです

今日でついに長いようで短かった
夏休みが終わりまーすww
ダラダラしてた日もありましたが、
なんだかんだ充実してました
笑軽井沢、合宿、セミナー、
旅行、バイト、教習所などなど...
いろんなことがありました

いや~良い夏休みでした

みなさんはどんな夏でしたか??
さて、おととい自分は
生まれて初めて
被災地にボランティア活動をしに
宮城県南三陸町に行ってきました!
夜の0:45ごろ大学を出発し
朝方現地に到着。
仮設のセブンイレブンにバスを停め
そこで朝食を食べました。
そのあとは、
「防災対策庁舎」という
建物の前へ!
テレビの画面の中でしか
見たことがなかったので、
実際に肉眼で見て
とても印象深かったです。
知っている方も多いと思いますが
津波が到達してくる最後まで
遠藤未希さんという女性職員の人が
この建物の2階で
防災無線で
町民の人たちに津波からの避難を
呼びかけ続けたそうです。
彼女の声でかなりの人たちが
高台に避難し、津波から
逃れることができたそうです。
いろいろと調べてみると
「あの声がなかったら逃げていなかった」
という人がたくさんいたようです

しかし、遠藤さん自身は
残念ながら、
津波に巻き込まれてしまいました...。
ご遺体が沖合で見つかったそうです。
本当に残念です...

3階建ての建物は
赤色の骨組みと
アンテナだけが立っていて、
外階段の手すりや、
むき出しの鉄骨は大きく歪み、
出入り口の
「防災対策庁舎」
という文字だけがきれいに残っていて
そこだけが当時のままでした。。
そしてその前には、
たくさんの人たちが訪れ
供えたであろう
鮮やかな千羽鶴やお花などが
たくさんありました。
30人中、10人しか助からなかった
この建物の2階で、
遠藤未希さんは
最後まで職務を真っ当したんですね。
結婚もしたばかりで旦那さんもいて
6ヶ月あとに披露宴を開催する
予定だったらしいです

不思議な感覚になり、
なにも考えられなかったし
言葉にできませんでした。
信じられませんでした。。
そのあとは高台のほうにある
ベイサイドアリーナや
ボランティアセンターがある
場所に移動して
準備や着替えをしました。
また下に戻り
現地のボランティアスタッフさんの
説明を聞き、作業を開始しました。
偶然にも防災対策庁舎の付近でした。
住宅がたくさんあった場所らしく
家の土台だけが残っていて
基礎と土台を固定化する
アンカーボルトが
外側に曲がっていました。
何の部屋だったかわからないところで
土に埋れていたり出ている
天然石や陶器、ガラス、
アスファルト、壁、鉄、機材
いろんなものを分別しました。
既に分別された山を見ると
かなりの瓦礫があったんだなーと
唖然としました。
スタッフさんから話を聞くと
このあたりは町の中心地で
建物が密集していたそうです。
いまは、そんな面影はどこにもなく
ほんとに見渡す限り瓦礫だけでした。
唯一、丈夫な鉄筋コンクリートの
建物だけが残っている状態でした。
ボランティアは20名以上でやったので
ひとつのエリアを
1日で片付けました。
花を供えられるように
自分は瓦礫の処理だけでなく
玄関あたりの土台のまわりも
きれいにしたりしました。
ここに住んでいた人は
遠藤さんの声で助かったのかな
そうだったらほんとにいいなと
そんなことを思ったりしました。
いろんな想いにかられた
ボランティアでした。。
この町の復興は
いつになるんだろう?
また同じ場所で暮らせるのだろうか。
ここで再び暮らすことに
町の人はどう思っているのだろうか。
複雑な思いが重なりました。
活動が終わったあとは
ボランティアセンターや
さんさん商店街という所に行き
東北の商品を買いました。
現地の人はみんな明るかったです

みなさんも機会があれば
積極的にボランティアしてください。
ラジオやテレビの情報だけじゃなくて
実際に行って、
見て感じて知るべきだと思います。
応募すれば、一般の方も行けるので
是非、行ってみてください。
では!



























