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認知症の始まりですが、ちょっとしたことから始まります。
祖父は夜八時くらいになって「まだ昼間かと思ってたらもう夜なんだなぁ」といきなり言いました。
そのとき私は『ん?』と思いましたが、この言葉を本人が言ったときは話し方も今まで通りしっかりしています。普通です。
私はその言葉を聞いても『気のせいかな?でも何かが違うような…。でもまぁいっか。』と思いました。
でも今思うと、本人が『もう夜なのか?』と一瞬でも思ったのがそれの始まりかと思います。
他にも「今日の新聞にはいい事が書いてあるから赤線を引いておいた。読んでおいたほうがいい。」と言われたことがあります。
私は正直『新聞に赤線なんか引く必要があるのだろうか。余計に読みづらくなるかもしれないのに』と思いながら新聞を見てみました。
すると本当に赤線が引いてある…。
しかも私が大事だとはさほど思えない記事にも赤線が引いてありました(記者の方すみません)
このときはさすがに私も考えました。
んー…、認めたくないけど認知症なのかなと。
日本人男性の平均寿命より大分長生きしていますし、来るべきときが来てしまったのかなと…。
但し、認知症はいきなりドカンと来るものではありません。徐々に進行していきます。
そういう状況がしばらく続く中、祖父のお腹の調子が悪いということで病院へ検査に行き、胃がんだとわかりました。このとき祖父は88歳。
この年で手術は大丈夫なのか?でもしないといけない状況まで進んでいる。
そして2000年5月15日に手術。
手術は無事に終了しました。
でも医者からは他にも転移している、ただ年をとっているので進行が遅いと言われました。
ところが、ところがですよ。それ以上の問題があったのです。
病院側が言うには、手術後に意識が回復したあとに結構大げさに動いたそうで、傷口が開かないように両手首をベッドにくくりつけました。
そして祖父はいろいろな言葉を言ったそうです。
「許して下さい」「もう悪いことはしません」「外して下さい」その他もろもろ…。
世間では拘束することを非難する人がいるかもしれません。
ですが私としては色々聞いているいくつもの前例からして、場合によっては拘束することも必要だと思うので気にしません。
でもそのあとの言った言葉が気になります。普段はこのようなことは言いません。まるで別人です。
何日かして退院し、我が家に帰宅しました。
でも明らかに手術前とは違うのは誰でもわかりました。
筋力の低下はもちろん、確実に認知症が進んでいます。麻酔がいけなかったのか?
年をとってからの手術はあまりよくないと聞いていたけどここまでなのかと…。
ちなみに私の友人の祖母も手術をしたそうです。どこを手術したのか忘れてしまいましたが(汗)
そしてその結果、膝が90度に曲がったまま固まり、伸ばすことも曲げることもできなくなったそうです。
私はその友達と「年をとってからの手術はよくないのかねぇ」と話したこともありました。
この二つの繋がりは関係ないかもしれませんが、読者の方の中で、今後身内でお年寄りが手術をすることがあるようでしたら、こういうこともあると頭に入れておいて頂ければと思います。
そしてこの年の10月。私の姉のブルー1が結婚しました。
実家暮らしだった姉が結婚することによって祖父の様子を見る人が一人減るのはつらいことですが、しょうがないことです。
この家に残るのは母と私ブルー2、そして妹のブルー3です。
但しブルー3は時間が不規則な仕事をしているため、家にいるときは絶えず疲れています。
よって彼女に期待することも出来ないし、もちろん私より若いので頼ったり甘えられません。
ブルー3には負担をかけたくないと思いました。お前はお前の道を進めという想いです。
そして同じくこの年の11月のこと。
家業の店は夜の10時までやっています。
今まで祖父は筋力が落ちたと思われながらも自分ひとりでお風呂に入れることが出来ていました。
母と私は祖父のことを気にしながらも店の仕事をしています。
時間は夜の8時半ごろ、私が配達中に携帯電話が鳴り「早く帰ってきて」と母から連絡があったのです。
私は母の言いたいことがわかったのですぐに電話を切り、お客さんに事情を伝え速攻で帰宅。
近所の配達だったので電話を受けてから1~2分での帰宅です。
すると母は祖父をお風呂から出していました。バスタオルの上に全裸の祖父がいる。意識はなし。
でも呼吸はしている、死んではいない。
母曰く「祖父の様子を見に行ったらぐったりしていた」「ブルー2に電話をしたあと救急車を呼んだ」とのこと。
しかもそれだけでなく、以前TVでやっていた『重い人を風呂から出すにはどうしたらいいか』を見てそれを覚えており、それをすでに実践していたのである。母よ (*^ー゚)b グッジョブ!!
実は私と母は祖父に何かあった場合、どの順番でどうするか話し合っていた。
優先順位として、まず私ブルー2が配達で留守の場合は私に電話をすること。これは10~20秒で済む。
なぜなら母は非常事態になるとテンパる傾向にあるので、まず私に帰るように連絡することを勧めていた。
そして次に祖父への対応。
出来る限りのことをする。店はほったらかしでいい。万引きされてもいい。
そしてとりあえず自分の出来る限りこのことをしたあとに救急車を呼ぶこと。
数ヶ月前からこのことを口がすっぱくなるほど言っていたために出た成果だ。
1~2分の間に意識のなくなった重い祖父を風呂からだし、しかもすでに救急車まで呼んでいる。打ち合わせは完璧だ。
母が祖父の様子を見ている間に私が店のシャッターを閉め、しばらくしたら消防車の到着。
レスキュー隊員は祖父の様子を見たあとに、まずかかりつけの病院があるかどうか聞いてきた。
以前胃がんの手術があったのでその病院を伝えると、隊員はそこへ搬送できるかどうか電話で確認。
先方はごねていたようだけど、隊員の交渉によってそこへ搬送されることになった。
ここで断られていたら、いま流行のたらいまわしにされていたかもしれない。
緊急隊員さん、ありがとうございますm(__)m
そして私は、レッド叔母へ祖父の状況を話しこれから病院に行くと連絡。
何かあったのに連絡していないとあとで何を言われるか…。
このとき私はすでにレッド叔母の性格がわかってきています。
非常事態であたふたしているのに「『ちょっと考えれば連絡しなくちゃ』と思うんじゃないの?」と言うような人です。
搬送先の病院で私と母、そしてレッド叔母が祖父のそばに揃いました。
医者の診断結果を聞くと、お風呂に入ったために血圧が上がり意識障害になったけど、時期に元に戻るとのことでした。
でもこの前に手術したばかりだし、年も年なので一晩だけ入院してもらえるよう交渉しました。
生まれて初めて救急車を呼んだのだけど、精神的にこんなに疲れるとは…。
時間があれば家族の誰かが風呂場のそばにいて、中で何かあったらすぐ対応できるようにはしています。
でも生活するには仕事で収入を得ないといけません。
我が家は母と私で家業の仕事をしています。
妹のブルー3は外で働いているためにこのときはいませんでした。
ボケ始めても、本人の感情はそのまま残ります。
記憶の一部が飛ぶだけなのです。
そして記憶がなくなることは本人も自覚しているはずです。
中には「ボケると何もわからなくなるし本人は楽でいいよね」という人もいますが、現実は違います。
本人が一番苦労しています。
自分で自分がわからなくなり、恐怖を感じて不安を抱いているはずです。
ただ感情はそのまま残っているので、周りが優しく接しようとしても本人のプライドが邪魔するのか「自分でできるからいい」と言われることも多々あります。
自分で自分がわからないのだけど、思うように体が動かないのだけど、感情はそのまま…。
介護する側も生活のための収入も大事だけど、介護も大事…。
在宅介護で経験する壁の一つです。
祖父のことも気になるけど残りの家族は仕事をしないといけない。
しばらくはこのような生活が続きました。