学校において、我々は勉強することを強いられた。そして、我々は何か志をなすにおいて勉強しなければならない。
広い意味で知識を身につけるという点において、勉強と自学自習は似ている。だが、「勉強」ということばの世間的イメージ(我々の世代にとってのもの)は、「強いられるもの」「単なる訓練」としての側面が強すぎる。生徒や学生達に「勉強」させても、「道具」中心の価値判断を養成し今となっては忌まわしき合理主義の犬を作り出したり、知の世界への抵抗・拒否感を養成したりするケースは多かったのではないだろうかと思う。
教養を身に付けさせるには、自学自習の態度を養成するほかないと思う。自学自習の一環として学校を大いに活用する、そんな態度が必要だろう。何も学校は科目を教えるだけの場ではないけれども、科目をないがしろにしての学校というのはどうだろう。
「夢」といった将来に対する希望が希薄と言われる今の学生達にこそ、あらゆることに積極的に触れて欲しい。その一環として、学校の授業を有効活用し知の世界に飛び込んでみて欲しいと思うのは、的外れなことだろうか。
変わって、新しい教科書・参考書もでてます。新しい入学試験はどうなるのでしょう。
新高3が二浪、高2が一浪すれば、次の一年で新しい指導要領に対応する必要があるでしょう。簡単なほうの科目のみを課す入試(例;化学Ⅰ、ⅡのうちⅠのみ)を受験する場合は対応が迫られるでしょうし、数学はⅢ・Cを履修していても追加の学習が必要になりますが、所詮は高校生でも理解できる範囲のもの。なんとか切り抜けられるはずです。
中学校の課程に内容を追加するのは大賛成です。あまりにも簡単すぎて暇だったのですから。中学生をなめていては伸びる分も伸びない。
ただ、理科には不満もあります。今年から完全実施の課程なので、改定されているかもしれませんが、現行の内容についての不満ということで。「直流と交流」の部分を教えることになって、一応教科書に書いてある文言は解説したのですが、どうも納得がいかない。物理Ⅱの教科書を読んでいたからかもしれませんが、直流電流のI-tグラフ、交流の実態について、謎は残りました。
中学生にとっても身近であろう電源である電池から取り出した直流は確かにt軸に水平にもなりますが、交流から直流に変換したりすることを考えるとこれだけでは生徒はもやもやしたものが残ります。交流では正負の電流が周期的に流れますが、個々の電子の動きを考えると直流とはあまりにも異なるものであることが容易に推論されます。
そして、「ニュートン」の扱いについて。1kgの物体を1秒間に秒速1m分加速させる力が1ニュートンと定義されているはずです。しかし私は100gの物体にかかる重力=1Nと教わり、これが定義であると思っていました。あんな書き方されたら誰だってそう思うはず。
後から教えればいい、というのは全くのマチガイではないけれども、中学生達は腑に落ちないままよくわからない、つまらない勉強をさせられるわけです。せめて自主的に動ける生徒のためにヒントを残しておいてほしいものです。
高校生も遂に数学Ⅰに統計が入ったりしてます。整数論やガウス平面も再導入されています。しかし、「行列」が消えてしまった。
新しく始まっている指導要領では小中学生から標本調査や統計に触れる学習が行われるようですし慣れてはいるのでしょうが、総和のΣ記号などのために一度とばしてから戻るような授業も考えられます。別に悪いことではないと思いますが。
「行列」がなくなると大学に入って線形代数をするためのハードルが一つ上がる、ということになりますね。後輩が怒りそうだ。
やはり勉強する内容に関心を持ち理解を高めるには自主的な学習しかないと思いますが、よき指導者あってこそですし、よき教材あってこそですよ。これらなしにできるならオトナじゃないですか。
最後に、中学校における武道・ダンスの必修化にも一言触れておきたい。武道もダンスも、僕の中学校時代に導入されていたら、いじめ・不登校・校内暴力の増加にしかつながらなかっただろうとおもいます。そんな学年もあるんだ。暗黒と不信の中学校だってある。学校がその実情にあった教育をする、せめて体育くらいならいいと思うんですけどね。