動物解剖学/東京大学出版会

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解剖学の初学者は、大学で解剖学なるあるいは形態学なる講義を受け始めているかもしれない。残念ながらそれらの場は、ほとんど医療免許状の取得を最大に目的化したような箇条書きの羅列として披露されているはずである。その点において、看護師も理学療法士も動物学科も医学部も獣医学科も大同小異だ。本書のように、体制の概念論から解剖学を学ぶ機会は、今日の高等教育・職業教育カリキュラムにはまず存在しない。(43)
解剖学という分野は、多分に実学的な関心に集中して教育されてしまう。むしろ、解剖学とはそれで然るべき分野であると、誰もが刷り込まれてきただろう。敢えてそれを批判する立場の本を『動物解剖学』のタイトルで出したことには驚きを禁じ得ない。
この本は解剖学を学ぼうとする実用性絶対主義者には何の役にも立たない。ここには暗記すべき瑣末な骨の突起や筋腹や神経の枝の名前は列挙されない。『動物解剖学』というタイトルに騙される直接的な実用性でしか物事を測れない人間や、著者と対話できる国語力すら具えていない学生からの評価は限りなく低いだろう。還元主義からは陳腐だと蔑まれているにもかかわらず、総合的な視点なしに枝葉末節を項目として叩きこむような、解剖学スパルタ教育の都合に左右されることなく、“そこそこの表現型”に基づく形の議論を生物の文脈の中で楽しむ本書は、むしろ万人の知的好奇心を満たすようにできている。
「読者は25歳ではない、20歳が読む本にしてほしい」という編集者の願いに従っているなら、高々100ページの中で機能と形を語る本書は自分より年上の人には薦められないのかもしれないが、門外漢にはよい一冊ではないだろうか。むしろ専門外の人たちに勧めたい一冊。一般化は難しいが、少なくとも大学院文学研究科に行く類の人には遠慮なく勧められそうだ。
残念ながら、解剖学どころか、中学・高校の生物学教育は空虚な知識で満たされている。いくら恩師のように「本質を教えたい」と願っていても、結局は点取りに終始する学生と出題者に合わせて教育しないと空中分解してしまう。高校世界史とは違い、より深く広い文脈の中で語ることのできる余裕が、高校生物には残されているはずなのに、学生をみると上手くいっていないことがわかる。中高教育が学生の知的欲求を満たすということを忘れた今でものし上がってくるのは、それでも知的欲求が満たされる変質者と、欲求を満たすための探険に身を投じてしまった中毒者、そして全ての教科内容を点数のために犠牲にすることを厭わない冒涜者だけだ。いや、家庭教師としての経験を考えれば、むしろ目的主義者しか相対してくれないから教えることができないという面もあるだろう。
勉強に目的はあって然るべきだろうが、余分な機能を徹底的に排除して極端に合理化された矮小な道具ではなく、感性に訴える景色をもつ長い長い道であるべきだ。生活と勉強を完全に隔離してしまう比喩が前者であり、後者は自分をあらゆる文脈に位置付けることのできる、いわば歩くが如く自然に行うことのできる勉強だ。むしろ勉強という言葉や概念が障害だ。

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解剖学の初学者は、大学で解剖学なるあるいは形態学なる講義を受け始めているかもしれない。残念ながらそれらの場は、ほとんど医療免許状の取得を最大に目的化したような箇条書きの羅列として披露されているはずである。その点において、看護師も理学療法士も動物学科も医学部も獣医学科も大同小異だ。本書のように、体制の概念論から解剖学を学ぶ機会は、今日の高等教育・職業教育カリキュラムにはまず存在しない。(43)
解剖学という分野は、多分に実学的な関心に集中して教育されてしまう。むしろ、解剖学とはそれで然るべき分野であると、誰もが刷り込まれてきただろう。敢えてそれを批判する立場の本を『動物解剖学』のタイトルで出したことには驚きを禁じ得ない。
この本は解剖学を学ぼうとする実用性絶対主義者には何の役にも立たない。ここには暗記すべき瑣末な骨の突起や筋腹や神経の枝の名前は列挙されない。『動物解剖学』というタイトルに騙される直接的な実用性でしか物事を測れない人間や、著者と対話できる国語力すら具えていない学生からの評価は限りなく低いだろう。還元主義からは陳腐だと蔑まれているにもかかわらず、総合的な視点なしに枝葉末節を項目として叩きこむような、解剖学スパルタ教育の都合に左右されることなく、“そこそこの表現型”に基づく形の議論を生物の文脈の中で楽しむ本書は、むしろ万人の知的好奇心を満たすようにできている。
「読者は25歳ではない、20歳が読む本にしてほしい」という編集者の願いに従っているなら、高々100ページの中で機能と形を語る本書は自分より年上の人には薦められないのかもしれないが、門外漢にはよい一冊ではないだろうか。むしろ専門外の人たちに勧めたい一冊。一般化は難しいが、少なくとも大学院文学研究科に行く類の人には遠慮なく勧められそうだ。
残念ながら、解剖学どころか、中学・高校の生物学教育は空虚な知識で満たされている。いくら恩師のように「本質を教えたい」と願っていても、結局は点取りに終始する学生と出題者に合わせて教育しないと空中分解してしまう。高校世界史とは違い、より深く広い文脈の中で語ることのできる余裕が、高校生物には残されているはずなのに、学生をみると上手くいっていないことがわかる。中高教育が学生の知的欲求を満たすということを忘れた今でものし上がってくるのは、それでも知的欲求が満たされる変質者と、欲求を満たすための探険に身を投じてしまった中毒者、そして全ての教科内容を点数のために犠牲にすることを厭わない冒涜者だけだ。いや、家庭教師としての経験を考えれば、むしろ目的主義者しか相対してくれないから教えることができないという面もあるだろう。
勉強に目的はあって然るべきだろうが、余分な機能を徹底的に排除して極端に合理化された矮小な道具ではなく、感性に訴える景色をもつ長い長い道であるべきだ。生活と勉強を完全に隔離してしまう比喩が前者であり、後者は自分をあらゆる文脈に位置付けることのできる、いわば歩くが如く自然に行うことのできる勉強だ。むしろ勉強という言葉や概念が障害だ。