「ジュルのしっぽ」 公園ネコ2008
今日1日で今年も終わりですが、もう1つ今年中に載せたい転載記事があります。
ブログ「ジュルのしっぽ 」の記事です。
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「公園ネコ2008」
去勢避妊手術をして見守ること2年半。
18頭いたネコのうち11頭の姿は、もう公園にはない。
最近姿がないけれど、生存しているだろうと思われるネコが4頭。
ちゃんと確認できるネコは3頭、合わせて7頭だけになった。

ことしの夏が転機だった。
春から夏にかけて、ナンバー1とナンバー2だったボスとクロが相次いで姿を消した。
メスネコを追い求めてきた新参ネコが、公園にたびたび出没するようになった。
ネコはメスから誘って交尾するといわれているけれど
わたしが見てきたかぎり、そうではなかった。避妊をしてもメスはメス。オスは襲うのだ。
その新参ネコ達をことごとく追い散らしくれたのは、一度、白ボスに挑んで負けたミルキーだった。
ごはん中の公園ネコたちを見ているわたし達の前に立ちはだかり、
青い瞳で睨みつけ、みんなを守るその姿は、立派なボスの風格があった。
そのミルキーも、ほどなくして姿を消した。
そのタイミングに公園の設備工事が重なった。
それでも集合している姿を何度か見て安心をしていたけれど
日めくりカレンダーが、ゆっくり、でも確実に減り進むように
見掛ける回数も頭数も、日に日に確実に減っていった。
事故で命を落とし、ヒトの手で埋葬されたネコ。
どこかでヒト知れず、逝ってしまったであろうネコ。
あっちで見た、こっちで見たと噂だけで姿を消したネコ。
行方不明になってから、1年以上も経ってしまったネコ。
これ以上、ノラネコが増えないように。
過酷な環境で苦しむ子ネコが生まれないように。
この2年半、子ネコを1匹も産ませることなく、
ごはん担当のご夫婦とTNRができるわたし達で、
なんとかここまで見守ってきた。
去勢避妊がひと通り終わってみると、ほどなくして効果が表れてきた。
いがみ合わず、仲よくいっしょにごはんを食べるようになった。
シーズンごとに喧嘩が絶えなかった公園から、威嚇や喧嘩の声が消え、
自然とクレームや不審者の情報件数も減っていった。
みな一様にふっくらとして、去勢したオスと避妊したメスが仲よく寛ぐ姿まで
見ることができる環境になった。

寒空の下、ネコたちが1匹もいない公園に立っていると
言いようもない寂しさと寒さで、鼻がツーンと痛くなる。
目に溢れてきた涙が寂しいからなのか、寒さで鼻が痛いからなのか、
自分でもよくわからない。
良かれと思ってやってきた先にあったのは
わたしの場合、達成感ではなく喪失感だった。
「これでよかったんだ」と納得している頭と
「みんな、いなくなっちゃった・・・」という寂しい心。
ノラネコにかかわるということは、少なからず
理屈と感情の葛藤に悩むものなのかもしれない。
公園ネコたちにしてみれば、捕まったことがある油断のならないヒトとしか、
わたし達に対する印象はなかったことだろう。
結局わたしは公園ネコを、ひとなでもすることなく今に至る。
無償の愛といえば格好いいかもしれないけれど、
そこまで公園ネコを愛していたわけでもない。
もっとしてあげられたことが、あったのかもしれない。
ネコ達にしてみたら、迷惑でしかなかったのかもしれない。
「できることをやればいい」なんて、ただの自己満足だったのかもしれない。
ネコがいなくなった公園の寒々しい光景が、
「本当にネコ達にしてきたことは、正しかったのか」と迫ってくる。
これでいいのだと思う。
ネコ達の暮らしや命に手を出すということは、
こうした苦しみの繰り返しなのかもしれない。

本当は、自由にノラネコ達に闊歩していてもらいたい。
日向で居眠りをし、道端で仲よく挨拶を交わし
取っ組みあってコロコロと転がる子ネコや
塀の上からヒトを見下すノラネコ達といっしょに暮らしていきたい。
地域猫にしろ、TNRにしろ、順調にいけばいくほど
行き着く先は、ノラネコがいない世界になる。
ネコ達のことを思えば思うほど、ヒトが望んで自ら作り出し、わたし自身が依存する社会は
そんなノラネコ達すら受けつけない無機質で冷たい世界なのだと改めて気づかされる。
そんなことはずっと前からわかっていた。
でも現実にネコ達のいなくなった公園に、今こうして立っていると無性に悲しくなる。
頭で知っているのと、心で感じることはこれほどに違うものなのか。
しばらくずっと、そんなことを考えていて、
悲しく思うのは、ネコがいなくなったことが寂しいとか、
ひとなでもできなかったからではないことに気がついた。
本当に悲しいのは、ヒトという生き物の孤独を感じたからだ。
ヒトはもう、ネコだけではなく、たくさんの生き物とは共生できない孤独な生き物だ。
動物を見るのは動物園の檻に入った動物達、ペットショップのショーケースの中。
数千年共に暮してきたネコ達でさえ、自由に外を闊歩して歩けないような
冷たく無機質な世界に、ヒトだけがひしめきあって生きている。
ヒトは、他の動物と共生して仲間になれる唯一の動物であり、
ヒトは、他の動物を絶滅させることができる唯一の動物でもある。
「どちらのヒトになりたいですか」と聞かれたら
「仲間になれるヒトになりたい」と、多くのヒトは望むだろう。
でも、現実は違う。
どうして違ってしまったのだろう。
答えは簡単だ。“知らない”からだと思う。
人里離れた郊外で毎日のように多くのネコやイヌが処分されていること。
たった2年半で18頭いたノラネコが、たったの7頭に減ってしまうような厳しいノラネコの現実。
シベリアやアマゾンの奥地で人知れず進む森林破壊で、絶滅に追いやられている動物達の現実。
人気のカシミアをとるために、モンゴルの草原が再起不能になっているといわれていること。
環境問題にしろ、動物の絶滅にしろ、多くのヒトが現実を“知る”ことができれば
今ならまだ、ヒトは動物と共生できる道を探せるかもしれない。
ヒトは無邪気に無知であるには、その力を持ちすぎている。
“知る”ことさえできれば、ヒトはそんなに悪い生き物ではないと思う、思いたい。
きっと、ネコ達は鼻で笑っているに違いない。
かわいそうなのは、ネコじゃない。ヒトなのだと。
2008年12月28日掲載の記事です。
ぶらぶら♪
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走ってる絵文字しかなくて・・・・歩いてます(///∇//)
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