おはようございますニコニコ

水野鞠花です

 

先日、僕らの時代という番組で光浦靖子さんが今カナダに留学しているお話をされていました。

「50代目前になり、これから番組出演が減っていく中で

求められる自分になるのか

それとも新たなことを始めるのか・・・

50歳になった時に生き方を二つ持とうと思ってカナダに留学した」

とてもいい言葉ですね

何かを始めるのに年齢は関係ないです

残された人生をどう使うのか

それは、いつでも自分が決めること

 

さて、本日は本を紹介致します。

 

セラピスト

最相葉月

 

※「」内は引用、要約です

 

何気なく図書館で借りた本だったが、非常に素晴らしかった

無意識を使う芸術療法の歴史が体系的に描いてある

たとえるなら、ゆったりと流れる深い大河のような本であった

 

ジャーナリストの著者は精神療法に懐疑的であり、そこをスタートとして芸術療法の取材を始め、自身も試してみた経験が描かれている

私が感じたのは、精神療法が合わなくて辛い思いをしている方はぜひ一度読んで

みてほしいということだ

箱庭療法、絵画療法

ポジティブな言葉を使う精神療法が多いかと思うが、静かで自分の内側を見つめることができるこの療法は大変興味深い

「絵画療法」

決められたものを描いていき、内面を明らかにする絵画療法は描きながらセラピストと対話することにより変化が訪れる

その描いた絵には評価はない

「箱庭療法」

砂を入れた箱庭の中に自由に動物、人、車などのミニチュアを並べていく療法だ

そこに無意識世界が可視化してゆく

「『内的変革』とは患者と治療者の双方にもたらされたものだった」

「患者にとっては、言葉にしなくとも回復するという点で。治療者にとっては、治療の流れを明確にしたという点で」

箱庭療法の先駆者、河合隼雄氏については次のように述べている

「ある作品はこういう世界を表す、と断定することは治療の流れを阻害してしまうばかりではなく、クライエントの、一言では表現しえない思いを決めつけることになりかねない。無用介入はしないし、完成したあとの質問もできるだけせずに、心の動きに従うことの大切さを強調していた」

それは、その場その場で広げられる世界に対し定められた解釈を加えることなく、無意識で捉えることが何より大切だとわかっていたからであろう。

ミルトンエリクソンは本を残さなかった、それは残した時点で意識となるからだ、と大嶋先生は仰っているが、無意識療法を使う人の共通理念なのかもしれない。

現在、芸術療法は縮小されているという。現代の日本人の感覚に合わなくなってきたそうだ。

「自我が不安定で内省する力が弱い」

「言葉にできないからといって、絵を描いたり箱庭を作ったりしても心の奥深いところに触れることはできない」

このような中で認知行動療法などが主体的になってきたのであろう。

だが、認知行動療法、薬物療法も良いと思うが、芸術療法、催眠療法は無意識と深く結びつく。

そこに古い、新しいがあるのだろうか。

生命の生きる力が無意識なのであれば、そこにアクセスできる療法は常に変えられる可能性を持つ。

ぜひ試してみてほしいと思う。

 

ブーケ1あなたの心のバラが花開きますようにブーケ1

ブーケ2水野鞠花ブーケ2