9/2 6時36分
父が75歳で亡くなりました。
自宅から病院へ搬送後24時間でした。
夏休み、みんなで帰省したばかりで、まだついこの前会ったばかり。
東京にいるからなかなか帰れていない、最近顔を見ていない、ではなく、ついこの前、会ったばかりです。
闘病していたわけではない。
でも、この前帰る時なぜか、もう会うことができないかもしれないと、一瞬思いました。
でも、そんなことを思ってはいけないと。だってまた、会いに来れば良い。年末?もっと前でも良いなと。
父は75歳でしたが、まだ働いていました。
それが自分のためだったのか、それとも家族のためだったのか、わかりません。
家族のため、と言うのは、私の兄弟のためです。
でも、仕事のことを語る父の姿はイキイキとしていて、いつも素敵でした。
前日の朝、母から8時前にライン電話。
たまに母からそのような時間に電話があることもあり、そんな時は大抵、孫関係の、私には後でも良い話し、だし、あちらには大事な孫のことで今すぐ聞きたいことが!みたいな感じで。
後からゆっくり掛け直しても良いなと思っていたけれど、主人が「こんな時間に電話、おかしい」と携帯を渡されて出ました。
「もしもし、今、◯◯病院にいて、もうお父さんダメなの。
朝、起きてこないから見に行ったら、ぐーぐーほんとに大きなイビキをかいて寝てるから、起こしたの。何回も何回も呼んだけど、全然起きなくて、救急車を呼んだの」と。
母が泣いていました。
「もう助からないと思う」と。
「とりあえず、相談してどうするか決めるから切るね」と言った後、主人が「行こう」と言いました。私は一人で行くか、手がかかる下の子を連れて二人で急ぐか、考えましたが、パッと、「お父さんの宝物だった長女がいれば、お父さん喜ぶはず!」と家族全員で行くことに決めました。
「今から向かうね」とライン。
「多分もう間に合わないと思うよ」と返信されて来ました。
その後、子供達にだけごはんを食べさせてもらい、私は荷造り。二人で相談したけれど、喪服は持って行かないことにしました。縁起が悪い、信じたくないから。
長く家をあけるかもと、ゴミやまだ食べられるけれど腐りやすいものを処分。車はやめてタクシーと新幹線で帰ることにしました。
いつもならスムーズに動かない長女がとても静かに早く動きました。
新幹線の中でパンを食べようと品川駅のアトレで購入。次女が沢山食べていました。
12時に名古屋に着き、地下鉄に乗り換え。その後病院までタクシーで。
着いたのは13時過ぎ。
「もうすぐ着きます」
「わかりました。あなたが来るまで病状のはっきりした説明は待っているけれど、もう手の施しようはないそうです。変わらない状態です」と。
部屋を聞き、よく考えて、私だけ行きました。
部屋を開けました。
とても緊張しました。
呼吸器や様々な管をつけられて、少し横向きに寝ている父。目があったら赤い目でホッとした顔をした母。
父は私が見たことのない顔をして寝ていました。
口に管が入っているので少し開けられた口。目は片目半開きの状態で、もう、全ての自分の体が自分のコントロールを失った状態でした。
でも、母は、
「眠っているみたいでしょ?よくこんな顔して寝ていたよ」と言いました。
もう呼吸器がないと自分で息はしていない。心臓は動いている。
脳のどこかの血管が切れた。血栓防止に常服していたワーファリンのせいで、出血が止まらない。手術できないので、出血が徐々に頭から下がって行き、臓器が止まって行くと。
もう意識が戻ることはない。
でも、最後まで耳が聞こえると。
そんな話をしながらも個室を掃除しに来ていた人がいて、早く掃除が終わらないかなと思っていた。
父の顔を見て、母の話を聞いた。
母が呼ばれて部屋を出たら、父の手を触ったら温かくてまだ生きていた。「お父さん」とか言いながら、顔を見て、堪えたけれど、崩れ落ちた。
母が戻って、自分を立て直した。
来るたびに看護婦さんが大丈夫?と泣いてくれた。椅子に座るように言われた。
何度か同じことをしていたように思う。
「お父さん」と呼んで見たり、手を握ったり。それがどれだけ続いたかわからない。私が来て暫くして部屋から兄が出て、いなくなった。
でも、そこから目が開いて、ドラマのように声を出して話をしてくれることを想像すらできないほどの状態だった。ただ、心臓が動いているだけ。ほんとに全機能のコントロールがない。
そして、長女に声をかけてもらおうと呼びに行った。
「どうだった?」と主人に聞かれたら、「やっぱりもうダメみたい」と言った後、大泣きしそいになったけど、長女が心配そうな顔をしていたから耐えた。
「おじいちゃんはもう普通の感じじゃないから、見たら怖いと思うかもしれない。でも、最後まで耳が聞こえると言うから、おじいちゃんに声を掛けて欲しい」と長女に言った。最初はすごく嫌そうにしていた。怖いと言った。
次女はライブラリーの本を持って無邪気に走っていた。
主人も部屋に入って驚いていた。長女も。
「おじいちゃん、まだ生きていて、耳は聞こえてるの」と母。長女もやはりその姿に戸惑っていて、後ずさりした様子も見えた。怖いと思うのも仕方ない。長女の肩を抱きながら少しずつ近づいて、「いつもここに乗っていたでしょ?」と腰のあたりを指したら長女が少し笑った。
声かけてと言ったら、自分の名前を言ってくれた。
次女も「おじーちゃん!おじーちゃん!」と大きな声を出した。「おじーちゃん、ねんね!」と。
そしたら、本当に父が幸せそうな顔になった。なんだろう。勝手な思い込みかもしれないが、そこにいた人がみんな言った。一瞬だけ、顔色が変わった気がした。
怖さがとれた長女が父の手を触ったりした。
「おじいちゃん寝ているみたいでしょ?このまま起きて来そう」との母の問いには、私と同様、何も答えなかった。
救急の先生から母からと同じ説明を受けた。
「もう手の施しようがありません」。
ちょこちょこ来てくれる看護婦さんに色々聞いたが、迷惑な顔一つせず、看護師さんとしての見解を聞かせてくれた。
脳死ではない。植物状態と言うのだ。
でも、少しでも疑問があれば医師に確認すること。悔いが残らないよう、セカンドオピニオンの依頼もできると言うこと。
そして、今血圧も落ち着いているから、荷物など取りに行くことができること。
兄に任せて、一度母と、私、主人、娘たちで帰宅した。タクシーに乗った。
家に帰ると、朝からそのままの家。荷物を置いて、普通に話をしたりした。
母が親戚に知らせた。それから準備をして、子供達を主人に任せて、母の運転で出かけた。
下の子が心配だから、と母は一人でも良いと言ったけど、私もついて行きたかった。
2時間ほど空けていたと思うが、何も進捗はなかった。
暫くすると、父の弟が現れた。話をして、「まだこの前会ったばかりだ。このまま起きそうなのに。」と言った。
昔からおじさんは温かくて、厳格な姿の父と違った。おじさんは話をしながらも「兄貴、俺を残さないで」と呟いた。
ほかの人から見たらおじさん、おじいさん、にしか見えない二人だけれど、おじさんが子供の時と変わらないように思ったのは、自分にも子供ができたからなのかなと思った。
そして、おじさんは、父の手や足だけじゃなく、額や頬や肩や首を触ったり、さすったりした。
その時、気持ちが込み上げた。
それは、自分がそれをまだしていなかったから。
大人になってから父の手を握ることなんてなかったし、顔を触ることなんてない。体調が悪い時に背中を触ることはあったかもしれない。
それと、妊娠出産と体調が優れないときに「熱はないのか?」と父が私の額に触れた時があったぐらい。
私も触らないと、もう触れる機会はないのだと思った。
触れたら、呼吸器をつけた口を閉じ、もう少し眠りが冷めたようないつもの顔に戻らないものかと、ありもしない期待をした。
おじさんにもセカンドオピニオンのことを聞かれた。ほんとにどうにもならないものか。まだ早すぎる死。ほかの友達は緊急で手術していたよと。
そして、父とおじさんの母、私の実の祖母は48歳で亡くなった後、父がずっとおじさんの世話をしたことなどを話した。父から聞いたことはあったけれど、おじさんの口からそれを聞いたことはなく、父の思い過ごしではないのだと安心した。
話を聞きながら父の体をさすったりしていたら、また私は取り乱した人になっていたようで、訪れた看護婦さんに心配された。
おじさんが帰り、再び、子供達を主人が連れて来た。主人は声が聞こえることがとても気になった様子で、また長女に話しかけてと言った。
朝から食事という食事をしていない。医師を待ったが救急の患者で来る気配もなく、長女がお腹が空いたと言った。
母も子供達にきちんとごはんを食べさせて欲しいと子供達を気遣ったので、母を残して、近くに食事に行った。土曜日、病院のレストランは閉まっていて、母に聞いてやって来た洋食屋さんはまずまずの混み具合で、みんなとても楽しそうだった。