食事の後は、次の日の朝食などを子供達と書い、母にパンやらカップラーメン、バナナ、ゼリーなどを買った。長期戦になることも考えていた。
8時すぎてもセカンドオピニオンの件で伺いたいと伝えてあった救急の医師は救急搬送されてくる患者の対応に追われて、現れなかった。

買い物を済ませて帰宅して、母に肌掛けやタオル、歯ブラシなど用意して、食品を持って出かけた。子供達のことは後ろ髪引かれたが、主人にお願いした。
お風呂と寝かしつけ。
朝からこちらに新幹線で帰省し、長女はあの姿を目の当たりにし、疲れていたと思う。
次女は病院でもっと遊びたそうにしていて困ったけど、朝からハイテンションでやはり、疲れていたと思う。病室のパタパタと開閉するドアでいないいないばあをしていて、本気で困った。目の前に植物状態の父がいたからだ。

セカンドオピニオンの件も、おじさんに言われて動いたが、朝からすぐに行動していたり、搬送先の病院が違ったらどうだったのかと頭を巡らせた。
ただ、一つ救いだったのは看護士さんがとても優しく、医師ではないと言いつつも、話をしてくれたことだ。
出血部分が手術できないほど広範囲であること、頭蓋骨と脳の間に隙間がない骨格なこと。どこの病院に行っても植物状態の延命はできる可能性はあるが、意識が戻ることはないと言うこと。

意識が戻ることはない。

それが何を意味するのかわからなかった。

私としては手足のどちらかや言語などに少し不自由が残ってもリハビリして、そう言う動かなくなった体も老化の一部と受け止めて、これからどうするかと考えたいと思っていた。なんとなく、そう言うリハビリをしている父を想像もついた。

でも、もうその望みはない。

父は口を開けて人工呼吸器をしていたから、私が見たことのないような歯や舌が見えていた。歯はタバコで黒かった。そして、ずっと口を開けて呼吸器をつけていたから、舌が渇いていた。お茶を飲む、水分を取るのが大好きだったので気の毒で仕方なかった。まだ生きているのなら、喉が渇いていて言えないのなら、、そんなことを思った。

母が看護士さんが本当に親切でやさしくて、肩に張った湿布を「もう痛みは感じていないし、していない方が良いだろうからとりましょう。お風呂入ってからつけたやつだね」と言ったり、「喉が渇いているから」と口に水分を含ませたり、血圧が下がるからと体勢を変えたりと色々してくれたと言っていた。私もその一部を見ていた。
もう心臓が止まって、血圧が50を切ったら臓器が停止して行くと言われている人に、それをしてくれる。独り身のおじさんで公立の病院で亡くなったおじさんとは大きな違いだったようだ。

それにしても、こんな患者は毎日のようにいるのに、二人の看護士さんが目に涙を浮かべていたのが印象的だった。必要な仕事、でも、なぜできるのだろう。

母に荷物を届けてからは21時過ぎにはもう病室には入らなかった。変わりない様子であり、そこで母が休むことはできないと言われたからだ。母と23時半くらいまで、昔話やらセカンドオピニオンのことやらを話していた。こどもの行きたい学校の話なんかもして、あの時私は長期戦になるんだと思っていたのかもしれない。淡い期待。

家に車を運転して帰った。
父の大きな車で、夜中真っ暗な田舎の道。
なぜか、ドライブにはいらなくて、ニュートラルで発進して、コンビニで駐車して入れ替えた。
家に着いたら夫がまだ起きていてくれて、子供達が布団で寝ていた。下の子は一度起きて泣いたらしい。

2時前くらいまで話をしていた。シャワーをして眠ったが全然眠れないし、iPhoneの充電器がおかしくて、寝室に異音がたまにして怖かった。たくさん寝たと思って起きたら3時半。体が痛くて頭痛薬を飲んで寝た。

朝5時半ごろ、母からライン電話。
「もう亡くなりますので、ご家族を呼んでくださいと言われたよ」と。

夫は一緒に起きて、「送って行こうか?」と言ったが、子供達が寝ていたから一人で向かった。一応顔を洗って、もう既に太陽の光が強かったので日焼け止めを塗った。髪をとかした。
早く行かなければと思ったけれど、最後、それなりに綺麗な私でいたかった。

9/2 6時36分
父が75歳で亡くなりました。
自宅から病院へ搬送後24時間でした。

夏休み、みんなで帰省したばかりで、まだついこの前会ったばかり。
東京にいるからなかなか帰れていない、最近顔を見ていない、ではなく、ついこの前、会ったばかりです。
闘病していたわけではない。
でも、この前帰る時なぜか、もう会うことができないかもしれないと、一瞬思いました。
でも、そんなことを思ってはいけないと。だってまた、会いに来れば良い。年末?もっと前でも良いなと。

父は75歳でしたが、まだ働いていました。
それが自分のためだったのか、それとも家族のためだったのか、わかりません。
家族のため、と言うのは、私の兄弟のためです。
でも、仕事のことを語る父の姿はイキイキとしていて、いつも素敵でした。

前日の朝、母から8時前にライン電話。
たまに母からそのような時間に電話があることもあり、そんな時は大抵、孫関係の、私には後でも良い話し、だし、あちらには大事な孫のことで今すぐ聞きたいことが!みたいな感じで。

後からゆっくり掛け直しても良いなと思っていたけれど、主人が「こんな時間に電話、おかしい」と携帯を渡されて出ました。

「もしもし、今、◯◯病院にいて、もうお父さんダメなの。
朝、起きてこないから見に行ったら、ぐーぐーほんとに大きなイビキをかいて寝てるから、起こしたの。何回も何回も呼んだけど、全然起きなくて、救急車を呼んだの」と。
母が泣いていました。

「もう助からないと思う」と。

「とりあえず、相談してどうするか決めるから切るね」と言った後、主人が「行こう」と言いました。私は一人で行くか、手がかかる下の子を連れて二人で急ぐか、考えましたが、パッと、「お父さんの宝物だった長女がいれば、お父さん喜ぶはず!」と家族全員で行くことに決めました。

「今から向かうね」とライン。
「多分もう間に合わないと思うよ」と返信されて来ました。

その後、子供達にだけごはんを食べさせてもらい、私は荷造り。二人で相談したけれど、喪服は持って行かないことにしました。縁起が悪い、信じたくないから。

長く家をあけるかもと、ゴミやまだ食べられるけれど腐りやすいものを処分。車はやめてタクシーと新幹線で帰ることにしました。

いつもならスムーズに動かない長女がとても静かに早く動きました。

新幹線の中でパンを食べようと品川駅のアトレで購入。次女が沢山食べていました。
12時に名古屋に着き、地下鉄に乗り換え。その後病院までタクシーで。
着いたのは13時過ぎ。
「もうすぐ着きます」
「わかりました。あなたが来るまで病状のはっきりした説明は待っているけれど、もう手の施しようはないそうです。変わらない状態です」と。

部屋を聞き、よく考えて、私だけ行きました。

部屋を開けました。
とても緊張しました。

呼吸器や様々な管をつけられて、少し横向きに寝ている父。目があったら赤い目でホッとした顔をした母。
父は私が見たことのない顔をして寝ていました。
口に管が入っているので少し開けられた口。目は片目半開きの状態で、もう、全ての自分の体が自分のコントロールを失った状態でした。
でも、母は、
「眠っているみたいでしょ?よくこんな顔して寝ていたよ」と言いました。
もう呼吸器がないと自分で息はしていない。心臓は動いている。
脳のどこかの血管が切れた。血栓防止に常服していたワーファリンのせいで、出血が止まらない。手術できないので、出血が徐々に頭から下がって行き、臓器が止まって行くと。
もう意識が戻ることはない。
でも、最後まで耳が聞こえると。
そんな話をしながらも個室を掃除しに来ていた人がいて、早く掃除が終わらないかなと思っていた。

父の顔を見て、母の話を聞いた。
母が呼ばれて部屋を出たら、父の手を触ったら温かくてまだ生きていた。「お父さん」とか言いながら、顔を見て、堪えたけれど、崩れ落ちた。
母が戻って、自分を立て直した。
来るたびに看護婦さんが大丈夫?と泣いてくれた。椅子に座るように言われた。

何度か同じことをしていたように思う。

「お父さん」と呼んで見たり、手を握ったり。それがどれだけ続いたかわからない。私が来て暫くして部屋から兄が出て、いなくなった。
でも、そこから目が開いて、ドラマのように声を出して話をしてくれることを想像すらできないほどの状態だった。ただ、心臓が動いているだけ。ほんとに全機能のコントロールがない。
そして、長女に声をかけてもらおうと呼びに行った。

「どうだった?」と主人に聞かれたら、「やっぱりもうダメみたい」と言った後、大泣きしそいになったけど、長女が心配そうな顔をしていたから耐えた。
「おじいちゃんはもう普通の感じじゃないから、見たら怖いと思うかもしれない。でも、最後まで耳が聞こえると言うから、おじいちゃんに声を掛けて欲しい」と長女に言った。最初はすごく嫌そうにしていた。怖いと言った。
次女はライブラリーの本を持って無邪気に走っていた。

主人も部屋に入って驚いていた。長女も。
「おじいちゃん、まだ生きていて、耳は聞こえてるの」と母。長女もやはりその姿に戸惑っていて、後ずさりした様子も見えた。怖いと思うのも仕方ない。長女の肩を抱きながら少しずつ近づいて、「いつもここに乗っていたでしょ?」と腰のあたりを指したら長女が少し笑った。
声かけてと言ったら、自分の名前を言ってくれた。
次女も「おじーちゃん!おじーちゃん!」と大きな声を出した。「おじーちゃん、ねんね!」と。
そしたら、本当に父が幸せそうな顔になった。なんだろう。勝手な思い込みかもしれないが、そこにいた人がみんな言った。一瞬だけ、顔色が変わった気がした。
怖さがとれた長女が父の手を触ったりした。
「おじいちゃん寝ているみたいでしょ?このまま起きて来そう」との母の問いには、私と同様、何も答えなかった。

救急の先生から母からと同じ説明を受けた。
「もう手の施しようがありません」。

ちょこちょこ来てくれる看護婦さんに色々聞いたが、迷惑な顔一つせず、看護師さんとしての見解を聞かせてくれた。
脳死ではない。植物状態と言うのだ。
でも、少しでも疑問があれば医師に確認すること。悔いが残らないよう、セカンドオピニオンの依頼もできると言うこと。
そして、今血圧も落ち着いているから、荷物など取りに行くことができること。

兄に任せて、一度母と、私、主人、娘たちで帰宅した。タクシーに乗った。

家に帰ると、朝からそのままの家。荷物を置いて、普通に話をしたりした。
母が親戚に知らせた。それから準備をして、子供達を主人に任せて、母の運転で出かけた。
下の子が心配だから、と母は一人でも良いと言ったけど、私もついて行きたかった。

2時間ほど空けていたと思うが、何も進捗はなかった。
暫くすると、父の弟が現れた。話をして、「まだこの前会ったばかりだ。このまま起きそうなのに。」と言った。
昔からおじさんは温かくて、厳格な姿の父と違った。おじさんは話をしながらも「兄貴、俺を残さないで」と呟いた。
ほかの人から見たらおじさん、おじいさん、にしか見えない二人だけれど、おじさんが子供の時と変わらないように思ったのは、自分にも子供ができたからなのかなと思った。
そして、おじさんは、父の手や足だけじゃなく、額や頬や肩や首を触ったり、さすったりした。
その時、気持ちが込み上げた。
それは、自分がそれをまだしていなかったから。
大人になってから父の手を握ることなんてなかったし、顔を触ることなんてない。体調が悪い時に背中を触ることはあったかもしれない。
それと、妊娠出産と体調が優れないときに「熱はないのか?」と父が私の額に触れた時があったぐらい。
私も触らないと、もう触れる機会はないのだと思った。
触れたら、呼吸器をつけた口を閉じ、もう少し眠りが冷めたようないつもの顔に戻らないものかと、ありもしない期待をした。

おじさんにもセカンドオピニオンのことを聞かれた。ほんとにどうにもならないものか。まだ早すぎる死。ほかの友達は緊急で手術していたよと。
そして、父とおじさんの母、私の実の祖母は48歳で亡くなった後、父がずっとおじさんの世話をしたことなどを話した。父から聞いたことはあったけれど、おじさんの口からそれを聞いたことはなく、父の思い過ごしではないのだと安心した。

話を聞きながら父の体をさすったりしていたら、また私は取り乱した人になっていたようで、訪れた看護婦さんに心配された。

おじさんが帰り、再び、子供達を主人が連れて来た。主人は声が聞こえることがとても気になった様子で、また長女に話しかけてと言った。

朝から食事という食事をしていない。医師を待ったが救急の患者で来る気配もなく、長女がお腹が空いたと言った。
母も子供達にきちんとごはんを食べさせて欲しいと子供達を気遣ったので、母を残して、近くに食事に行った。土曜日、病院のレストランは閉まっていて、母に聞いてやって来た洋食屋さんはまずまずの混み具合で、みんなとても楽しそうだった。



毎日書きたいことはあるのですが、なかなかまとまった内容のことを書いて、誰かからアクションを貰おう、と言うのはもうブログと言うツールでは難しいですよね。ある意味、他の方とのやりとりを楽しんでいたブログでした。

独り言になるかもしれませんが、最近のこと。

家族で北海道に行きました。
北海道は2回目。今回は道東巡りをし、行きたかった知床に行きました。

旅行会社では、子連れで知床、子連れでも未就学児連れの知床なんてまず勧められません。
お子様は景色だけ見ていても飽きてしまいます、云々…
でも、連れて行きました。個人旅行で、そんなことを過去に言われたことを忘れていたんです。
そして、宿泊先を予約して、観光となって、その一ステップずつにわざわざその言葉がリフレインしました。
まず、宿泊先は知床村という旅館。
北こぶしと迷いましたが、なんとなくこちらに惹かれて。
今までホテル、しかも、リゾートホテルのようなところしか泊まったことのない長女がどんな顔をするかその日にものすごく不安になりました。

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こんな山小屋ロッジ風。

でも、、行ってみたら、長女も次女もバタバタ走り回って大はしゃぎ。しかも、それを許してくれる暖かな雰囲気。

お風呂は部屋にもありましたが、家族で貸切風呂にしました。
これもまた大はしゃぎ。
鹿の剥製や、家では見ない虫にいちいちキャーキャー。

食事も評判通りのボリュームで、いくらも、蟹いっぱいもついて美味しかった。

次の日、懸念事項の天気。朝大雨。こりゃ、もうだめだと思っていたら9時から晴天。28度。

これまた懸念事項、知床クルーズ。
小型船は子供は長い時間飽きるし、揺れると聞き、まあ、仕方なしと大型船。
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景色は素晴らしかったですが、まさかの、大型船なのに長女船酔い。しかも、原因は船内にあった塗り絵とお菓子。乗ったらすぐ始めたので、注意したけれど、だめでした。。

船を降り、長女の機嫌取り。コンビニや道の駅へ。ここで、昨晩からずっと海鮮料理に飽きたもようで、ハンバーグが食べたいと言われ、探したけどなくて。そのとき、道の駅で、知床五湖でもファストフードはありますよ、と聞き、移動。

ここで、果たして食べるものあるのか。。
それから知床五湖での観光自体、子供は楽しいのか。。と不安に。

行ってみたら、、
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ハンバーガーはありましたが、鹿肉でした!
ここでは、ポテトにおにぎり、炊き込みご飯などを頂きました。

それから、主人が、「2歳の子がハイキングなんて!」とわざわざ否定的。
でも、行ってみたら、まあ、美しい!
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番外編ではありますが、帰り道、長女が大声で騒ぎ、何事かと思ったら、この柵をくぐり抜けて立っていたのです!

この下は恐らく沼。熊対策に有刺鉄線あり…
外国人観光客の人にも、ものすごく、なにやらかしてんだ!?みたいな批判をされました。いやぁ、ほんと一瞬の出来事。落ちることなく主人が抱き上げ事なきを得ました。
この高架ルートに飽き足らず、長女が講習を受けて、短いほうのハイキングコースに行きたいと言いだし、再び。

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知床に来たらヒグマが見られる、見たいななどど思っていましたが、本当に危険なんですね。
しかも、私達がヒグマの暮らしているところにお邪魔しているのだという気持ちを忘れては行けないと言われました。出会わないようにすること、出会っても興奮させないこと。
歩きながら手を叩いたり、声を出したり、講習通りにしながら、ハラハラした面持ちで歩く長女。
高架ルートのほうが景色も良いですが、良い勉強になりました。
次は大きくなった二人と長距離コースに行きたいなと思います。
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車で下山途中たまたま鹿に会えました!これは近づけて、本当に嬉しかったです。

未就学児連れ知床、楽しかったですよ!!