どんな内容でもいいから、ブログ書いてね。

楽しみにしているよといってくれる人がいたので、また自由に書いていいでしょうか。




生きる中で大切なことって、なんだろう。


きっといろんな答えがあるんだと思います。


今の私が思っていること。


それは


「赦すということ」。


別の言葉にするなら、

「手放すこと。」



人ってどんなに一生懸命に生きていても、


間違えるし、

失敗するし、

ダメだとわかっていることもしてしまうことがある。


それでも、ほかの人が同じように失敗したり、

裏切ったり、

自分の期待にそわないことをすると


赦せない生き物。



この赦せない原因は、

相手にあるのではなくって、

自分の心に


寛容、

柔和な心、

希望、

愛、


がきっと足りないからなんだ。



「義人なし、一人だになし。」


三浦綾子の「塩狩峠」という本に出てくる言葉。

これは、聖書の言葉の引用です。


いい人は、いない。

一人たりとも、いない。



そんなことない。いい人はたくさんいる。

そう思うかもしれない。


この人は、いい人。

この人は、悪い人。

そうやって自分の中のふるいがあるかもしれない。



でも、いい人、完璧な人なんてほんと誰もいない。

それは、きっと自分自身が一番知っている。

誰でも心の闇を抱えているし、ダークな部分、人間臭い部分、人にのぞかれたくない心の姿がある。


それなのに、


それなのに、私たちは生かされている。


この美しいもので満ちあふれた世界で生きることを赦されている。



そう、すでに私たちは赦されている。

他人を赦せない自分でさえ、

自分自身は、すでに赦されている。


それなのに、他人を赦さずにいるというのは、自分のエゴでしかないんだろう。



でも、そうやって簡単にいってみても、

そんなふうに思うことを難しくさせる環境がある。


まわりからのプレッシャー、

社会の価値観、

家族、恋人、友人とのつながり方。



いろんなものが物事の本質を見えにくくさせていると思う。


私も何度子どもたちに


「~したら、ゆるさん!」


と言ってきただろう…。


自分の過去を振り返れば、他人の行動によって自分の心がしばられてきた。

でも、その鎖は、本当は他人の中にあるんじゃなくって、自分自身がつくっていたんだ。

しばっていたのは自分だった。



あの人のせいでこうなった。

こんなことがなければ。

こんな環境じゃなければ。

こんな自分でなければ…



相手を責め、

環境を責め、

自分を責め、

運命を責め…



赦せない心は最終的に自分の心を喰い尽す。




その先にあるものは…。




手放すことができるのは、他の誰でもなく、自分にしかできないこと。




私は、どうしてそれを伝えられなかったのだろう。

どうして、楽にさせてあげられなかったのだろう。

どうして、もっと本気で向き合わなかったのだろう。



この世には、美しいものがたくさんある。

それなのに、それさえも見えなくさせてしまう心の苦しみ、闇、悲しみ…。



何もできなかった自分。


きっと、ここから自分の生き方をもっと考えなければいけないんだ。



私は、これから


「赦すこと」



を大切にして生きていきたいと思う。




「すでに赦されていること」


そのことに感謝して、その分他人に優しくできる人になりたい。



そして、それが自由への扉だと、

そこにしか、自由はないんだと、

自分が、生きていく中で証をしていけたら。



自分は、まだまだそんなレベルに達するほど成熟していないけれど、

いつか、自分の姿でそんなことを誰かに伝えられる、

誰かを力づける、

そんな人になれたらって思う。



私は、一生懸命生きたいです。

なかなか、そうできないからこそ、そう思って生きます。






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あの日、一緒に見た景色は、

確かに美しかった。


そうだよね?





まだまだこの悲しみを手放せない私をゆるしてくださいね。